琥珀色の戯言

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【映画感想】モリコーネ 映画が恋した音楽家 ☆☆☆☆☆

あらすじ
多くの映画やテレビ作品で音楽を手掛け、2020年に逝去したエンニオ・モリコーネ氏。クエンティン・タランティーノ監督やクリント・イーストウッドらが彼に賛辞を贈る一方、自身は映画音楽の芸術的価値が低かった当時の苦しい胸のうちを明かす。『荒野の用心棒』での成功、『アンタッチャブル』で3度目のアカデミー賞ノミネートとなるも受賞を逃し、落ち込む様子なども描かれる。


解説: 『荒野の用心棒』『アンタッチャブル』など多数の映画音楽を手掛けてきたエンニオ・モリコーネ氏が、自らの半生を回想するドキュメンタリー。かつては芸術的地位が低かった映画音楽に携わり、何度もやめようと思いながら続けてきた日々を振り返る。『ニュー・シネマ・パラダイス』などでモリコーネ氏と組んだ、ジュゼッペ・トルナトーレが監督を担当。クエンティン・タランティーノクリント・イーストウッドウォン・カーウァイオリヴァー・ストーンらがインタビューに応じている。


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2023年映画館での鑑賞2作目。
地方都市の1日1回上映で、夕方から。
観客は10人くらいでした。


エンニオ・モリコーネという音楽家を知っていますか?
日本でも、長年の映画ファン、映画音楽ファンは「知っていて当たり前」だと思うのですが、一般的な知名度は、それほど高くはないかもしれません。
ニュー・シネマ・パラダイス』の音楽を作った人、と言われれば、あの聴いただけで涙腺崩壊しそうなメロディを思い出す人は多そうです。

僕はけっこう長い間、「人の声(ボーカル)が入っている歌謡曲、とくに愛とか恋とかの歌」が苦手で、ゲーム音楽や映画音楽ばかり聴いている時期がありました。
そんな僕でも、モリコーネですぐに頭に浮かんでくるのは、マカロニ・ウェスタンをたくさん作曲した人、というのと、人が滝を流れ落ちていくシーンだけが記憶に残っている『ミッション』、そして、日本でも「感動作」として話題になった『ニュー・シネマ・パラダイス』くらいなのです。

それでも、映画音楽とか、映画音響という「技術」の世界に興味があったのと(Netflixで映画音響のドキュメンタリーを観たこともあって)、『ニュー・シネマ・パラダイス』の音楽が好きだったので、この映画を観に行くことにしたのです。
ちなみに、『ニュー・シネマ・パラダイス』の映画自体は、観たら泣いてしまうけれど、あのエンディングは「あざとい」感じがしてちょっと苦手です。あの映画の仕事は、モリコーネ自身も、映画音楽から離れようというタイミングでオファーされたもので、実験的なモリコーネ作品とは違って、かなり楽しんで作った、やや異質なものであったように思います。

正直、僕はモリコーネ大好き!というわけではなかったけれど、なんだかすごく気になってこの映画を観たのです。
だからこそ、エンニオ・モリコーネという現代音楽の音楽家を目指した人が、最初は食べていくために歌謡曲の編曲や映画音楽を手掛けるようになり、「前衛的でお金にはならない現代音楽と、その音楽家たち」にコンプレックスを抱きながら、西部劇や戦争映画の音楽、歌謡曲をつくりつづけてきたことに人生の不思議さ、縁、みたいなものを感じずにはいられませんでした。
モリコーネ自身は、10年おきに「あと10年で映画音楽はやめる」と言っていたそうで、それが、30年、40年と続き、「最後には、もうやめるとは言わなくなった」。
彼ほどの評価を受けつづけた人が、晩年になるまで、自分の仕事と「本来目指していたもの」との和解ができなかったのか……


僕がこの映画でのモリコーネを観ていて思い出したのは、サッカーのオシム監督の姿だったのです。
オシム監督も、数学が得意で、常に「考え尽くそうとしている人」でした。
スポーツとか音楽、アートというのは「センス」とか「才能」が全てだと考えがちだけれど、「思いつき」「ひらめき」というのは、その根底に「基礎知識」や「これまでそのジャンルで行われてきた経験の蓄積」、そして「徹底的に考え抜くこと」がなければ生まれてこないのだな、と痛感させられました。
「型」を知り尽くしていなければ、「型破り」はできない。
自分だけすごいことをやっているつもりで、「型」の掌の上で踊っていて、そのことに気づかない。

この映画は、モリコーネの大ファンである『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレが監督をつとめているドキュメンタリーなのですが、過去の作品については、モリコーネ自身がライナーノーツのように語っている場面が多く、それが最大の見どころであるのと同時に、僕がついハリウッド映画やドキュメンタリーに期待してしまう「私生活でのトラブルや逆境からの復活」などの負の面や批判的なコメントはほとんど含まれていません。
本人がひたすら自作を語り、ファンたちがみんな「モリコーネすげー!」と讃えている「だけ」のドキュメンタリーなのです。
でも、モリコーネの音楽が映画というジャンルの「見せかた」を変えていくのを2時間半で体験できるのは、本当にすごい。

映画音楽の巨匠の作品だから、名作の音楽がたっぷり収録されているのかと思いきや、どの作品についても、そんなに長く収録されてはいません。『ニュー・シネマ・パラダイス』のテーマ曲が流れてきたときには「もっと聴かせてくれればいいのに」と思ったのですが、監督もあまり身びいきはできなかったでしょうし、そもそも、名作が多すぎる。
『ミッション』とか、「人が滝から流れ落ちていく映画」だという記憶しかなかったのですが、映画そのものをちゃんと観てみよう、と思いましたし、これまで興味がなかったマカロニ・ウェスタンも「音楽」に注目して観てみたくなりました。

モリコーネをよく知らなかった僕は、モリコーネの初期作品(日本では未公開のものが多い)で、モリコーネはどんなふうに既存の「映画音楽」のイメージを打ち破っていったかをこの映画ではじめて知って、その革新性に驚いたのです。

モリコーネ音楽学校でペトラッシという現代音楽の大家に師事しており、その師弟関係はずっと続いていくのですが、あらためて考えてみると、モリコーネという人は、妻をずっと大事にしていたし、同じ監督と何度も、長期間にわたって仕事を続けています。
つくる音楽に関しては、常に新しいことを学び、採り入れていったのに。

いかにも「その映画、その場面らしい(とその時代に考えられていた)曲」をあてはめるのではなく、現代音楽家として、あえて緊張感に満たされた場面で優雅な曲を使ったり、不協和音をやノイズを取り入れたり。
そういえば、日本でも、スタジオジブリの作品には欠かせない久石譲さんは現代音楽が基盤にある人ですし、すぎやまこういちさんはクラシックから歌謡曲やCMソングを経て、ゲーム音楽に携わった方です(『ファイナルファンタジー』の植松伸夫さんのように、芸大レベルでの専門教育を受けていなくても、素晴らしい作品を残している例外もあるのですが)。


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ドラゴンクエスト』の作曲の依頼を受けたときのすぎやま先生は、もう50代半ば。
ポップスの作曲家としては、「転機」にさしかかり、仕事も減ってきた時期だった、とのことでした。

すぎやまこういちそして無事、ドラクエの音楽の仕事がスタートしました。最初に打ち合わせした時、音楽はすでにできていたんですよね。


中村光一すでに、ゲームとしてはほぼ出来上がっていて、曲も仮のものが入っていたと思うんですが、先生にお願いできることになったので、どういう場面があって、どういうストーリーなのかをお話させていただきました。すでに締切直前で、8曲近くを1週間で作っていただくことになってしまった。さすがに1週間じゃ無理だろうと思っていたら、きっちりあげてくださって。当時は容量が少なかったので、和音もオタマジャクシ(音符)も少なめでお願いしますという制約まであったのに、です。


すぎやま:2トラックでね(笑)。その時、ゲームについていた音楽を一応、聴かせてもらったんですが、「これはヘボいわ」と(笑)。製作期間が1週間でも引き受けたのは、それまでに2000曲近く作っていたCM音楽では、「締め切りは明日の朝」なんていうこともしょっちゅうありましたから。1週間あれば何とかなるだろうと思いましたよ。
 でも、フィールド曲の「広野を行く」は最初、中村さんの評価はあまり良くなかったんですよね。


中村:私のイメージとしては、勇ましく、いかにも「冒険に行くぞ!」という感じの曲がいいなと思っていたのですが、先生が書いてくださった曲は、どこか寂しくて、不安感があるという印象だったんです。ところが、ゲームと合わせて実際に曲を流しながら動かしてみたら、スタッフには結構好評で、みんな口ずさむようになっていました。


すぎやま:はじめての、たった一人での冒険だから、不安や寂しさに照準を合わせたんだよね。勇ましさや意気込みというイメージに一番近いのは、『3』の「冒険の旅」ではないかと思います。


 前衛的な「現代音楽」は、クラシック以上に、日常でそれと意識して聴く機会は少ないと思うのですが、「もう、メロディが出尽くしてしまった感がある音楽の世界での新たなアクセント」になっていることが、この映画を観るとわかります。

 僕にとってのエンニオ・モリコーネは、物心ついたときには、もう「巨匠」だったのですが、「映画音楽が低俗なエンターテインメントとして現代音楽家たちにはバカにされていた時代から『アート』として認知されるまでの過程は、僕がこれまでゲーム音楽で体験してきたものと重なっているのです。

 映画音楽やゲーム音楽は、エンターテインメントだから、ウケるから価値が上がった、というだけではなく、モリコーネのような、あるいは、すぎやまこういちのような、新しい音楽と真摯に向き合ってきた人たちが、その技術と思索を込めて、進化させていった。
 より新しい音楽への挑戦への結果がお金と勢いがあるところに集まっていった。

 そんなに公開館が多い作品ではないのですが、モリコーネという人はあまり知らなくても、映画ファン、あるいはゲーム音楽ファンなら、大音量で楽しむために、ぜひ映画館で。それが無理なら、今後の配信サービスでも良いので、観ていただきたいと思います。



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