琥珀色の戯言

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【読書感想】1キロ100万円の塩をつくる: 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
たったひとりから始まったおいしいものづくり革命。独自のアイデアで市場を切り開き、自分の暮らしも大切にしながら、国内外で活躍の場を広げている10名の食のイノベーターを取材。彼ら、彼女らの取り組みはどれも前例がなく、未知数。強烈な「想い」を胸に抱えて突き進む姿は、これからの働き方、生き方のヒントになります。


 世界中で「美味しくて安全な食べもの」のためならどこにでも行く、金に糸目はつけない、という人が、どんどん増えているのです。
 もちろん、地方都市のスーパーマーケットで1キロ100万円の塩を売るのは難しいだろうけど、今の世の中であれば、ネットを通じて、世界を相手にオーダーメイドで商売をすることが可能になりました。
 とはいえ、なんでも「ネットで売りさえすればいい」というほど甘いものでもないのです。すでにネットでの競争は激しいものになっていますし、「ちょっと美味しい」「少し安い」くらいなら、みんな近所のパン屋さんに行ってしまう。
 そんななかで、著者は「新しいアプローチで成功をおさめている、『食』の生産者」たち10人に取材をしています。

 ビニールハウスのなかには、長方形の木箱がずっと並んでいる。その木箱には海水が入っていて、たくさんのアーモンドが浮かんでいたり、藁が敷き詰められていたり、カニの甲羅が沈んでいたりするものもある。これらは天日と風に晒されて、「塩」になる。
 2018年4月、高知県田野町で日本唯一の「オーダーメイドの塩」をつくっている「田野屋塩二郎」の取材に訪れた時、僕は想像もしなかったその光景に目を奪われた。
 2009年に「田野屋塩二郎」の屋号を掲げて塩をつくり始めた佐藤京二郎さんは、それまで誰も手掛けたことがない「注文に応じて、味や結晶の大きさを変えるような塩のつくり分け」に挑んだ。それが国内外の料理人に広まるとすぐに引っ張りだこになり、ウェイティングリストができる職人になった。
 これまでに佐藤さんがつくった最高値の塩は、1キロ100万円。

 その4カ月後、僕は兵庫県丹波市にいた。2016年に緑豊かな甲賀山の麓にパン工房「HIYORI BROT」(ヒヨリブロート)を立ち上げたパン職人、塚本久美さんの取材だった。


(中略)


 東京都内の有名なパン屋さんで修業していた時、塚本さんには残念に感じていることがあった。パン職人の仕事は早朝から始まるハードな肉体労働だから、腕利きの女性の先輩たちが、結婚や出産を理由にパンづくりから離れていく。それはもったいない! 塚本さんは独立を考えた時に、「結婚しても、出産しても、ひとりでも続けられること」を考えて、通販専門という形を選んだ。しかも、販売するパンは数が違う3種類の「おまかせセット」のみ。店舗のない、お客さんがパンを間近に見ることも、好みで選ぶこともできないパン屋は異色の存在だろう。
 果たしてその行方は? 開業以来、塚本さんは日本全国を巡り、こだわりの農産物をつくっている生産者とコラボし始めた。そのパンが大人気になり、現在、ヒヨリブロードのパンは3年待ち。塚本さんはフェイスブックやインスタグラムをお客さんとの接点として活用していて、特に不自由もないという。最近、チョコレートなど農産物以外のおいしいものをつくっている友人や知人とコラボしてネットで販売しているが、それもすぐに売り切れる。店舗のないパン屋さんは、オンラインで大盛況なのだ。
 塚本さんは、自らの手で「店舗がないパン屋さん」の可能性を示した。さらに、女性に限らず、世の中のすべてのパン職人に、これまでにない働き方を提示している。


 この本で取材されている、「新しい生産者」の話を読むと、この生産者たちが変えているのは「商品」だけではなくて、消費者の、そして生産者側のライフスタイルでもあるんですね。
 佐藤さんの場合は、「手間のかかる、用途に応じた塩の作り分け」なんて業者が対応できるわけがない、という常識を、塩づくりを細かく区分けして行うことで覆し(当然、手間も時間もかかっているし、単価も上がります)、佐藤さんは「通販専門にして、売る側が選んだセットだけを販売する」ということで、たくさんの種類のパンをつくらなくても商売が成り立つようにしているのです。もちろん、美味しいからこそ売れるのですが、「どんなパンが送られてくるのか来てみてのお楽しみ」というのが、買う側にとっても面白く感じられるようです。

 ちなみに、「田野屋塩二郎」の佐藤さんは、塩づくりをはじめる前は、ラグビーに打ち込み、スノーボードでオリンピック出場を目指し、サーフショップの店長もやっていたそうで、「HIYORI BROT」の塚本さんは、大学を卒業後、リクルートに採用さ、勤めていたのです。
 なんでそんな有名企業から、「パン屋さん」に?
 僕もそう思ったんですよ。でも、ここで採り上げられている10人の「新しい食の生産者」たちの多くは、家が農家だったり、新卒で食べ物を製造する仕事についたのではなく、別の業種から来ているのです。
 だからこそ、長年の業界内部の慣習や常識を打ち破ることができたのではないかと思います。
 伝統の力というのは大きいけれど、その一方で、ずっとやってきた人の「そんなことはできない」は、「本当はやれないことはないけれど、時間も手間もかかってめんどくさい」とか、「これまでうまくやってきたのだから、新しいことをやるリスクを取りたくない」であることも多いのです。

 実際は、「普通の農家がつくる、普通の食べ物」こそが、われわれの生活を支えているのだし、それを「企業努力が足りない!」とか「イノベーションを起こせ!」とか批判するのも筋違いではありますけどね。

 ずっと裸足で生活している部族に靴を売りに行ったセールスマンが2人いて、1人は「ダメだ、ここには靴を履いているやつは一人もいない。ここで靴なんて売れないよ」と嘆き、もう1人は「ここは宝の山だ。まだ靴を履いていない潜在的な顧客がこんなに大勢いるぞ!」と喜んだ、という話があります(まあ、ネットでよく見かける「都市伝説的な寓話」ですが)。

 農業やパン屋さんのような小規模の製造業というのは、ずっと伝統に縛られ続けてきて、これまで目を向ける若者が少なかったために、まだ「伸びしろ」がたくさん残されているとも言えそうです。
 もちろん、ここに出てくる人たちの努力や創意工夫も尋常なものではないのですけど。


 1日に3000個売れるという大阪・桜塚商店街の『森のおはぎ』の森百合子さんは、こんな話をされています。

「自分が食べておいしい、嬉しいって思うものこそ、お客さんも『また食べたい』っていう味になると思うんです。うちはあんこを3種類炊き分けていたり、見えないところでいろいろこだわっているんですけど、現場にいれば、ちょっともち柔らかいんちゃうとか、あんこ柔らかいでとか、なにかブレがあった時にすぐ気づけるじゃないですか。スタッフとみんなで楽しくつくっている自分も元気もらうし、ぜんぜん苦ではないかな」
 森さんにとって「自分が食べてもおいしい」は絶対的な基準で、だからむやみに新作を出さないし、変わり種のおはぎもつくらない。季節の変わり目などに店頭に並ぶ新作は、森さんが何度も試行錯誤して「むっちゃおいしい!」と感動したものだけ。例えば、夏に登場する「焼きとうもろこしもち」は、その厳しい審査をくぐり抜けてきたものだ。

 近年、華やかな見栄えだったり、珍しい素材を売りにした「創作おはぎ」を出すお店も増えているが、森さんは話題づくりに興味はない。
「おはぎってもち米との相性が大事なおやつやし、しみじみおいしいって思えるものを出すっていうのは、譲れないところで、いくら見た目がかわいくても、もう一回食べたいって思ってもらわないと、ずっと続けていけないし。使う素材としても、こだわりすぎると価格も上がっちゃう。私にとって、おはぎは家庭のおやつで、やたら値段が高いっていうのは違うなっていうのがあって、東京の人には安すぎるって言われることもあるけど、高くなりすぎないところでベストのおいしさを出すことを大切にしたいんです」


 目新しさや希少性も大事だけれど、僕はこんなふうに「普通の人たちが、日常で『自分へのごほうび』的に口にできるもの」を丁寧につくっている人たちに魅力を感じるのです。
 いつの時代も、「おいしくて、肩のこらないものを、適正な価格で」というのが、いちばん強いのではなかろうか。
 そして、それを続けることが、いちばん難しいのだろうな、とも思うのです。


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