琥珀色の戯言

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【読書感想】エンタメ小説家の失敗学~「売れなければ終わり」の修羅の道~ ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

〈小説〉の舞台裏、お見せします。

いつの時代もあとを絶たない〈作家志望〉。実際にデビューまで至る才人のなかでも、「食っていける」のはごく一握りだ。とりわけエンタメ文芸の道は険しい。ひとたび「売れない」との烙印を捺されたら最後、もう筆を執ることすら許されない――。
そんな修羅の世界に足を踏み入れてしまった作家は、どのような道を辿るのか。華々しいデビュー、相次ぐ映画化オファー、10万部超えのヒット――。人気作家への道を邁進していたはずの小説家は、どこで何を間違えてしまったのか? 栄光の日々すら塗りつぶす数々の失敗と、文芸出版の知られざる闇。著者だからこそ語れる業界の裏事情が、編集者たちとの赤裸々エピソードで明かされる。


 僕自身も、こうして「書くこと」が大好きなので、作家・小説家というのは憧れの存在なのです。文章を書いて生活できたら、どんなに良いだろう、と思いながら、向いていそうもないサービス業に長年従事してきました。

 とはいえ、明かされている作家の年収を見ると、すごく稼いでいる人は、そんなに多くはないようです。
 村上春樹さんや東野圭吾さんのような大ベストセラー作家がいる一方で、作家の平均年収は200〜400万円と言われており、ほとんどの人は専業で生きていくのは難しいのです。
 昔、ある作家が、新人賞を獲ったときに編集者に最初に言われたのは「これで小説で食べていけると思って、今の仕事を辞めないでくださいね」だったと書いていました。
 今は、インターネットのおかげで、兼業作家もやりやすくなりましたし、ネットには小説家志望者の作品が星の数ほど公開されています。

 この新書の著者の平山瑞穂さんは、冒頭で、出版業界は、1996年のピーク時から20年以上市場の縮小が続いており、現在はピーク時の4割減となっていることを示した後、こんな自己紹介をされています。

 僕は小説家であり、2004年、『ラス・マンチャス通信』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞することでデビューしてから18年強にわたって、評論も含めれば29の作品(27の長篇と、短編集が2つ)を世に問うてきた。発表した作品の数として、決して少ないほうではないと思う。それも、新潮社、小学館KADOKAWA早川書房幻冬舎中央公論新社文藝春秋など、ほとんどはよく知られた、大手から中堅どころの出版社を版元としている。そこだけに目を向ければ、順調に作家としての階梯を辿ってきたように見えるかもしれない。
 しかし実のところ、その道のりは悪戦苦闘の連続だった。大手を振って「売れた」と言える本は、1冊かせいぜい2冊しかない。それ以外はことごとく初版止まりで、注目されることもなく、おびただしい刊行物の織りなす大海の藻屑として消えていった。
 毎回、「今度こそ」という思いを込めて、あの手この手で作品にさまざまな趣向と織り込んでいったが、どれもこれも不発に終わった。そして過去数年に至っては、自分名義の本を出版すること自体がきわめてむずかしくなっている。最近は、本業では食っていけず、ライター業に身をやつしてどうにか糊口をしのいでいるありさまだ。


 『日本ファンタジーノベル大賞』、って、酒見賢一さんが『後宮小説』で第1回の大賞を獲得した賞だよなあ、森見登美彦さんも『太陽の塔』で受賞したはず。地方自治体レベルの「○○文学賞」ならともかく、それでも売れるのは難しいのか……

 そう思いつつ、調べてみたのですが、2014年から16年の中断もあり、受賞者の名前を見てみると、受賞したからといって、全員がその後も売れるというわけではないことがわかります。

https://www.shinchosha.co.jp/prizes/fantasy/archive.html

 とはいえ、そう簡単に獲れるような賞ではありませんし、18年も作家として食べてきたというのは、すごいことですよね。
 『はてな』で、「単著もないくせに!」とバカにされ続けている僕としては、羨ましい限りです(共著すらありません)。
 

 しかし2010年代に入ったあたりから、リスクを負うまいとする業界の引き締め姿勢は目に見えて鮮明になっていった。まず、連載を持たせてもらえなくなり、次に文庫化があたりまえのことではなくなった。単行本として売れなければ、文庫化もしてもらえなくなっていったのだ。それでもしばらくは、書き下ろしならかろうじて単行本を出すことができたものの、初版部数は減らされていった。そしてついに、企画そのものが通らなくなった。


 平山さんの作品は、読者からの一定の支持は受けていたし、ファンだという編集者たちからも、ファンタジーノベル大賞を受賞した『ラス・マンチャス通信』のような作品を書いてほしい、というオファーがあったそうです。
 ただ、編集者たちは「売れる」「わかりやすい」作品を求めがちで(あるいは、社内事情でそう指向せざるをえなかった)、平山さんは、不本意な改稿を余儀なくされたことも多々あったようです。
 それで売れればまだ救われたのかもしれませんが、編集者のアドバイスに従って大幅に内容を変えても売れず、さりとて、自分が書きたいものをそのまま出してもらうためには「実績」が足りず、という状況が続いていきます。

 文庫で10万部をこえたベストセラーがあり、映画化などのオファーも来ていたものの、安定したベストセラー作家への壁を破れないまま、出版不況もあって、しだいに出した本は売れなくなっていき、仕事も減っていったのです。

 10万部というのは、文庫としてもかなりの数字だと思うのですが、それだけでは、将来の保証にはならないのか……
 新刊書が文庫になるハードルが、以前より上がっているそうですし。

 平山さんは、もともと「純文学」を目指しており、『群像』や『文學界』などの、いわゆる「芥川賞の選考対象となるような文芸誌」の新人賞に投稿したそうなのですが、なかなか世に出ることができず、目先を変えてミステリやホラーなどの新人賞にも応募することを思い立ち、その結果、「ラス・マンチャス通信』で、『日本ファンタジーノベル大賞』を受賞しました。
 『ラス・マンチャス通信』は、もともと純文学作品として文芸誌に投稿していた作品を手直しして応募したものだったそうです。
 そこで「斬新な作品」だと評価され、大賞を受賞し、平山さんは世に出ることになったのですが、「もともとエンターテインメント作家志向ではなかった」ことは、その後の「エンタメ小説家」としてのキャリアに影響があったのではないかと思います。
 作家性が高く、独自の世界観をつくることができたのは、エンタメの賞の選考では「他者との差別化」に繋がり、武器になったけれど、職業作家としては、一般読者にはちょっと難しくなりがちで、読者サービスやエンターテインメントに「振り切る」こともできなかった。
 ただ、下手にそちらに振り切ってしまえば、「らしさ」を失い、ありきたりの売れないWEB小説サイトの投稿者レベルになってしまったかもしれないし、なんというか、才能と運と縁の世界なんだな、としか言えない気もします。

 仕事にできる、お金になるくらいの能力があるって凄いことだけれど、それがトップクラスの収入や地位に結びつくほどでもなく、なんとか食べていける程度だったら、どう生きればいいのだろうか。

 プロ野球にドラフトで指名されたけれど、一軍と二軍を行ったり来たり、だとか、YouTuberとしてなんとか生きていけるくらいの収入はあるけれど、ヒカキンは遥か遠くで、これから自分がやっていけるか自信を持てない、とか。

 もっと本人が頑張っていれば、大谷翔平やヒカキンになれたはず、と傍観者は言うかもしれないけれど、同じ世界で生きているからこそ見えてしまう「圧倒的な差」もあるのだと思います。

 まあでも、ベテランがいきなり大ベストセラーを出したり、死後に評価されたりするのも小説の世界ではあります。
 ……とは言うものの、現実的には、そんなこともなくフェードアウトしていったり、ライター業や他の仕事で食べていったりして、一生を終えてしまう「小説家にはなれたけど……という人」のほうが、ずっと多いのだよなあ。


 この本の中で特に印象的だったのは、この文章でした。

 読む作品のタイプにもよりけりなので、一概には言えない。もちろん、「その気持ち、わかる、わかる!」と共感できる部分があるかどうかを問う場合もある。しかし「共感できるかどうか」は、実のところ、僕にとってそれほど重要なファクターではない。たとえ登場人物の誰にも共感できなかったとしても、その他の面で十分な説得力なり美点なりのある物語であれば、「読み応えがあっておもしろかった」と満足するケースも往々にしてある。
 そして、小説に対する僕のこうした嗜好は、そっくりそのまま、小説家としての自分の姿勢につながってくる。僕は何よりも、自分が読みたい小説、自分が読んで満足できる小説を書きたいという思いの元に、自分の作品を執筆してきたのだ。能力がそこに及ばなかったり、その他の外因的な事情(多くは、版元からの要望など)によって思いを果たせていなかったりすることも多々あるが、僕が自分の小説を書く際に、先に列挙したような条件を可能なかぎり多く満たすものを書こうと常に心がけていることはまちがいない。
 逆にいえば、読者として「共感」を重要視していない僕は、小説の書き手としても、そこにあまり比重を置いていない。そもそも、読者から共感を得ようなどとはこれっぽっちも思っていない場合さえある。そのとき僕が目指しているのは、なにかそれとはまったく別のことなのだ。
 ところが、どうやら一般読者の大半は、最初から「わかる、わかる!」という共感を求めて小説を手に取っているようなのだ。そして、作中に共感できるポイントを見出せなかった場合、その作品は「共感できなかった」のひとことで切り捨ててしまう。彼らにとって「共感できない」とは、「つまらない」と同義なのだ。
 驚くべきことなのかもしれないが、プロの小説家になってからもなおしばらくは、僕はそのことに気づいていなかった。


 僕自身も「共感できる」よりも、むしろ、「世の中には、僕には理解しがたい思考回路で生きている人がいる」ことを知るために小説を読んでいるような気がするのです。
 「登場人物全員がいい人」「後味が良い結末」が嫌いなわけではないけれど、せっかくだから、現実では友達になれない、近づきたくないような人の話や、常識を揺さぶられるような物語を読んでみたい。

 でも、読者の多くは、「その気持ち、わかる!」って言いたいのです、たぶん。
 本にこだわりがない人が、お金と時間を使って本を読むのであれば、それが快適な体験であってほしい、というのも理解できます。

 ただ、安易に共感させようとするだけの小説というのを見透かしてしまうくらいの眼力は「一般読者」も持っているんですよね。
 「売れる」のは難しいし、「売れ続ける」のは、もっと難しい。

 「大ベストセラー作家にはなれていないけれど、小説家として18年生き延びてきた人」の編集者との関係や「何を考えて作品を生み出してきたか」が肉声で語られている、すごく貴重で、興味深い内容でした。

 「小説家、あるいはクリエイターになりたいと思っている人」は、ぜひ読んでみることをおすすめします。


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