
を殺して王位を奪った叔父クローディアスへの復讐に失敗した王女スカーレットは、「死者の国」で目を覚ます。そこは、略奪と暴力がはびこり、力のなき者や傷ついた者は「虚無」となって存在が消えてしまう世界だった。この地にクローディアスもいることを知ったスカーレットは、改めて復讐を胸に誓う。そんな中、彼女は現代日本からやってきた看護師・聖と出会う。戦いを望まず、敵味方の区別なく誰にでも優しく接する聖の人柄に触れ、スカーレットの心は徐々に和らいでいく。一方で、クローディアスは死者の国で誰もが夢見る「見果てぬ場所」を見つけ出し、我がものにしようともくろんでいた。
2025年映画館での鑑賞16作目。
観客は僕も含めて3人。
いくら連休中日の夕方からの上映(通常料金)とはいえ、細田守監督の新作、しかも、公開初週の日曜日なのに……
ネットで、かなり酷評されているとは聞いていたのですが、有名アニメ監督の最新作でもあり、話題性だけでもそれなりの集客力はあるはず、混雑しすぎていないといいな、と思いつつ映画館に行ったら、拍子抜けというより、「どうしてこんなに誰もいないの?」と怖くなるくらいでした。
それなりの上映回数が確保されている状況なのにこの客入りというのは(興行的に)悲惨すぎる。
しかしながら、本当の悲劇はここからだったのです。
この映画、『果てしなきスカ映画……』と僕は110分の上映時間ずっと心の中で愚痴り続けていました。
観てるほうが先に「虚無」になってしまう。
『ハムレット』から着想を得たとされているのですが、この脚本を読んだときに、誰か細田守さんを止めなかったのだろうか。
題材が「古い」だけではなく、説教くさくて僕が小学校の夏休みの登校日にうんざりしていたような「平和教育」的なものがふりかけられていて、正直、「なぜこんな映画を『チェンソーマン レゼ編』と同じ時代に作ってしまったんだ……」と心の中は疑問符だらけでした。
「死者の国」の風景や群衆の描写、スカーレットのアクションシーンはすごいんですよ本当に。
天国への階段の足元が透けてみえるところとか、ディテールのアニメーションとしての表現力は素晴らしいと感じるところが少なからずありました。
序盤はあまりにも重低音が大きすぎて、「これは『眠気覚まし』なのか?」と思いましたけど。
でも、なんというか、110分間ずっと、力を入れるべき、丁寧に描くべき場所はそこじゃないし、なんで観ていてこんなにイライラするんだろう……と思いっぱなしでした。
あまりにも人が良すぎる王に「夫は娘を愛しすぎている」とかなんとか言って娘につらくあたる王妃、野心家で兄にコンプレックスを抱き続け、それが叛意につながっていく王弟クローディアス。
いやさすがに気づけよ王様。そして、あんなにスカーレットが敵愾心むき出しにしているんだから、普通は「処理」しちゃうか、もっときっちり幽閉しておくだろうよクローディアス。王も言い残したいことがあるならもっとわかりやすく言えばいいのに。夏目漱石の『三四郎』の「ストレイシープ」かよ!
僕は最近けっこうシェイクスピアの演劇の舞台とかを観たり、シェイクスピアの作品を読み返したりして、「うーむ、お話の骨組みとしては現代にも通じているのだけれど、人びとのものの考え方とかは、正直僕には理解しがたいなあ。まあ、昔の人はこんな感じだったのか、と参考にするつもりで鑑賞するものなんだろうな」と思うようにしています。
「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」
ダンテの『神曲』か……いや僕もあの長い古典を全部は読んでないけど。
むしろいまの若い人には森見登美彦さんを思い出す人のほうが多いのではなかろうか。
なんかこういう「教養」みたいなものを下敷きにして、インテリ層に「これからは『アート思考』ですよね!芸術の文脈って大事ですよね!」みたいな作品は、個人的には嫌いです。『ツリー・オブ・ライフ』かよ。
だいたい、僕のここまでの感想を読んで、みんなちょっと不快になってきたでしょう?
「俺には『教養』がそれなりにあるから、ちょっとわかるんだけどさ」とほのめかす、この腐れインテリ感!
「死者の国」の存在意義もこの世界のルールもいまひとつよくわからないし、なんであいつがここにいるの?と疑問でした。
(その疑問は後半で解明されるのですが)
スカーレットは、あんな酷い目にあわされ、デンマークリベンジャーズに入ったはずなのに、全然「魔界」に入ってないし。
「死者の国」に送られるくらいの深い恨みと後悔を抱いているのに、あのくらいのことで揺らいでしまうのは正直興醒めしました。シェイクスピアやダンテだけではなく、山田風太郎さんの『魔界転生』も読んでおいてほしかった(読んでいるかもしれないけどさ)。
なんかもう、100分くらい、ずっと憂鬱な気持ちで、あまりにもベタな展開に「このつまらない大風呂敷を、どうやって畳むのだろうか」という興味だけで眺めていました。
自宅で配信サービスだったら、倍速にしてスマホをいじるか、ネタバレサイトを見ていたと思います。
そして、最後の最後まで、その黒い期待は裏切られませんでした。
スカーレット、お父さんが、王があんなひどい目にあわされたのに、お前はそのくらいのことで変節してしまうのか?
10年ちょっと前に大ベストセラーになった『嫌われる勇気』を思い出してしまいました。
すべての経験は、その人の「受けとめかた」「解釈のしかた」によって意味が変わってくる。
過去の恩讐にとらわれるよりも、いまから、ここからを考えるべきだ。
制作側が「意外などんでん返し」のつもりで描いたところが、すべて「やっぱり!」みたいなお約束の展開にしか思えなくて、「あーはいはい」と白けるばかり。
聖(ひじり)という戦場で敵のけが人も一生懸命処置・看病するような「善人」が出てくるのですが、そのあまりの善人っぷりに、「こいつがラスボスだな」と期待していたのだけどなあ。
それと、聖は弓うますぎ。現代人の弓道未経験者であれば、矢を標的に当てるどころか、まっすぐ飛ばすことさえ無理。というか弓道部の有段者レベルでも、この時代に武器として使われていた弓矢とは使い勝手が全くちがうはず(元弓道部・談)。
昔、某政党が「すべての国が軍備を捨ててしまえば、世界は平和になるはずだ。日本が率先してそうするべきだ」戸言うようなマンガを機関紙(だったと思う)に載せていたのをネットで見ました。
僕だって、子どもの頃は、「そういう世界であるべきだ」と思っていたんですよ。
でも、世の中には「こちらの話が通じない相手がいて、どんな狂った理由であっても、そいつに刺されれば痛いし、下手すれば死ぬ」のです。
疑心暗鬼の積み重ねが世界をどんどん軍拡競争に導いているのかもしれないけれど、「信じる」だけでは刃物やピストルには対抗できない。
現代の集中治療室の看護師が「転生」できるのであれば、あんな古典的な大砲とか門とかじゃなくて、歴史上の専制君主や帝国主義の指導者が乱立して、戦車や戦闘機、大量破壊兵器を駆使してないとおかしくないか?
スカーレットの夢オチみたいなもので、スカーレットの想像の範囲内の世界だというのであれば、聖の存在は矛盾してしまうし。
ああいう「いい人すぎるキャラ」が全肯定される世界は、フィクションであっても、すっかり汚れてしまった自分の心と比較してしまって、なんだかすごく居心地が悪い。
ウクライナがロシアに侵攻されたり、イスラエルの戦争が終わらなかったり、日本の国会の答弁がきっかけで、中国政府が反日感情をあらわにしていたりするのをみていると、「なぜこのタイミングで、こんな『お花畑映画』をつくったんだ……」と言いたくなります。
こんな時代だからこそ、少なくとも未来の世界をつくる子どもたちには「お花畑の種」を残しておきたい、というのもクリエイターの良心なのかもしれませんけど。
この映画のなかでは、スカーレットと聖が危機に陥り、「不殺(もう「死者の国」にいるんだけど)」を貫いてやられるか、身を守るために相手の命を奪うか、という「選択」を求められる場面がいくつかあります。
僕はそこで、彼らがどうするのか、監督はどう描くのかを注視していました。
それこそが、人間がずっと問われていることだと思うから。
ところが、その場面では、ことごとく、なんらかの「お助けキャラ」が登場し、主人公一座は自らの手を汚すことなく、お助けキャラが「天罰」を与えてくれる、という超ご都合主義っぷり。
ちょっと待ってくれ、僕は召喚獣なんて使えねえんだよ。
なんかもう、小難しくて衒学的で芦田愛菜さんが声をあてている「絵にお金をかけて、よりご都合主義にした『ゲド戦記』」みたいな映画だったな本当に。
そうそう、作中で主人公が現代で踊りはじめるミュージカルシーンがあるのですが、これがもうドン引きなんですよ。
なんで踊っているのかわからないし、そもそも「愛について」とか、ド直球で語りはじめる歌が気持ち悪い。
このシーンをみながら、やっぱり、プロ中のプロのRADWIMPSを起用した新海誠監督はさすがだな、素人が大真面目にメッセージソングをやると、こんなに痛々しくなるのか……と共感性羞恥に陥ってしまいました。ベタで時代錯誤の詩と曲はつらすぎる。もうこのシーン、早く終われ!って。
細田守監督作品でも、前作『竜とそばかすの姫』は、音楽はよかったんですよ、音楽は。中村佳穂さんは、本当によかった。
なぜ、今回の音楽はこうなってしまったのか?
細田守監督が曲の印税も欲しくなった、とかいうのは穿ちすぎではあるでしょうけど、アニメの音楽のクオリティが爆上がりしているなかで、こんな素人芸をみせられる(聞かされる)とは。
まあでも、個人的には、「なぜこの映画はつまらないのか」を考えるためには、素晴らしいテキストだと思います。
最近はSNS社会になって、「みんなが良い、面白いと言っているもの」に人が集まり、つまらないものには見向きもされません。
それは、人生が有限であるかぎり正しいことではあるし、面白いものの面白さを認識するために、わざわざつまらないものを経験する必要があるのか?というのは当然の疑問でしょう。
ただ、こういう「作家性に溺れた大爆死映画」が世界からすべて失われたら、ちょっと寂しい気もするんですよ。
ABテストやAIでつくられた「みんなにウケる映画」ばっかりだったら、それはそれでつまらなくないですか?
世の中が「現実には不戦とか平和主義なんて難しい」という方向に傾いているからこそ、こういう「お花畑」を映画で、せめて子供や若者に投げかけたい、という「思い」みたいなものも理解はできるし、映画がみんな『チェンソーマン』になったら、それはそれで殺伐としすぎている。
つまんないです。イライラします。時代錯誤です。なんか衒学的で、いろいろ詰め込みすぎです。
監督がこだわったと思われるシーンは、ことごとく滑っているか「そこじゃないだろ」って感じです。
でも、長々と感想を書いてしまうくらい「語りたくなる」映画だった、とも言えそうです。
観ながらずっと、これは☆1かせいぜい2!と考えていたのですが、一晩経ってみると、「本当につまらないし胸糞悪い映画だけれど、案外、観たことそのものは後悔していない」ことに気づきました(で、☆3にしました)。
こうして感想を書き終えて、ようやく僕が払った正価の映画料金も「虚無」になれたかな。


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