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【読書感想】吉本興業史 ☆☆☆

吉本興業史 (角川新書)

吉本興業史 (角川新書)

  • 作者:竹中 功
  • 発売日: 2020/06/10
  • メディア: 新書


Kindle版もあります。

吉本興業史 (角川新書)

吉本興業史 (角川新書)

内容(「BOOK」データベースより)
“闇営業問題”が世間を騒がせ、「吉本興業vs芸人」の事態にまで発展した令和元年。“芸人ファースト”を標榜する“ファミリー”の崩壊はいつ始まったのか?そして、吉本興業はこれからどこへ向かうのか?35年間勤めた“伝説の広報”が、芸人の秘蔵エピソードを交えながら組織を徹底的に解剖する。笑いの世界を愛するすべての読者に贈る「私家版」吉本興業史!


 宮迫博之さんと田村亮さんの会見が2019年7月20日ですから、あの「闇営業騒動」から、もう1年が経ったんですね。
 あの「闇営業」に関わった芸人たちの「その後」もさまざまです。正直、宮迫さん、田村亮さん以外は、誰があの事件に関わっていたんだっけ……とすぐには思い出せません。
 現状では、宮迫さんのテレビ復帰はまだまだ遠いようで、YouTuberとしての活動を続けています。

 この本の著者は、35年間にわたって吉本興業で広報などを担当し、『マンスリーよしもと』の初代編集長を務め、多くの人気芸人を生み出した「よしもとNSC」の設立の中心メンバーでもありました。「伝説の広報マン」とも呼ばれているそうです。
 吉本興業在籍中には「吉本興業百五年史」の編纂者も任せられています。
 その著者が「内側からみた、私的な経験も多く含む『吉本興行史』」を書いたのが、この新書なのです。


 著者は、吉本興業での芸人の扱いについて、こう述べています。

「芸人は商品だ。だから大切に扱うんや。よく磨いて高く売れるようにしてやりや」
 入社当時から、担当役員にそう教えられてきた。
 吉本の人間が口にする「商品」とは、消耗品ということでは決してない。「大切に扱え」との言葉からもわかるように、芸人あっての会社だという考えが根底にある。
 芸人との「専属契約」は、百年前から結んでいた。およそ”おおざっぱ”な契約だったのも確かだ。基本は「口約束」であり、契約書という紙はほとんど存在しなかった。闇営業問題から始まった会見騒動でも「おかしいのではないか」と指摘された部分でもある。
 だがこの関係は、会社と芸人のあいだに人間同士のつながりがあってこそ成り立ってきたものだ。その「口約束」こそ、強い「契り」と言えるのだ。
 私が知る限り、戦後、会社側から契約を解除した芸人は、片手で足りるほどしかいない。どうしようもない事態にいたらない限り、会社側から芸人に「お前はいらない」、「会社を辞めろ」と通告することはなかったのである。
 会社の幹部らが芸人を「家族」と呼ぶのも、口先だけのことではない。商品であると同時に家族であるという感覚は、百年の歴史の中で培われ、染みついてきている。
 その一方、芸人の側では「家族」という意識が薄くなってきていたのだと見ざるを得ない。今回の一連の騒動を通して、それが露呈した。
 いまの芸人たちの中には、明治から始まった家父長制的な体質の「家」を理解しなくなった者も出てきているのではないだろうか。時代の流れからいえば、自然なことではある。
 だが、時代や風潮の問題として、簡単に認めてしまいたくはない部分である。


 著者は、吉本興業の百年をこえる長い歴史(創業は1912年(明治45年)4月1日)を概観し、そのなかで、ライバル会社との芸人の引き抜き合戦や、創業家の兄弟での主導権争い、山口組などの反社会的勢力との関わりについても述べています。
 興行の世界というのは、きれいごとだけでは済まないところが長年あったし(今でもあるのかもしれませんが)、一度できてしまった反社会的勢力との縁は、なかなか切れるものではありません。
 だからこそ、近年の所属芸人たちには、反社会的勢力との関わりを持たないように厳命していたようなのですが……

 メディアでの報道をみていると、「吉本興業は契約書もなく、若手芸人たちをタダ同然とか、会社9対芸人1みたいなギャラで使っているブラック企業」というイメージを持ってしまうのですが、内側からみると、会社側にもそれなりの理があるのです。

 (桂)春団治がはじめて吉本の寄席にあがった翌年、1922年(大正11年)に、吉本は所属芸人に対する「月給制」を導入している。
 当時の寄席と芸人の関係性を考えれば、革命的なことだった。
 借金している者なども多い、芸人の生活を安定させたいと考えたこと。金銭の出入りが計算しやすいようにすること。芸人がほかの寄席などに移っていくのを防ぐこと。これらも目的にしていたようだ。
 人気などに応じて給金には差をつけた。それによって、競争心をあおろうという目論見もあったのだろう。芸人たちの反発りながらも、しばらくは月給制を基本としてやっていた。完全歩合制に移行したのは戦後のことだと考えられている。
 給料制がいいのか、歩合制がいいのか。
 歩合制の場合、会社と芸人でどう分配すればいいのかは難しい問題だ。
 前章でも触れた岡本昭彦社長の会見においても、ギャラの配分は「ざっくりとした平均値でいっても五対五から六対四」になっているという発言が問題視された。
 芸人からは、そんなはずはないという声があがっていたように、さすがにその表現では「ざっくり」しすぎている。
 現実としてどうなのかといえば、これまたざっくりした表現になるが、ケースバイケースとしかいいようがない。先方の予算や会社が受け取る額、仕事の性質などを考慮しながら、「仕事を受けるか」「ギャラをどうするか」を考えることもある。極端にいえば、それこそ九対一もあれば、逆の一対九もあり得る。
 状況によっては「一円でもいいので、うちの芸人を使ってください」となる場合もある。名前も知られていない芸人であれば、たとえギャラがなくても、人前で何かができる機会を得られたなら、それが結果的に、プラスに働くことがあるのが現実だからだ。
 令和の騒動では、「一円の支払明細書」を提示した若手芸人もいた。一円の振り込みがあったというなら、そういうギャラが提示された仕事があったということなのだろう。その仕事がどんなもので、吉本がクライアントからどれだけの額を受け取っていたかはわからない。事情を知る人間に聞いてみないと、なんともいえないことだ。だが、「九対一」で吉本は九円儲けさせてもらいました、などと言ってほしかった。
 駆け出し芸人のギャラが安すぎるという批判もある。ただし、芸人たちはそれを自虐ギャグにもしているように、そういう現実に納得したうえでやっている場合がほとんどだ。言葉はきつくなるものの、カネにならないプロ未満の芸人であるなら仕方がない。


 吉本興業の内部からみれば、こういう見方があるのは当然だとは思うのです。イベントには経費がかかるし、芸人を売り出すのには本人たちだけの力だけではなくて、プロモーションが重要です。
 実際、顔も知られておらず、人前でネタをやる経験に乏しい若手にとっては「ノーギャラでも舞台に立ちたい」という気持ちはあるはずです。
 芸人の世界に限らず、職人の世界でも安い給料で働きながら技術を教えてもらうことがあり、医者も勉強のために無給で研修に行くこともあります。
 どこからが「搾取」なのか?というのは、難しいですよね本当に。
 ただ、吉本興業の場合は、あまりにもお笑いの業界での存在が大きくなってしまったがために「吉本の待遇が気に入らなければ、他所に移ればいい」というのが難しいのです。
 
 外からみれば「吉本所属でなければ、芸人にあらず」みたいな感で、他の選択肢はないのに、著者のような、ずっと内側にいた人間は「昔から同じようにやってきたし、嫌なら辞めればいいだけじゃない?」と考えてしまう。
 あの「闇営業事件」での岡本社長の会見への批判というのは、そういう会社側と芸人側の感覚のギャップが大きすぎることが世間に周知されたからなのだと思います。
 実際のところは、現在でも「売れているひとにぎりの芸人たちの稼ぎで、次世代を育成し、多くの売れていない芸人たちにチャンスを与えるためのコストを捻出している」という状況なんでしょうけど。
「6000人もの所属芸人に対して、みんなに生活できるくらいの給料を払う」となると、売れてもほとんど「みんなのため」に稼ぎが持っていかれることになりそうですよね。

 
 この本のなかには、長く吉本興業で仕事をしていた著者ならではの人気芸人たちのさまざまなエピソードも紹介されています。

 NSC吉本総合芸能学院:New Star Creation)にとって大きかったのは、一期生からダウンタウンやトミーズ、ハイヒールが出たことだった。彼らの成功を見て、NSCに入ろうと考える志望者は増えていったのだ。
 もしNSCの設立が一年遅れて、ダウンタウンの二人が受験してきていなかったなら、どうだったろうか? 現在のようにNSCは機能していなかったのではないか、と思う。
 ダウンタウンは、デビューまもない頃には次のような話をネタにしていた。
「ボクらはね、漫才ブームを見て、この世界に憧れてNSCに入ったんですけど、漫才ブーム行きのバスに乗れると思うてたら、乗り損ねてたんです」
 NSCを設立した頃、漫才ブームは下火になりかけていた。あと一年、設立が遅かったなら、NSCに入学することが「ブーム行きのバス」に乗ることだとは、考えなかったはずだ。だとすれば、乗車もしていなかった可能性も大きい。しかし、このネタには二人らしいオチが付く。
「乗り損ねたバスなんですが、よぉ見たら谷底に落ちてましたわ」
 ダウンタウンの二人がNSCの面接に来たときのことは、よく覚えている。ボウル吉本の中にあるフルーツパーラーを面接会場にして、新入社員の私も面接官になっていた。
 当時、五分刈りだった浜田雅功は、競艇学校の入学試験に落ちていて、うめだ花月の前の看板を見て、NSCの開校を知ったのだそうだ。それで、中学時代の同級生である松本人志を誘って面接に来ていた。
 面接といっても、ネタを見たりするわけではなかった。入社十か月ほどの私ができるわけがない。「キミら、月謝は払えるか?」と聞いただけだ。
 入学金は三万円で、月謝は一万五千円。
 それで二人は「はい」と返事したので、一応、上司にも伺いを立て「月謝が払えるならええやろ」ということで、私が「合格」を告げた。
 だが、三か月分は前払いしていた彼らも、四か月目からは月謝を払わなくなった。それで二人には、冨井がバイトができるスナックを紹介している。


 NSCの設立があと一年遅かったら、あのダウンタウンも生まれていなかったのかもしれないのです。
 もし、当時のNSCが「月謝が払えればいい」というくらいの緩い入学基準でなければ、ダウンタウンだって不合格になていた可能性もあります。
 タイミングというのは不思議なものですよね、本当に。

 吉本興業は「悪」なのか?
 あれだけ芸人たちがネタにしている、ネタにすることが許される、ということを考えると、たしかに、単なる「ブラック企業」ではないような気がします。


吉本興業百五年史

吉本興業百五年史

  • 発売日: 2017/10/05
  • メディア: 大型本

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