琥珀色の戯言

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【読書感想】世界の研究者が調べた すごすぎる実験の図鑑 ☆☆☆


Kindle版もあります。

明日、必ず誰かに話したくなる!
世界の研究者が調べた実験の実例集100

図解、イラストでわかりやすい!
「近い未来に不老不死が実現してしまう?」
「名前を付けられたウシはたくさん牛乳が出る?」
「ネットのプロフ写真で変化する相手の反応とは?」
などなど、知的好奇心を刺激する科学雑学が満載の一冊です。


本書は、「不老不死は実現する?」といった最先端のテーマから、「隣に人がいるとおしっこは出にくくなる?」といった日常の些細な疑問にスポットを当てたもの、さらに「核戦争が起きてもゴキブリは生き残ることができる?」のような昔からよく知られたウワサに関するものまで、古今東西の科学者たちが行った、さまざまな100の実験&研究を集めた一冊です。

そのジャンルは心理学、生物学、脳科学人工知能再生医療、教育など多岐に渡りますが、いずれも非常にユニークなものや、思わず「へえ~」と言ってしまうもの、あるいは「なぜそんな実験をしたんだ⁉」というエキセントリックなものを厳選しているため、「科学はちょっと苦手」という人でも最後まで楽しく読んでいただけると思います。


 世の中には、いろんな「実験」をしている人がいるのです。
 その結果が、何かの役に立つのか?と考え込まずにはいられない実験や、人類にとって役には立つかもしれないけれど、被験者のリスクが高すぎる、という実験もあります。
 
 この本は、世界の研究者がこれまでに行ってきた、さまざまな実験とのその目的・経過・結果が紹介されているのです。
 実験の環境が比較的整備されてきたといえる、20世紀、なかでも第二次世界大戦後のものが中心です。

 「世紀の大発見!」というようなものよりも、「面白いのは間違いないけど、よくこんなことを手間や費用をかけてやったな……」と思うような「イグ・ノーベル賞」的なものが多くを占めています。


fujipon.hatenadiary.com


 この本を読むと、僕がこれまで「ランダム」とか「偶然」だと思っていた出来事にも、多くのデータを集めて検証してみると、一定の傾向がみとめられることがあるようなのです。

「じゃんけんに必勝法がある?」という項では、こんなデータが紹介されています。

 たとえば、相手が「グー」「チョキ」「パー」のどれを出すかは、1/3の確率のように思えますが、数学者の芳沢光雄が1万1567回のじゃんけんの記録を調査したところ、じゃんけんで出す手の割合はグーが35.0%、チョキが31.7%、パーが33.3%という結果になりました。つまり、最初はグーに勝てる手の「パー」を出すのが、統計上は最も勝つ確率が高いというわけです。なお、じゃんけんの世界大会を主催する「世界じゃんけん協会」の調査でも、グーを出す確率が35.4%、チョキを出す確率が29.6%、パーを出す確率が35%となっており、こちらのデータでも最初は「パー」を出すのが最も得策であることが示されています。
 また、あいこの場合、2回続けて同じ手を出す割合は22.8%しかなく、8割近くは手を変えることも確認できました。したがって、たとえばグーであいこの場合、相手は次にパーかチョキを出す確率が高いので、チョキを出せば勝ちか、あいこにしやすいということもあります。


 僕が子どもの頃、ドリフターズがじゃんけんで「最初はグー!」とやっていた影響がずっと続いていて、「最初はグーを出すのが習慣になっている人が多いのではないか」と思うのですが(そういえば「いかりや長介、頭はパー!」というくだりもありましたね。今のテレビ番組ではコンプライアンス的にアウトかも)、このデータを信用するのであれば、「必勝というより、わずかな差ではあるけれど、最初にパーを出すと、勝つ確率がもっとも高くなる」ことになりますね。
 あいこになったら、相手は次に同じ手を出す確率は低い、とも感じていて、「最初はグー」の後にはチョキを出すことにしていました。
 本当に大事なじゃんけんのときには、こういうデータを知っておけば少しは役に立つかもしれません。
 大人になってみると、「本当に大事なこと」が、じゃんけんで決まるという機会は、まず無いんですけどね。


 また、馬券についてのこんな話もありました。
 馬券というのは、買った時点で20~30%のお金がJRA日本中央競馬会)に徴収され、その残りの金額が配当として的中者に分配されます。それを考えると、やればやるほど、勝つのは難しいギャンブルなのですが、2009年に東京都内のデータ分析会社が競馬ファンドとして年10%程度のリターンをあげていたというニュースが報じられました(報じられたのは、この会社が160億円の所得隠しを摘発されたから)。

 では、この会社は一体どんな方法でこれほどの好成績を残したのでしょうか? それはズバリ、「3連単馬券」の上位人気の馬券を網羅的に買うというものです。「3連単馬券」とは1~3着を順番に当てる馬券のこと。この競馬ファンドは独自のデータ分析で、3着までに入る可能性の低い馬券を除外し、億単位の金を使ってそれ以外の組み合わせのほとんどを購入するという方法をとっていました。これは莫大な資金力があるからこそできる方法ですが、なぜ「3連単馬券」の上位人気を網羅的に買うことが、安定した利益につながったのでしょう?
 このニュースに関心を持った慶應義塾大学の研究者たちは、2009年にJRAが開催した全3453レースを分析。その結果、「3連単馬券」においては、「本命ー大穴バイアス」が顕著に表れていたと結論付けました。「本命ー大穴バイアス」とは、人気のある本命馬券よりも、当たる確率が低い大穴馬券に過剰な人気が集まる現象のことです。特に「3連単馬券」では1000倍を超えるオッズが付く組み合わせも珍しくありません。仮に100円だけ買っても10万円、もし1000円買っていれば100万円になるのですから、まず当たらないとは思いつつも、「万が一」に期待してスケベ買いする人も増えてきます。競馬ファンドが狙ったのはまさにここで、強欲な人たちが大穴馬券を買ってくれたことで、全体的に本命サイドのオッズが上がり、結果、幅広く買い目を網羅しても安定して利益を出せたというわけです。


 どんな実験でも、その対象者が「人間」であるかぎり、「思い込み」とか「欲望」みたいなものが反映されるのです。
 競馬をやっていると、3連単は「こんな人気薄の馬が来ていても、案外配当安いな」と感じることが多いのです。
 僕自身は大穴狙いよりも、配当は安くても当たって喜ぶ頻度を増やしたい、という本命党なので、3連単はほとんど買わないのですが。
 逆に言えば「そう簡単には当たらない3連単を買うのだから、100円が10万円とか100万円になるような夢のある馬券を買いたい」という気持ちもわかるのです。

 「この馬が万が一来たら配当が上がるから」と穴馬をボックス馬券に入れてしまって買い目を増やすのも「ありがち」ですよね。
 こういう「人間心理の傾向」みたいなものをうまく利用して稼いでいる人もいるのです。
 これはもう、かなりの資本とデータの蓄積、そして試行回数がないと、プラスに収束しないとは思うのですが。


 この本のなかで興味深かったのは、過去の有名な実験について紹介するとともに、「その後」について触れられているものがけっこうあったことでした。

 1964年にニューヨークで衝撃的な殺人事件が起こりました。深夜に帰宅途中のキティ・ジェノヴィーズが自宅前で襲われた際、助けを求める叫び声によって付近の住民38人が緊急事態に気が付き、一部は襲われる様子を目撃していたにも関わらず、警察へ通報することも助けることもせず、結局彼女は殺されてしまったのです。


 この事件は「都会人は他者に対して冷淡だ」という文脈で大々的に報道されたそうなのですが、ラタネとダーリーという心理学者たちが、「多くの人が目撃していたからこそ、(他の人がどうにかしてくれるだろうと思って)誰も行動を起こさなかった」という仮説を立てました。
 彼らは、1968年に大学生のグループでの議論の途中に、参加者(実験協力者)が(演技で)発作を起こして苦しみはじめた場合、そのグループが2名、3名、6名の場合、他の参加者の行動に違いが生じるかを検証したのです。

 その結果、2名のグループでは最終的に全員が行動を起こしたのに対し、6名のグループでは38%の人が行動を起こさなかったことが確認されました。
 つまり、キディ・ジェノヴァーズ事件は、「都会人が冷淡」だからではなく、「多くの人が見ていた」ために誰も助けなかったことが裏付けられたのです。ラタネとダーリーは、これを「傍観者効果」と名付けました。


 この実験の話はどこかで耳にしたことがある人も多いでしょうし、結果についても、実感として頷けるものではあります。
 しかしながら、そのきっかけとなった事件について、この項の終わりには、こう書かれているのです。

 このキティ・ジェノヴァーズ事件と傍観者効果の実験は、社会心理学を学ぶ際には必ず触れられるほど有名なものですが、当時の住民たちの証言から、目撃者の数や誰も警察に通報しなかったという話の信憑性に疑問が投げかけられています。また、当時は緊急通報システムがなかったといった社会的背景についても、考慮に入れるべきでしょう。


 この事件を伝える側に「都会人は冷淡だ」という先入観があったのかもしれません。
 「自分が言いたい『結論』ありきの取材をする記者」は、半世紀前にもいた可能性があります。

 この本を読んでいると、僕がこれまで社会心理学の「実験で証明された」と思っていたことの多くが、後の研究者の実験では再現性がなかったり、適切とはいえない条件下で行われていたりしており、現在では「眉唾物」とされていることもわかるのです。

 「発見」や「事件」は大々的に報じられるけれど、「誤報」や「訂正」は、よほどスキャンダラスなものでなければ注目されることはないのです。


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