琥珀色の戯言

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【読書感想】僕の人生には事件が起きない ☆☆☆☆

僕の人生には事件が起きない

僕の人生には事件が起きない


Kindle版もあります。

僕の人生には事件が起きない

僕の人生には事件が起きない

内容紹介
日常に潜む違和感に芸人が狂気の牙をむく、
ハライチ岩井の初エッセイ集!

段ボール箱をカッターで一心不乱に切り刻んだかと思えば、
組み立て式の棚は完成できぬまま放置。
食べログ」低評価店の惨状に驚愕しつつ、
歯医者の予約はことごとく忘れ、
野球場で予想外のアクシデントに遭遇する……
事件が起きないはずの「ありふれた人生」に何かが起こる、
人気エッセイがついに刊行! 自筆イラストも満載。


 『ハライチ』の岩井さんって……「澤部さんじゃないほうの人」ですよね……と、思いながら手に取りました。
 芸人のネタをつくっているほうの人って、すごい読書家で研究熱心、というイメージがあるし、岩井さんもオードリーの若林さんみたいに、文章も達者なんだろうな、と予想していたのです。
 ところが、「はじめに」を読んでみると、岩井さんは、ネタやツイッター以外の文章など全く書いたことがない、と仰っているのです。小説やコラム、エッセイの類もまるで読んだことがなく、読むのは漫画、中学生時代にハマっていたライトノベル。アニメは大好きで活字よりも絵が好き、だとも。

 最初の打ち合わせ、うちの会社の事務所に、僕に依頼してくれた編集担当の人が来た。静かそうな女性だ。出た。この手の文系女子は、コンビの陰に隠れがちな方で、ネタを書いていてラジオでは目立ちがちな、いかにも文章が書けそうな芸人にすぐ焦点を当てたがる。恐らく学生時代は割と地味なグループに所属していた性質上、表立ってその芸人のことを、いいよね!とは発言できないが、私だけはあなたの良さをわかっているぞ、という母性に似た見守り目線で応援している。応援していると言ったら聞こえはいいが、皆が注目していないその芸人を応援することで、友達には「え⁉あんなのの何がいいの⁉」と言われることこそを、人と感性が違う自分として、自分の中の唯一性を保っている感じだ。でも違うんだっつーの! 俺はお前らの思っている詩的な文系芸人じゃないんだよ! すぐこんな感じの芸人を見つけては脳内で自分の好きなように作り変えるんじゃねぇ! あと、本当に応援しているんだったら声を上げて周りに言えよ!


 このエッセイ集を読んでいると、岩井さんというのは、周りを本当によく見ていて、「それなりに売れている芸能人」である自分自身のことも、世界のひとつのパーツとして他人事のように観察しているのだなあ、と感じるのです。
 
 有名人のエッセイって、「この人の周りに、こんなにいろんなことが起こるのは、やっぱり、オーラみたいなものが出ているからなのかな」と思うことが多いのだけれど、岩井さんは、「そんなふうに見られがちな芸能人」であるにもかかわらず、自分の人生に「事件が起きない」ことを嘆き続けています。

 テレビ番組などで、自らの半生を振り返るトークの打ち合わせでも、困惑することが多いのだとか。

 結果的に芸人になるまで真っ当な人生を送ってきて、芸人になっても全然苦労していない。こうなるとトーク番組で自分の生い立ちを話そうにも、大したエピソードがない。それがそういう番組の打ち合わせで如実に出る。番組スタッフはどうにか出演者の生い立ちのエピソードを聞き出そうとする。
「地元どんなところでしたか? 田舎っぽいところありました?」
──ない。
「学生時代どんな子でした? いじめられたりしませんでした?」
──してない。
「実家はどうですか? 貧乏で困ってませんでした?」
──困ってない。
「下積み時代の苦労とかあったら教えてください」
──苦労してない。
 まさに地獄だ。番組スタッフが何度も同じ質問をしてくる。「え、でも学生時代、変な子だったりしたんじゃないですか?」などと繰り返されているうちに、「お笑い芸人さんなんだから、変わった面白い人生送ってきたんじゃないんですか~? 絶対、他の人とは違うでしょ~。あっと驚くエピソード教えてくださいよ~」と言っているように聞こえてくる。僕は今お笑い芸人だが、お笑い芸人になる前の学生時代の自分は芸人ではない。一般的な学生だ。一般的な学生にお笑いを求めてしまうのはあまりに酷ではないかといつも思う。今、道を歩いている学生に「君の人生、何か驚きの出来事あった? ねぇ? テレビでネタにできるような驚きの出来事の一つや二つあるでしょ? どうなの? ねぇ?」と聞くのは可哀相で仕方がない。
 こうして、打ち合わせで僕らが答えたことを踏まえて、番組収録用に非常にスカスカでのっぺりした、ハライチの年表が完成するのである。


 人生にそんなに面白エピソードばかりの人って、いませんよね、たぶん。
 もちろん、「なんでこの人は、こんなに変な出来事を呼び寄せるのだろう」という人だって、いなくはないけれど。
 ほとんどの芸能人というのは、こういうときに、多少なりとも、自分の人生を「盛って(大げさに脚色して)」話すものではないでしょうか。また、そういうエピソードを面白く感じさせるのが、バラエティ番組の演出家や大物司会者の腕でもあるのです。
 岩井さんというのは、「率直すぎて、めんどくさい人」なのかもしれません。
 
 芸能人として、「自分は違う世界の人間だ」と、お高くとまることはないけれど、「有名人が何だ!」と、自分に突っかかってくる人をスルーできるほど、すべてを悟っているわけでもない。

 同窓会が苦手な理由について。

 大体、自分の仕事や私生活がうまくいっている人間が同窓会を開催したがる。仕事や私生活がうまくいっていない人間が同窓会を主催しているのを僕は見たことがない。僕はそんな主催者の思惑が嫌いだ。自分で同窓会を開いて、今どんな生活をしているかとか、どんな仕事をしているかを自信満々に答えている主催者を見ていると、こっちまで恥ずかしくなる。
 しかし僕が思うのは、本当に仕事と私生活に満足している人間は同窓会など開かないということだ。端から見て私生活と仕事が上手くいっていても、どこか楽しくないとか、満足していないとか、もっと人に認められたい人間が、学生時代の楽しさのピークを更新できていないからか、同級生より上に立ったことを確認したいという理由で同窓会を開くのだ。なので、楽しさのピークを更新していて、今を楽しんでいる人間は同窓会など求めていない。
 あと、こうやって同窓会を否定した時に「でも久々に昔の友達に会えるの嬉しいじゃん」などと言われることがあるが、会いたい友達なら同窓会などなくても会っているし、同窓会がないと会わない程度の友達だから”昔の友達”なのだろうと思う。


 本当にそうだよなあ、と思うし、その一方で、岩井さんが、実際に起こった(であろう)同窓会での出来事について、かなり辛辣な言葉を綴っているのを読むと、せつない気分にもなるのです。
 有名人になったがゆえに、昔の同級生にも「マウンティングしてみたい相手」のように見られたり、ゲスト扱いされたりしてしまう。
 それでも、そういう場に顔を出しては、不快な思いにとらわれるのです。
 行かなきゃいいのに!って、読みながら思ったんですよ。
 それでも、「自分は別世界の人間」だとも割り切れないし、「人気商売」のめんどくささもあるのだろうなあ。
 岩井さんのほうが「うまくいっている人」として、同窓会でちやほやされて当然の立場なのに、そうなるのも居心地が悪そうだし。

 このエッセイ集を読んでいると、岩井さんの日常をみる目の解像度の高さに驚かされるのです。
 組み立て式の棚を、なかなか組み立てられずに苦労した、というだけのことで、面白くて「僕もそんな感じだ……」と共感するエッセイを1本書き上げられるのは、本当にすごい。
 僕が先日、ニトリで組み立て式のデスクを買おうとしたときに、「でも、自分で組み立てるタイプのものは、思っているより大変なのではないか……」と不安に駆られて、購入を保留してしまうくらい、さりげなく記憶に刻まれてしまうのです。
 ハライチの、岩井さんのファンじゃなくても(ファンじゃないほうが、かえって)面白く読めるエッセイ集だと思います。
 
 「コンビの陰に隠れがちな方で、ネタを書いていてラジオでは目立ちがちな、いかにも文章が書けそうな芸人」にエッセイを依頼するというのは、やっぱり、「正解」なのかもしれませんね。


天才はあきらめた (朝日文庫)

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一発屋芸人の不本意な日常

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