琥珀色の戯言

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【読書感想】西鉄バスのチャレンジ戦略 ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
バスが次々と発着、時には数珠繋ぎ…。博多駅前や天神の交差点に立つと、列車や乗用車以上にバス車両が目に付くことに気づく。九州の交通は、それほどバスが身近だ。なぜ、そうなったのか、それがどう今日まで維持されてきたのか。そのイニシアチブを執ってきた西鉄バスをビジネスの視点から大解剖。車両、人づくり、運行方法ほか、果敢なチャレンジ戦略でバス社会を作り上げたノウハウに迫る。


 小学5年生のときに九州に引っ越してきて以来、僕にとってのもっとも身近な都会は「博多」だったので、都会というのはバスがたくさん走っているものだというイメージがずっとあったのです。
 もちろん、東京や大阪だって、バスの路線はたくさんあるはずなのですが、博多はバス、タクシーの存在感がとくに大きい街なんですよね。僕自身が博多の街を運転していて、バスやタクシーの「圧力」を感じることが多い、というのもあるのでしょう。
 この本、九州・博多の「代表的なバス会社」である西鉄バスの歴史と、さまざまな斬新な試みについて詳しく書かれたものです。
 僕自身、鉄道やバスなどの公共交通機関は「けっこう好きだけれど、『マニア』ではない」ので、路線や車両の変遷が延々と時系列で書かれている部分などは、読んでいて「ついていけない……というか、正直、ちょっと眠くなってきた……」のです。でも、博多の街でずっと暮らしてきた人にとっては懐かしい記憶がよみがえってくるでしょうし、バスという交通機関の歴史に興味がある人にとっては、感動的な人間ドラマやエピソードに頼らず、事実や経緯を淡々と記録しているのは、資料的な価値も含めて、たまらない内容だと思います。
 

 日本のバス業界をリードする西日本鉄道ーにしてつ。500台以上の車両を擁する北九州地区を西鉄バス北九州として分社したため、西日本鉄道単体としては1860台と、神奈川中央交通の約2100台に車両数日本一の座を譲ったが、西鉄直径のグループ全体では今も3000台に迫るバスを保有する日本最大のバス事業グループである。経済、文化などあらゆる面で九州の拠点となっている福岡市を中心に乗合・貸切バス事業を展開、傘下のバスボディーメーカーであった西日本車体工業が2010年夏に事業から撤退したため、ほぼオール西工だった西鉄グループにも車両面で大きな変化が訪れたが、取り巻く環境変化もあって、新たな取り組みにも積極的な姿勢を貫いている。


 西鉄は各地のバス会社と協力して高速バス網を九州中につくり、乗り心地を追及した豪華な夜行バスを全国に先駆けて導入したのです。
 100円で主要駅から近隣の主要な施設に行けるバスには、僕も長年お世話になりました。
 

 ここ10数年のことではあるが、日本のバスはその運行システムやサービス、車両技術、バリアフリー、環境対応、そして接遇など、さまざまな面でかなりのハイレベルに達してきていると思われる。そんな今の日本のバスで当たり前に評価されていることの多くが、実は福岡の地でもっと以前から取り組まれていた、あるいは西鉄バスが最初だったということは、世間的にはあまり知られていない。
 例えば車内事故を防止し、立客や高齢者の安全を補佐する握り棒が車内に何本も経っている光景。バリアフリーが唱えられて以降、普通に見られるようになったが、実は西鉄バスでは1970年代から座席の2つに1つの割でポールが取り付けられている。そしてバリアフリーの象徴である低床化。ワンステップバスを経てノンステップバスが標準になりつつある現在だが、1990年代前半に西鉄西日本車体工業が試行錯誤を繰り返しながら、床の高さを53㎝まで下げたスロープ付きワンステップバスを低価格でつくった実績がなかったら、普及はもっと遅れたに違いない。「九州に行ったとき交差点でエンジンが止まったから、バスがエンストしたかと思ったよ」と友人が笑っていたのが1980年代。今は環境対応面で周知されているアイドリングストップも、燃料節約という動機ではあったが西鉄バスではそのころもう取り組んでいた。今の夜行高速バスといえば、格安タイプを別とすれば独立3列シートは当たり前。でもこれを34年前に開発したのは西鉄バスの「ムーンライト号」だった。近年話題になっている貨客混載だって、西鉄バスの「バス便小荷物」はすでに長きにわたってそれに近いことをやってきているのである。


 九州を中心としており、東京や京阪神の人たちには馴染みが薄い西鉄バスなのですが、福岡市が「地下鉄網が張り巡らされるほど大都会ではなく、自家用車で移動するには駐車場や道路の混雑の問題がある」という規模の都市であるため、「便利な交通機関」として、長年地元の交通を支えてきたのです。九州全体の高速道路網の整備もあり、福岡市と九州各地の地方都市とを結んだり、福岡空港へのアクセスを便利なものにしてもきました。
 非接触ICカード乗車券システム「nimoca(ニモカ)」も僕の身の回りでは、多くの人が使用しています。

 1983(昭和58)年3月、福岡~大阪間に阪急バスとの共同運航による夜行高速バス「ムーンライト号」が運行を開始した。路線延長646㎞は当時日本一で、夜行バスであることからシートピッチを広くとった33人乗りトイレ・サービスコーナーつきのハイデッカーを投入。両社同仕様の車両を使用し、交互に運行して営業・施設使用を共同化する「共同運行方式」を生み出して、以後の高速バス運行方式の指針となった。「ムーンライト号」は3年後の1986(昭和61)年に独立3列シート・床下トイレつきの29人乗りスーパーハイデッカーに交替、その新たな夜行バスサービス形態は世間を驚かせ、以後の夜行高速バスの標準型をつくった。
 夜行高速バスは急速に発展、1989年には福岡~名古屋間「どんたく号」(名古屋鉄道と)、1990年には日本最長距離の1100㎞を走破する福岡~新宿間「はかた号」(京王電鉄と)へと発展した。このほか1992年までに京都、奈良、姫路・神戸、金沢、米子・鳥取、出雲・松江、岡山、高知へと夜行高速バス新設が続いた。


 これらの夜行高速バスが、どんどん増えていった時代のことを思い出しながら読みました。
 現在は、他の交通機関との競合で採算がとれなくなったり、乗務員不足、労働環境改善などもあって、多くの路線が廃止されているんですよね。
 思い返せば、なんでもスマホで予約できるようになったのも、けっこう最近の話なんだよなあ。

 2000年5月3日には佐賀発天神行き高速「わかくす号」が17歳の少年に乗っ取られるバスジャック事件が発生した。凶行は15時間余、約300㎞に及び、途中女性乗客1人が死亡、多くの負傷者を出した。事件解決までの間テレビの生中継もあって全国に注視されたが、これを教訓として西鉄では緊急事態における危機管理を徹底検証し「バスジャック対応マニュアル」を制定したほか、西鉄独自の緊急連絡手段として、車両への防犯灯設置、後部方向幕での「SOS 110番へ」という表示、屋根への車両識別番号大書きなどが順次進められた。これらは日本バス協会が定めた統一マニュアルにも反映され、全国のバス事業者に展開した。

 西鉄バスは、大きな悲劇にも見舞われていたことを、これを読んで思い出しました。
 あの事件のことは記憶に残っていても、その後、西鉄バスが再発防止のために、多くの対策をとり、それが全国のバスに採り入れられていることは、あまり知られていないのです。

 この本を読むと、110年も生き残ってきた西鉄バスの「生命力の源」みたいなものが伝わってくるような気がします。
 バスという交通機関も、今後、自動運転車が普及してくれば、また大きな変化を余儀なくされそうではありますが。


「つぎとまります! 」IRリモコン 西鉄バス

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