琥珀色の戯言

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【映画感想】スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け ☆☆☆☆

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スター・ウォーズ/フォースの覚醒』から始まった新たなるサーガの完結編。『…最後のジェダイ』で“光“と“闇“の間で激しく揺れ動きながら、時に惹かれ、時に反発し合ったレイとカイロのその後の物語を映し出す。最終章ならではの衝撃の展開や新キャラクターの登場に注目だ。監督を務めるのは『…フォースの覚醒』のJ・J・エイブラムス


starwars.disney.co.jp


2020年、映画館での1作目。
平日の朝の回で、観客は20人くらいでした。


物語の冒頭から、「意外ではないけれど、ネタバレされると面白さが減る」展開なんですよね、これ。

僕は『スター・ウォーズ』のエピソード4~6はテレビ(あるいはビデオ)ではじめて観て、1~3、7、8は映画館で観ています。
家にビデオデッキがやってきて、はじめてレンタルしてきた作品が、『スター・ウォーズ(エピソード4)』と『風の谷のナウシカ』だったのを覚えています。

映画館で観てきた、エピソード1~3、7、8は、どれも、ワクワクしながら上映開始を待ち、あの斜めスクロールのストーリー説明のオープニング映像とテーマ曲で気分は最高潮、でも、観終わったあとには、「『スター・ウォーズ』って、こんなもの、だったっけ……もっと面白かったような……それでも、他のSF映画に比べるとマシかな……」と自分に言い聞かせながら、映画館をあとにしてきました。

そしてついに、『エピソード9』。
個人的には、『エピソード8』でのルーク・スカイウォーカーを見届けて、「『スター・ウォーズ』は終わった」という心境でもありました。
「エピソード4~6」の幻影を追って生きてきた僕にとっては、「1~3」は、ヨーダライトセイバーを持って闘っていたり、ユアン・マクレガーがカッコよかったり、「エピソード3」のラストが「4」にうまくつながっていることに感心したりと、まだ『スター・ウォーズ』だったんですよ。
「エピソード7」以降は、「興行成績のために、僕が子どもの頃に憧れていたルークやハン=ソロを踏み台にしている」ような気がして、悲しくなっていたのです。
ああ、長生きなんてするもんじゃないな、って。
エンジェル・ハート』を見てしまった『シティハンター』のファンも、こんな気持ちだったのかもしれません(あれはいちおう「アナザーワールド」的な言い訳がされてはいるけれど)。


この「エピソード9」、まあなんというか、一周回って、「エピソード4」の焼き直しみたいな作品になっています。
そして、観ながら思ったのは、このラスボス、結局何がしたかったんだ?ということだったのです。
相変わらず、「銀河系に大迷惑をかけながら自分探しを続ける男、カイロ・レン」と、またこのパターンかよ、という秘密が明かされるレイ。
今シリーズでは、レイと2人主人公なのかと思いきや、すっかり影が薄くなってしまったフィンに、今回は出番が多かったポー。

なんのかんの言っても、僕は、レイアやチューバッカ、C3POといった、「おなじみのキャラクター」が出ているシーンが嬉しくてしょうがない。

おそらく、「4~6」から、「サーガ」を見届けてきた人たちと、「1~3」の時代に入ってきた人、「7」で『スター・ウォーズ』をはじめて知って遡って観た人とでは、感慨とか熱量が違うのではないかと思います。
「7」や「8」でのハン=ソロやルークの扱いに僕は憤慨したけれど、最近観始めた人にとっては、「旧作の主人公」でしかないよねきっと。


fujipon.hatenadiary.com
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この『スカイウォーカーの夜明け』のエンドロールを眺めながら、僕は考えていたのです。
こんなの『スター・ウォーズ』じゃない!とか言いながら、やっぱりこれは『スター・ウォーズ』ではあるんですよね。
キャラクターが、とか、ストーリーが、というより、ジョン・ウイリアムズの音楽とメカのデザイン、ストームトルーパーが出てきて、ライトセイバーを使ってのバトルシーンがあれば、やっぱりそれは『スター・ウォーズ』なんだよなあ。
「うーむ、こんな『終わり』で良かったのか?」と思いつつも、エンドロールで流れるテーマ曲を聴いていると、なんとなく「ああ、終わったな……」としんみりしてしまう。

スター・ウォーズ』って、ある意味「世界観」だけというか、世界中のファンによる膨張しまくった共同幻想みたいなもので、いくつかの印象的なシーンを除けば、作品そのものはびっくりするようなものじゃないんですよね。『スカイウォーカーの夜明け』も、「アホなのかこの〇〇〇〇〇ー〇……」と思うし、敵の本拠地に主人公が単身乗り込むことで、敵が巨大戦力が無力化されてしまうのを見るたびに、『銀河英雄伝説』の最終巻かよ……とボヤキたくなるのです。
スター・ウォーズ』に影響された数多の作品群をみてきた今となっては、『スター・ウォーズ』は、「古典」であり、「懐かしいスペース・ヒロイック・ファンタジー」にしか見えないところもあります。

その一方で、そういう「お約束」の数々のルーツとなった「スター・ウォーズ」がひとまずの「区切り」を迎えるにあたって、世界中のファンを敵に回すようなトリッキーなオチに挑戦するのは難しかったであろうことも想像できるのです。
それこそ『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』どころの騒ぎでは済まないでしょう。

「ベストではないけれど、最大公約数的に『まあこれならギリギリ合格かな』という作品」であり、「そのバランスを維持するのは大変だっただろうな」と、制作サイドの気苦労を想像してしまいます。世界のバランスを取り戻すのがフォースの役割であるのなら、『スカイウォーカーの夜明け』は、まさに「フォースとともにあった映画」だとも言えそうです。
スター・ウォーズ』は、つねに、「大勢のファンによって過剰に期待され続けてきたシリーズ」であり、観客側からすれば「物足りなさを感じながらも、やっぱり新作が出ると見届けたくなる」のです。
うん、まさにこの『スカイウォーカーの夜明け』は、「何はともあれ、見届けた感」は満たされる。ストーリーに整合性はなくても、ひとつひとつのシーンでは、いろんなことを思い出してしまう。

前述したように、いろんな年代、立場のファンが観るわけで、ルーク、ハン=ソロ、レイア、そして、集大成ということで、歴代のジェダイ・マスターたちを渇望するファンに応える一方で、レイやカイロ・レンが、今シリーズの「主役」であることを観客に認めさせなければならない。
僕は内心、『アベンジャーズ/エンド・ゲーム』みたいなクライマックスになるのではないか、と予想していたのですが、J・J・エイブラムス監督は、オールスターゲームにしてしまえば楽、という誘惑に、なんとか抗っていたようにも見えました。
「大きな区切り」ではあるけれど、『スター・ウォーズ』はディズニーにとってドル箱コンテンツですし、今後のことも考えると、全部の手札を使ってしまうわけにもいかなかったのでしょう。
満足、というわけではないけれど、これ以上のものをどうやったら作れるか、と問われたら、答えられない。

総じていえば、「この映画そのものが傑作だとは思わないけれど、『スター・ウォーズ』シリーズの大きな区切りを見届けられたことに対しては、なんだかホッとしている」のです。
(正直、エピソード7~9は、根本的に「蛇足」だったというのが、僕の本音なのですが)


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