琥珀色の戯言

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【読書感想】第164回芥川賞選評(抄録)


Kindle版もあります。



「文藝春秋」の今月号(2021年3月号)には、受賞作となった、宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』の全文と芥川賞の選評が掲載されています。


恒例の選評の抄録です(各選考委員の敬称は略させていただきます)。

川上弘美
今回の作品の中でわたしにとって一番無謀なことに挑もうとしているのは、砂川文次さんでした。「小隊」の舞台は、北海道。語り手は自衛隊の小隊長。なぜか、そしてどのような経緯でかの説明は何もなしに、突然ロシアとの戦闘が始まります。直前までの日々、語り手は戦闘に備えた演習を行ってきました。戦闘が始まるとは予想もせずに、語り手の心は、戦闘という現実についてゆけません。けれど訓練された体は、知らず戦闘の体勢を取ってしまう。同僚が死ぬ。敵を殺す。砲撃が激しくなる。その間、語り手の心にふと浮かぶのは、遠く暮らす恋人のインスタグラムだったりします。作者は、自分の作りだした語り手に優しくありません。かといって厳しいというのでもない。作者は、ただ描写しているのです。突然の理不尽が降りかかった時、人はどのように苦しみ怒り耐え放心しそれでも生きつづけるかを示すために。「新型コロナ禍」という言葉は影も出てこないこの小説を読みながら、わたしは「今この時」について何回連想させられ何回考えさせられたことでしょう。一番に推そうと思い、選考の場に臨みました。

奥泉光
今回の選考会では、九人の委員中、自分を含め五人がリモートで参加する変則的な形になったが、最初の段階で、受賞作となった宇佐見りん「推し、燃ゆ」に票が集まったこともあり、比較的スムーズに進行した。自分の本作の受賞に異存はなかった。欠落を抱えた主人公がアイドルを徹底して「推す」ことで自己の発見に至る物語──

松浦寿輝
 宇佐見りん「推し、燃ゆ」の主人公は、生き辛さをアイドルの追っかけでかろうじて凌いでいる若い女性で、わたしなどにとっては、性も違い世代もかけ離れ、せいぜい日本人という共通点がある程度で、正直なところ、まあ異星人のようなものである。自分の部屋に「推し」の「祭壇」を作ることが救いになる。それが生活の「背骨」になるといった心のメカニズムにしても、一応知的に理解はしても、何一つ共感するところがない。
 にもかかわらず、リズム感の良い文章を読み進めて、その救いの喪失が語られ、引退した「推し」のマンションを主人公が未練がましく見に行くあたりまで来て、不意にじわりと目頭が熱くなってしまったのは、いったいどういうわけなのか。共感とも感情移入ともまったく無縁な心の震えに、自分でも途惑わざるをえなかった。主人公の嗜好も生活感情も世界との違和感も、ごく特殊なものでありながら、宇佐見氏の的確な筆遣いによって、どこか人間性の普遍に届いているからだろう。

島田雅彦
現実世界のみならず、小説においても、少女は濫用され、聖性と俗性を過剰に付与されて、美化され、汚されてきた。だが、小説は同時に彼女たちに逃げ場と復讐の機会を与え続けてもきた。かわいそうな少女たちをどう扱うか、今回はその試案がいくつか提供されたといえる。
『推し、燃ゆ』は不器用で、何事もうまくいかない少女とアイドルの「リモート」的関わりの馴れ初めから決別までを描きつつ、ヒロインが自意識からのエクソダスを図るという物語であるが、無意識から意識が立ち上がるその発語のスリリングな瞬間が連続しており、その躍動感に自分まで少女になったような錯覚を覚えた。不愉快な現実からの逃避として一括整理されがちな「追っかけ」の心理の解剖としても一級の資料的価値がある。感情と分かちがたく結びついた論理がレディメイドの文章の型を踏み外してゆくそのスタイルの発展形を是非見てみたい。

小川洋子
今回、候補作の中に登場した少女たちの中で、『推し、燃ゆ』の”あたし”の声が、最も生々しく届いてきた。彼女はいつでも”あたし”のための言葉で語っていた。アイドルと二人だけの狭い世界にしか居場所を持っていないその声は、自らを映し出す鏡となっている推しに反射し、更に彼女の肉体を通して読者の胸に響いてくる。
 本作に心を惹かれたのは、押しとの関係が単なる空想の世界に留まるのではなく、肉体の痛みとともに描かれている点だった。彼女は自分のからだへの違和感から逃れられずにいる。誰かに勝手にややこしい存在にされてしまったような、苛立ちを抱えている。

山田詠美
驚いた。候補になった五作品の内、四つが少女を主人公にしたり、重要なモチーフとして使ったりしている。偶然なのか、はやりの「この御時世」ってやつなのか。それとも……考えていると暗澹たる気持になって来るので、さっさと選評に移ろう。
『小隊』。この作品だけ気の毒な少女が出て来ない。<憤懣と憎悪とその他雑多な想念に押しつぶされそう>な男たちの戦闘の描写が、これでもかと続く。軍事系マニアでない読み手には、とてもつらい。映画『プライベート・ライアン』の一番埃っぽい戦闘シーンを切り取ったような退屈さ。冒頭に登場するグラマーでエッチなお姉さんを、もっと活躍させてほしかったです。

平野啓一郎
 私は『推し、燃ゆ』を推した。「けざやか」という古語を何となく思い出したが、文体は既に熟達しており、年齢的にも目を見張る才能で、綿矢りさ金原ひとみ両氏の同時受賞時を想起した。しかし、正直に言うと、寄る辺なき実存の依存先という主題は、今更と言っていいほど新味がなく、「推し」を使った現代的な更新は極めて巧みだが、それは、うまく書けて当然なのではないかという気もする。結末もまた心憎いが、本当に主人公のような境遇の女性に相応しいのだろうかと、疑問が残った。

堀江敏幸
緊急事態宣言が出されるまでの不安定な日々のなかで展開される乗代雄介さんの「旅する練習」も、「生き延びる」方法の模索だ。サッカーのプロを目指す小学六年生の姪と、叔父で小説家の語り手が、我孫子から鹿島を踏破する趣向や文学紀行的な構成が巧みで好感を抱いたが、水鳥の死骸が登場する辺りから死の影が濃くなりすぎる。この作品が要請しているのは、失われたものに向かって読み手を誘導するパス回しではなく、実戦に至らないリフティングのゆるやかな持続の果てに現れる風景だったのではないか。

吉田修一
「推し、燃ゆ」
 残念ながら目新しさを感じないまま読み終えてしまった。文学の新人賞界隈でよく見かける少女というか、そもそも推しに依存して生きる人生の何がいけないのかが分からない。今作とは関係ないが、友人に元光GENJIをまだ推している50歳女子というのがいて、この小説のように青春期に推しが都合よく引退してくれなかったものだから、未だに大変なことになっている。ただ、もう突き抜けたその姿は清々しい。今作の主人公がいつかそんな姿を手に入れることを心から願っている。


 今回も、前回に続いて、新型コロナウイルス禍のなかでの選考会となりました。まさか1年以上もマスク生活になろうとは、医者の僕でも予想できなかったのです。
 ただ、今回の芥川賞では「コロナ禍小説」みたいなのは候補になっておらず、東日本大震災のしばらく後に、いとうせいこうさんが『想像ラジオ』を書いたように、あまりにも重すぎる世界の変化は、「小説に、フィクションに昇華される」には、少し時間を必要とするものなのでしょう。

 それにしても、ノミネートされた5作品のうち、『小隊』を除く4作品が「かわいそうな少女」を主人公や重要な登場人物にしたものだったとは。

 「発達障害」というのが最近の世の中ではかなり知られるようになってきているのですが、「生きづらさ」あるいは「生きづらい人」=「発達障害」みたいに解釈されがちではあるんですよね。
 でも、受賞作の『推し、燃ゆ』のなかで、主人公と姉、母親とのやりとりのなかで描かれていたように、「なんとか現実に適応できてしまっているがゆえに、『頑張る』ことから逃げられない、病名がつかない人々」も、やっぱり、「苦しい」。
 かえって、「なんとか踏ん張っている人たち」のほうが、置き去りにされていると感じている。

 『推し、燃ゆ』も、ある意味「若い女性」が主人公だから「読まれる小説」になっているところがあって、もしこれが、アイドルを「推し」ている僕くらいの年齢の「KKOキモくて金のないオッサン)」の話だったら、誰も見向きもしないか、ひたすらバカにするだけになるのではなかろうか。
 絶望も極まると、小説にはならない。

 「選評」を読むと、時代を象徴したテーマと文章力、そして、作家のスター性を併せ持った『推し、燃ゆ』は評価が高く、授賞に反対する選考委員もいなかったようでした。
 ただ、そのなかでも、平野啓一郎さんのように【「推し」を使った現代的な更新は極めて巧みだが、それは、うまく書けて当然なのではないかという気もする。】と感じた人もいれば、吉田修一さんのように【今作とは関係ないが、友人に元光GENJIをまだ推している50歳女子というのがいて】と「余計な脱線」をしてしまった人もいるのは印象に残りました。
 吉田修一さん、社会の「弱者」にも目を向けて作品を書いてきた人なのに、『推し、燃ゆ』の「推し」は、「娯楽や趣味として誰かをずっと熱心に応援すること」とは次元が違う、ということに思い至らなかったのだろうか。
 ただ、こういう「自分に興味がないことには、自分のモノサシで強引に測って、『理解したつもり』になってしまう」というのは、僕もよくやってしまうことではあります。
 ある意味、宇佐見りんさんも、自分の「誰かを推している姿」を客観的にみる能力があればこそ、こうして作品にできているわけだし、作品の主人公は高校を中退しても、作家はちゃんと大学に通っているのです。

 本当に溺れている人間は、言葉を持たない。
 そう決めつけてしまうのは、文学の敗北を認めることなのかもしれないけれども。

 あと、『小隊』について長めに言及している「選評」がけっこうあったんですよね。この作品だけ、今回は毛色が違った、というのもあるのでしょうけど、山田詠美さんが「映画『プライベート・ライアン』の一番埃っぽい戦闘シーンを切り取ったような退屈さ」と評しておられ、読んでみたくなりました。あれを言葉にできているのなら、それはそれでたいしたものではなかろうか。

 今回の受賞作『推し、燃ゆ』は、芥川賞としては比較的読みやすく、わかりやすい作品なので、「純文学なんて難しそう」と敬遠してきた方にもおすすめです。
 個人的には、『推し、燃ゆ』を読んで、綿矢りささんが受賞した2004年の第130回から17年、ほぼひと世代が経ち、やっぱり歴史は繰り返すものなのかな、なんて、ちょっと思いました。


『推し、燃ゆ』の感想はこちら。
fujipon.hatenadiary.com

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