琥珀色の戯言

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【読書感想】絶滅危惧職、講談師を生きる ☆☆☆☆

絶滅危惧職、講談師を生きる (新潮文庫)

絶滅危惧職、講談師を生きる (新潮文庫)

内容紹介
かつて落語を凌ぐ人気を誇った講談は、戦後存続を危ぶまれるほど演者が減った。しかしここに、新たな光が射している。風雲児の名は、神田松之丞。確かな話術と創意工夫で高座に新風を吹き込み、二ツ目ながら連日満席の講談会や寄席に新客を呼び続けている。真打昇進と同時に六代目神田伯山を襲名する彼は、なぜ講談に生きる覚悟を固め、何処を目指してゆくのか。自ら語った革命的芸道論。


 2020年に真打昇進と講談界の大名跡である「神田伯山」襲名を控えている神田松之丞さんの自伝。
 僕は神田松之丞さんの名前と、今いちばん人気がある講談師というのは知っていたのです。でも、実際に松之丞さんの講談を聴いたことはありませんでした。
 子どものころ、『花王名人劇場』という番組で、相撲を題材にした講談を観て(聴いて)、ものすごく面白かった記憶があるのですが、僕の講談との接点は、そこで止まっていたのです。
 そんな僕でも、神田松之丞さんを、いちどナマで観てみたいなあ、と思う本でした。

 落語が一時の低迷から、マンガやアニメで採りあげられるなど、ふたたび盛り上がりをみせているなかで、「斜陽産業」となっている講談界を背負って立っているようにもみえる松之丞さん。
 松之丞さんは、高校時代に落語に出会って、「演芸」の世界に魅せられます。浪人しているときに立川談志さんを知り、その芸と価値観に大きな影響を受けたのです。

 大学時代の松之丞さんは、大学の落語研究会に入るのではなく、観客として、さまざまな落語、講談、浪曲などの演芸を聴きまくるのです。

──松之丞の芸人としての地力は、間違いなくこの時代に作られたものだ。彼の特殊な点は、芸の体験のために、何もわからないままで素人芸を身につけるのではなく、プロの芸を聴いて素養を貯えようとしたことである。落語研究会に入るのは論外だった。

「もちろん落研出身者だって優秀な方は喬太郎師匠はじめいらっしゃるんです。でも素人の変な癖がつく、という耳学問的な知識があって、落研に入ること自体が既にプロの考えじゃない、と当時の僕は勝手に思ってました。こんなに前で聴くことができる大事な時間にもかかわらず、自分がやってどうするんだよ、自分でやることなんて後でいくらでもできるでしょう、と。今はお客としての感性を磨くときだし、それは絶対後で役に立つのに、何今やりたくなっちゃってんだよ、と思ってましたね。全然プロになる段取りわかってねえなって。もちろんそれだってどこかで聞きかじったのを、勝手に自分で解釈して言ってるだけなんですけど、当時の信念でした」


 松之丞さんの考え方や行動って、かなり独特なんですよ。
 もちろん、「ごく普通のひと」が芸人という生き方を選ばないとは思うけれども、とにかく、「自分のやりかたを貫いている」のです。
 この「信念」にしても、こういう人って、一般的には「耳だけが肥えた鑑賞者」になってしまって、自分が演者になろうとしたときにハードルが上がりすぎてしまってうまくいかない、ということになりがちだと思います。
 ところが、松之丞さんは、これでうまくいってしまった。
 
 立川談志師匠に傾倒していたのに落語の世界に入門しなかったのも、談志師匠以外に入門したら、談志師匠と比べてしまって失礼だし、談志師匠自身に入門するのも、すでに高齢だし性格的に師匠と弟子としては、自分とは相性が悪いだろう、という考えからだったそうです。
 そこで、講談界で人格者として知られ、弟子の育成にも熱心だといわれていた神田松鯉さんに入門したのです。
 弟子をきちんと指導しつつも、かなり自由にやらせてくれると聞き、そのほうが自分には合うと判断してもいたのです。

 ものすごく「理論家」なんですよね、松之丞さんは。
 ただ、そういう資質というのは、芸を磨く、前座の頃から二ツ目、真打を目指すという面では活かされたものの、前座での下働きや先輩たちへの気配りが疎かになりがちで、「使えない前座」だったと述懐しておられます。
 そんな「生意気」に見られがちな松之丞さんが、演芸の世界で初期のつらい時代を生き残ってこられたのは、人格者として周囲から一目置かれていた神田松鯉師匠のフォローが大きかったのです。
 

「評価の基準が太鼓とか気働きじゃなくて高座だけになっているのに気づかず、凋落していった人、何人も見てます。スーパー前座はスーパー二ツ目になれないっていうジンクスがあるんです。そこのシビアさというか、冷静さは当時も僕にはありましたね。前座時代から、こんなの絶対引っ繰り返るから、と思ってました。それも青臭い考えなんですけど。今の僕は、前座の時代っていうのは100%必要だと思ってます。僕みたいに鼻っ柱強く入ってくる奴が一回ぺちゃんこにされて、四年間過ごすというのが非常に重要ですよね。そうされなかったら何も僕は変わらなかった。前座というのは、とにかく毎日詫びているわけです。それこそ、今まで頭を下げたことなかった奴が毎日畳に額を擦りつけて、前日に怒られたときは翌日にも謝んなきゃいけないから、何怒られたんだっけ? って星取表を塗りつぶすみたいにして頭を下げにいかないといけない。前日の分も貯まってるわけです。詫び貯金みたいなのが(笑)。僕がそれでも許されていたのは、ひとえにうちの師匠のおかげです。松鯉先生の弟子ならしょうがない。大目に見ようかって、師匠の徳の貯金を、僕が食いつぶしたようなもの」


 松鯉師匠も、低迷している講談界を盛り上げる弟子を持つことになったのですから、結果的には素晴らしい組み合わせだった、とも言えるのではないでしょうか。
 運や縁もあるのでしょうけど、松之丞さんの場合は、「自分に合った師匠を選ぶことができた」のが、ものすごく大きかったのだと思います。

「でも、ああいう子、生意気だとかいわれる子のほうが伸びるんだなと後で思ったね。世間の評判がどんどんよくなってきた。それは二ツ目になってのびのびとやれるようになったからかもしれないですな。私に隠れて、じゃなくて」(松鯉)
 松鯉が松之丞の行く末を危惧していたのは、単に前座としての振る舞いが逸脱していたからではない。試行錯誤をするのはいいが、講談という芸能の本質を見誤る危険があると感じていたのだ。「おまえは寄席育ちだからな」の真意を松鯉はこう語る。

「芸協の高座は、話を聴くよりも笑いに来てる人が多いんですよ。だから私は『落語の真似は絶対しちゃ駄目だよ』と繰り返し言ってきました。講釈師がいくら落語の真似をしたって、笑いでは絶対敵うわけはない。落語はその専門家ですから。一方、講釈師はしっかりしたストーリーをちゃんと伝える修業をしている。真似をすると損なんですよ。講談の面白さというのは笑いの面白さじゃないんだから。講釈の中で出てくる笑いならいいやね。必然的な笑い、あるいはちょっとしたくすぐりぐらいならね、客商売だから。落語の真似はするなということは、私は耳にタコで弟子の全員に言ってますよ。でも、芸協に半分座ってますから、言っても身に付いちゃう場合がある。私は講釈だけで育ちましたからそういうのはないわけだけども。鯉栄や松之丞は講釈場と同時に落語の楽屋でも育ってますからね。だけど、しっかりした講釈ができれば、それはそれでいいと思ってる。寄席育ちの癖がついていたとしても、本筋がちゃんとしていたら問題はないんです」(松鯉)


 松之丞さんに関しては、昔からの講談ファンの中には、「違和感」を持っている人もいる、という話も出てくるのです。
 新しい人が出てくるときには、よくある話なのかもしれませんが、松鯉さんのような師匠でなければ、松之丞さんの芸は、もっと講談を逸脱したものになっていたような気がします。

 僕は芸人の「自分語り」を読むのが大好きなのですが、「評論家気質の人が演者になってしまった」ようにもみえる神田松之丞さんの話は、すごく興味深いものでした。
 講談も、ぜひナマで聴いてみたいとは思うのですが、「いま、いちばんチケットが取れない講談師」なんですよね、松之丞さん。


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