琥珀色の戯言

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【読書感想】半グレ ―反社会勢力の実像― ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
「自分はきっちりやっていたから、絶対に捕まらない」。暴力団のように、特定の事務所を持たず、常に離合集散を繰り返し、犯罪ごとにメンバーが入れ替わる。時には一般人として普通に暮らし、必要に応じて犯罪に手を染める。暴対法を潜り抜ける“つかみどころのない悪”半グレとは何か。その正体に迫るため、成立から具体的事件まで、当事者の肉声を基に炙り出す―。「NHKスペシャル」待望の書籍化!!


 僕自身の「半グレ」に対する知識は、2010年11月に起こった「市川海老蔵さん殴打事件」から、あまりアップデートされていないような気がします。あの事件にしても、「海老蔵さんも夜の街でけっこう遊んでいたみたいだしな……」という印象もあって、夜の街を飲み歩く機会がほとんどない(なくなった)僕にとっては、半グレにはあまり縁がない存在だと思い込んでいたのです。海老蔵さんの事件も思い出すのは、「灰皿テキーラ」とか、ワイドショー的な話ばかり。

 この本を読むと、暴力団などの反社会的勢力への取り締まりが厳しくなった一方で、「半グレ」というのは、その勢力を強めてきているようなのです。
 警察などの公権力が介入しようとすると「われわれは一般人だから」とすり抜け、一般人に対しては、暴力やお金を匂わせたり、さまざまな心理的な圧力も駆使したりして、自分たちの「力」を見せつける。
 

 第1章では、こんな事件が紹介されています。

「女性を”モノ”としか見ていなかったですね」
 ──男子大学生は、表情を変えることなく淡々と語った。

祇園の半グレ、通称「スパイラル」摘発>

 2019年1月、平日の夜に京都府警警察本部から逮捕事案の一報が入った。
 男子大学生らが女性たちを風俗店に斡旋したとして、職業安定法違反で摘発されたというものだった。逮捕されたのは京都の有名大学に通う学生たち。恋愛関係にあると信じ込ませた女性を、拠点にしていた祇園の会員制バーに誘い込み、高額な酒をツケで注文させ、借金を背負わせていたのである。そして、その返済のためとして、女性たちを大阪や滋賀など関西各地の風俗店に斡旋、その人数は、2018年11月までの1年あまりに、のべ262人に上り、約7300万円ものカネを得ていた。
 大学生らは20人ほどのグループで活動し、創設者の男たちによって統率されていた。
 京都府警は彼らを半グレとして捜査し、約1か月にわたってメンバーが次々と逮捕された。京都の有名大学の学生らが、うその恋愛で女性に好意を抱かせて反抗に及んでいた手口から、新聞やテレビをはじめ、週刊誌でも話題となった事件である。


 この本のもとになった番組では、「スパイラル」の元メンバーへの取材が行われ、この本にも収められています。どんなひどいヤツなのかと思いきや、清潔感のある「イケメン」だったのだとか。まあ、だからこそ女性も引っかかりやすいのでしょうけど、毎日250人近くの女性に声をかけつづけ、連絡先を聞けるのは5人くらい、というような話や、この「ビジネス」の先輩たちのリッチな生活ぶりに憧れたり、同僚と助け合ったりして頑張っていた、なんていうのを聞くと、「そんな良い大学を出て、頑張れる才能もあるのに、なんでその使い方を間違ったんだ、というか、人を傷つけるために使ってしまうんだ……」と思わずにはいられなくなるのです。
 
 こんなのに引っかかる女性にも隙があったのでは……とも、やっぱり感じたんですよ。でも、彼らが使っていた「マニュアル」の話を読むと、「大学に入ったばかりの、人生経験にも乏しい若者が、こんなふうにカッコいい男に言い寄られたら、引っかかってしまうのも無理はないよな……」とも思ったのです。

 グループには、女性を斡旋するための手口を記した、数種類のマニュアルが存在していた。
 今回、取材でいくつかを入手することができた。全部で約140ページにもなり、元メンバーAが語った、女性への声かけ方法や”お金の教育”、風俗店への誘導方法などが書かれていた。「覚えることで誰でも一定のレベルまでいく」とまであり、いかに女性を取り込んでいくか自信満々の筆致で書かれていた。
 まず、女性との距離を近づける方法が解説されていた。
 目についたのは、「ストックスピール」という言葉。調べてみると、「誰にでも当てはまることを、相手のことをあたかも言い当てたかのように提示する技術」のことで、「コールドリーディング」の一種のようだった。相手の信頼を短時間で得る話術とされていて、詐欺師の手口になっているといわれる。
 マニュアルの原文を、一部誤字を修正した上で紹介する。
「例 過去に男関係で、けっこう酷い裏切り方されたことあるんちゃうかな。それもあって、男の人と付き合うのに臆病になってるんちゃうかな」
「例 〇〇ちゃんって、しっかりしてるから、周りにだけじゃなくて自分に対しても厳しいとこあるよね」
 広い意味でとらえると、誰にでも心当たりのあることを、さも言い当てているかのように質問を投げかける手法だ。
 例えば2つ目の例文では、「自分に対して厳しい」と指摘されたことに、女性が「自分には甘い」と否定した場合、それ自体が自分に厳しいということにもなる。「ほら、厳しいやん」という流れにもっていき、言い当てたように思わせるのである。
 マニュアルには、ほかにも例文と解説が記されていて、このテクニックを駆使し、「自分のことをわかってくれている人だ」と女性に思わせる「ヒット」を重ねることで、信用させていくとあった。


 興味本位とか、しつこいナンパに断り切れずに連絡先を教えてしまったが最後、こういう「テクニック」を駆使して、彼らは女性を落としにかかってくるのです。
 この本のなかで、被害女性のひとりが、人間不信におちいり、人前に出るのが怖くなった、人生をめちゃくちゃにされてしまった、と告発しているのですが、加害側のメンバーの「罪の意識」は極めて乏しいように感じました。

 マニュアルにも、そんな組織の様子が読み取れる部分がある。
「お金を稼ぐだけではなく、仕事に対する実践的な考え方から社会の常識やマナーに至るまで、あらゆる点で一人前以上の社会人として活躍できる『人財』の輩出を目標に掲げています」
「大学生活をただ適当に過ごして、ぬるま湯につかっていた人間と、(学生のうちから)仕事を頑張って社会に出る準備をしていた人では、4年も時間があればどれほど差がつくか容易に想像できますよね」
 こうした言葉に続いて、敬語の使い方や、上司への報告・連絡・相談の「報連相」の徹底、身だしなみなど、社会人としてのマナーがびっしりと記されていた。格差社会の現実にも触れながら、「自分を高めることが大事」と謳っていた。その分量は、女性への近づき方や風俗への斡旋方法を記したページ数と同じくらいだった。
 アメとムチがあるこの「頑張れる環境」に、多くの「意識が高い」学生たちが集まり、グループ内では切磋琢磨する競争関係が生まれていた。
 元メンバーAは「この環境のおかげで”成長”できた」と語った。


 読んでいて、絶望的な気分になり、Kindleを床に叩きつけたくなりました。彼らは「意識が高い」し、「成長する」ために頑張っているつもりなのです。でも、そこには「自分以外の人間への想像力」が、欠落している。
 「自分のためには、他者を踏み台にしても構わない」という価値観が、彼らをつくってしまった。いや、彼らもまた、ある種の「洗脳された被害者」なのかもしれないけれど、僕はそこまで博愛主義にはなれないので、彼らに共感はできないのです。
 
 この本の「はじめに」で、記者のひとりは、こう書いています。

 半グレがメンバーに配っていたマニュアルには「このままあくせく働いても成りあがれない社会にあって、自己実現や夢を叶えるための行為だ」という言葉が躍る。その言葉は、一部の学生たちにとって、社会が積み上げてきた規範よりも、響くようになっていたのだ。たとえ誰かの人生を破壊したとしても。
 それが犯罪組織の変貌と言うより、価値観の変貌に思えた瞬間だった。


 なんで有名大学(「スパイラル」には、京都大学の学生もいたそうです)の学生が、こんなことをやったんだ……と驚かずにはいられなかったのですが、そんな「賢い」はずの人間でさえ、京大を卒業しての自分の未来を信じられず、こんな刹那的で人を傷つける「ビジネス」を選んでしまったことに、僕は暗澹たる気持ちになるのです。
 もちろん、「賢さ(学校の成績)」と「モラル」は、つねに比例するものではないのだけれど。


 この本のなかでは、中国の裕福で教育熱心な家庭から、父親が中国残留孤児の女性と再婚したことによって日本に渡ってきて、そこでひどいイジメにあったことから、『怒羅権』という半グレのルーツとなった組織をつくった人への取材も紹介されています。
 言葉も通じない国で、理不尽にいじめられ、暴力で戦うしかなかった、というのは、僕にとっては「良いことではないんだろうけど、自分が同じ立場でも、そうしたかもしれないな……」と納得できるものではあったんですよ。

 若者に仕事がない沖縄から、「振り込め詐欺」のお金の受け取り役としてスカウトされてきた人の話など、「悪いことをする連中のなかにも『格差』があって、すぐに逮捕されるような役回りは『底辺』がやらされるのだな……」と思い知らされます。

 「まずは自分のことが大事」「他人のために自分が犠牲になる必要はない」「騙されるやつらは勉強や努力が足りないから養分にされるんだ」
 「みんなのため」が優先される社会から、「まずは自分が大事」な社会へ。
 「自分優先主義」が歪んだ形で突き詰められると、こういう「自分では意識が高いつもりの、人でなし」が大勢生み出されてしまうのです。
 そして、そういう人を持ち上げたり、カリスマとして崇める人たちもいる。「半グレ」ではないかもしれないけれど、ネットでの「信者ビジネス」の蔓延も、この流れを汲んでいると思うのです。
 そんな人生が「幸せ」なのか、大金持ちの多くが、どこかで「慈善事業」や「寄付」にお金を使うようになっていくのは、結局のところ、お金があって、なんでも欲しいものが買えるだけでは埋められない感情があるからではないか。

 「自分さえよければいい」を突き詰めると「スパイラル」の一員となり、「自分と世界を救いたい」と思い詰めた人々が「オウム真理教」にハマっていったのです。
 それは極論だろう、と言われるかもしれませんが、「極論」に魅力を感じる若者は、どの時代にもいるのでしょう。
 バランス感覚が大事なのだ、と言うのは簡単だけれど、それはそれで、中途半端になりやすいものではありますし。


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