琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

「とっさに言葉が出てこない」「アイスブレイク的な雑談が苦手」「飲み会で昔の話ばかりする大人になりたくない」……そんな時、話題の本や漫画、最新の映画やドラマについて魅力的に語れる人は強い。社会や人生の「ネタバレ」が詰まったエンタメは、多くの人の興味も引く。ただ、作品を読み解き、その面白さを伝えるには、実は「コツ」がある。気鋭の文芸評論家が自ら実践する「『鑑賞』の技術」を徹底解説!


三宅香帆さん、売れてるなあ、勢いあるんだなあ、というのがこの本を読み終えての印象でした。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』『「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』と、文芸書が売れない時代に、「文芸評論」的な内容でベストセラーを連発しているのは、本当にすごい。


fujipon.hatenadiary.com
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その一方で、この『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』に関しては、三宅さんが以前文芸誌に連載されていた本や映画などのコンテンツへの感想をまとめて、キャッチーなタイトルをつけただけ、という感じはしたのです。

文芸批評としては「すらすらと読める」し、メジャーな作品が多いので、自分の感想とも照らし合わせやすい。
これを読んでみようかな、と思うような作品もけっこうありました。

でも、これが「文芸批評」なんだろうか?


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この『批評の教室』を読んで痛感したのですが、「批評」とか「評論」というのは、そんなに簡単なものじゃないと思うのです(だから僕は自分が書いているものは、ずっと「感想」だと言っています)。

 しかしお笑い芸人の方々のように、自分の身のまわりに起きた面白いエピソードをすべらない話として語るのは、とても難しい。なぜなら普通の生活を送っている私たちにとって、面白いエピソードなんてなかなか生まれないから。面白いこと、そうそう起きないじゃないですか!? だから本書で目指すのはけして、すべらない話をすることではありません。

 そうではなく、だれでも目指せる「話が面白い」こととは、

 インプットした内容を、面白く語ることができること

 です。たとえばフィクションもノンフィクションも含めて本を読んだり、ドラマや映画、あるいはドキュメンタリーを観たりして、さまざまな面白い話を「仕込む」。
 そして、その話を自分なりに「解釈する」。そのうえで、誰かと話すときにその話題を使うことができれば、話が面白くなります。


このタイトルであれば、「日常会話で相手に自分の魅力を感じてもらえるようにする読書術」というノウハウをまとめた内容だと思いますよね。
でも、書かれているのは「本の感想をSNSやブログに残し、それなりの数の人に見てもらうためのコツ」なんですよね。

なんだか、一時期ブログ界隈をにぎわした「アクセスを稼いでアフィリエイト収入で自由な生活!」を標榜していた人たちを思い出しました。

彼らは「2ちゃんねるまとめサイト」や「感想」「評論」の名のもとに「すぐに話題の作品がわかるあらすじ(ネタバレ)サイト」を雨後の筍のように生み出し、いつのまにか消えていきました。

ぶっちゃけ、本や映画をいくら読んだり観たりしても、「話が面白い人」にはならないですよ。
僕はその生き証人なので。
仲間うち、同じ趣味の人のあいだならともかく、名言や流行の作品の「まとめ」を賢しらに語る人の話を「面白い」って感じますか?
まとめサイト」や「いかがでしょうブログ」に知性を感じる人がいるとも思えない。

もちろん、自分自身があるコンテンツに関して感じたこと、考えたことをアウトプットすることには、否定的な反響や誰にも読まれないことも含めて、「意味」はあるのです。あることにしておきたい。

僕自身、かなり長い間、ブログに本の感想を書き続けているので、三宅さんがこの新書のなかで述べている「比較」「抽象」「発見」「流行」「不易」という「本や映画などのコンテンツからインプットした情報を面白く語るための技術」に関しては、「なるほど」という納得感はあるのです。

まあでも、結局は「何が語られているか」よりも「誰が語っているか」ですよね。
僕がどんなに言葉を重ねても、柴咲コウさんの「泣きながら一気に読みました」(『世界の中心で、愛をさけぶ』のオビのキャッチコピー)にはとうていかなわない。


とまあ、売れまくっている三宅さんをディスる(批判する、悪口を言う)ような内容になってしまったのですが、もはや50代の僕にとっては、1994年生まれの三宅さんが、最近(ここには2022年以降の文章が収められています)の作品に対して感じていることは、すごく興味深いものが多いのです。


宮島美奈さんの『成瀬シリーズ』について、三宅さんは、こう書いています。

 島崎(主人公・成瀬あかりの親友)は一度滋賀を離れないと、滋賀の良さを肯定できない。しかし成瀬は、滋賀を離れなくても、滋賀を肯定できる。「ここ」=地元を、地元にいながら、最上級に肯定する。それが「成瀬」の物語なのだ。
 成瀬は「今ここ」を肯定し、そこで、やりたいことをやる。日本のムラ社会を否定せず、むしろムラ社会的地元のアイドルになることを、決して「ださい」ことと捉えない。滋賀こそが一番いい場所なのだ。成瀬にとって。
 悩む、そいうことは、何かを否定して何かを選択するプロセスである。だとすれば、成瀬が悩まないように見えるのは、何も否定していないように見えるからだろう。成瀬は決して東京を否定しない。だけど滋賀を肯定する。
 それはたぶん、日本のムラ社会から出ていくかどうかなんて悩むことをやめて、ここを肯定して生きよう、ここでやりたいことをやればいいんだ、という現代の私たちがうっすら感じていることを表現しているのかもしれない。というか、そういう物語に私は希望を見出したいのかもしれない。それはナショナリズムとひとことでまとめるには単純すぎる、日本の今の空気なのだ。


僕は『成瀬は天下を取りにいく』への感想に「生きづらさ小説疲れ」があるのではないか、と書いていました。

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でも、世代的に成瀬あかりに僕よりもずっと近い三宅さんは、勤続疲労、みたいなものではなくて、もっと肯定的に成瀬の生きかたを解釈しています。

どうして今の若者は、海外へ留学したがらず、ずっと地元の友達とつるんで「マイルドヤンキー」化し、人生一度は東京で暮らしてみたい、と思わないのだろう?

それは、僕の時代、世代の感覚であって、いまの若者は、違う常識で生きている。
「地元志向」は、幸福でも不幸でもない。それは、時代に合った生きかたみたいなものなんだな。


このなかでは、NHKの大ヒット朝ドラ『あまちゃん』との比較などもされていて、「東京で一旗揚げようとして打ちひしがれて、結局、地元の良さを再発見する」という『あまちゃん』と、最初から東京など眼中にない(ようにみえる)成瀬あかりの「違い」が書かれています。

「批評の大御所」たちの言葉に比べて「薄っぺらい」とか「ビジネス系ブログの書きかたみたい」なんていうのは僕の偏見でしかなくて、いまの若い世代が、同世代に伝わりやすい言葉で書いている、とも言えそうです。


「食」について書かれているところも印象的でした。

 このような食の文化的側面について、『縁食論 孤食と共食のあいだ』(藤原辰史)は「共食」という言葉を使って説明する。著者である藤原は、世界の食や農業の思想について詳しい。彼は「共に食べること」「共に食べないこと」はどちらも共同体の絆を深める機能を持ってきた、と述べる。たしかに一緒に食卓を囲むこと──つまり共食という概念は、親密性の証になりがちだ。そして共食は、現代日本において「家族」にとって必要なものであるとされることもある。しかし藤原はこれに疑問を呈する。

 あまりにも私たちは共食に期待をかけすぎていないだろうか。こころとからだに痛みを覚えながら、それでもひとりぼっちで食べざるをえない子どもたちに居場所を与えるヴィジョンとして、あまりにも一家団欒というイメージに拘泥しすぎてこなかっただろうか(P.18)


(中略)


 なぜ私たちは、食を、コミュニケーションの道具にしてしまうのか? 私たちは本当に、何かを食べなければ人と仲良くできないのだろうか? 当たり前のように思える「食」への肯定は、今じわじわと見直されつつある。
 最後に、小説『デクリネゾン』(金原ひとみ)を紹介したい。本書の主人公は、誰かと外食したりお酒を飲んだりすることを、心から愛するシングルマザー。作中、彼女はコロナ禍によって外食が禁じられることに憤りを覚える。しかし彼女は、食べることを「家庭」を維持する道具には決して使わない。彼女は娘がいても彼氏と外食するし、お酒を飲みながら不倫について友人と喋る。その姿勢は、食の豊かさとは本来、自分だけの快楽のためのものであったことを思い出させてくれる。食と共同体は、必ずしも結びつくことが自明なものではない。


「食」に関するマンガやアニメ、ドラマは、『美味しんぼ』から『孤独のグルメ』『ザ・シェフ』、近年では異世界転生ものまで、本当にたくさんあります。
こうして「食べ物関連ばかり」になってしまうと、たしかに、「そんなになんでも『食』で解決できるものなのか?」と僕も疑問ではありました。そして、その違和感は、僕だけのものではなかった。

こうして、「なるほどなあ」と思いながら読んでいるということは、やっぱり「話が面白い」とも言えるのでしょうね。
読みやすいし、有名な作品が多いから、なんとなく軽く感じてしまうけれど、「文系的な教養」や「現代社会への解釈」も含まれている。
売れるものには、売れるだけの理由があるのでしょう。

三宅香帆さんが好きな人、20~30代くらいで、「いまの自分の感覚を言葉にしてみたい人」にはおすすめできると思います。
「話が面白い人」になれるかどうかはわからないけれど。


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