Kindle版もあります。
社会主義国の古本屋では、良い本は店頭より奥にしまい込んである。店主と打ち解け、バックヤードに入れるかどうかで勝負が決まる――
戦後第1回目の交換留学生としてプラハに降り立ったときから10年間、古書を探さない週はなかったという言語学者が、本と出逢う喜び、愛すべき店主たちとの交流をユーモラスに語るエッセイ。
〈解説〉阿部賢一
ネットでみたどこかの書店の「文庫本ランキング」の1位なのを見て、「どうしてこんな古い本(単行本は1987年3月に上梓されています)が、いま、こんなに売れているんだ?しかも社会主義時代のプラハ(現在はチェコ共和国の首都)を舞台にした、古本屋の話が……」と気になってはいたのです。
よく行くリアル書店(ジュンク堂)で平積みにされ、POPも書かれているのを見かけて、購入してみました。
著者は1932年生まれの言語学者で、社会主義国時代のプラハに留学されています。
1993年には、ミラン・クンデラ著『存在の耐えられない軽さ』を訳しているのです。
僕はこの本の著者紹介をみて、あの本、日本でもベストセラーになったなあ、『存在の耐えられない軽さ』って、なんかすごく良いタイトルだよなあ、こんな人が訳したのか、と感慨深いものがありました。
現在、2026年に、日本で「本を買う」ということと、1958年から10年間、社会主義国時代のプラハで言語学者として「仕事に必要な珍しい専門書を探す」ことの違いを思い知らされます。
この本が出た1987年を基準にしても、僕がまだ10代後半だったあの頃は、商店街や郊外にリアル書店がたくさんあったし、雑誌も売れていて、出版業界も元気だったんですよね。
あの頃は、家でゴロゴロしながらマンガの次の巻を買ったり、今日発売されたばかりの新刊を九州でも買える「電子書籍」がこんなに普及するとは想像もしていませんでした。
いまでは、ネットさえつながれば、世界のどこにいても、日本語の本に不自由することはほとんどないのです。
現在でも、僕には想像もつかないような「古い本を収集するマニアックな世界」はちゃんと存在してはいるようなのですが。
この『プラハの古本屋』を読んでいると、「欲しい本をそう簡単には手に入れられない」というもどかしさと、だからこそ、それを買うためにさまざまな工夫をしたり、収集家どうして協力したりしていた環境や時代が、本好きとしては、ちょっと羨ましくもあるんですよね。
当事者にとっては大変なことだったとは思うのだけれど、著者の古本についてのさまざまなエピソードには、「宝探し」をしているような面白さがあるし、著者たちもその困難さを楽しんでいたのかもしれません。
この文庫本の最初に『沈黙の通訳』というエッセイが収められているのですが、異文化コミュニケーションにおいて「言葉が通じる」というのはすごくありがたいことなのだけれど、通訳を介してのやりとりには、お互いに言葉がわからないなかでの「なんとか伝えようとする、受け取ろうとする人たちの試行錯誤と達成感」が乏しいことが描かれています。
いまはスマートフォンでも使える翻訳機能が普及していて、それを利用して外国から来た人に質問をされることもあるのです。ものすごく便利な世の中になったのだけれど、なんかこう伝わった喜び、みたいなものは失われてしまった。
それは、贅沢な悩みではあるし、僕も外国へ行ったら、やっぱりその機能を使ってしまうだろうけど。
チェコスロバキアの古本屋には本を並べてある場所の奥や横の方に本を買い入れる部屋があり、その奥に店長のいる場所があるのが普通である。そしてそこには買い入れに際して別にした、普通では手に入らない珍しい本が並べてあったり、積み上げてあったりする。そんなわけで一般の人は店長のいる奥には入れず、何か用事があると店長自身が店へ出てくる。何年かその古本屋に通い店長とも顔なじみになって初めて、挨拶の言葉と共に奥に入っていけるのである。
やがて落ち着いてあたりを眺められるようになると、そこにはとり除けられ山と積まれた一般に手に入れにくい本のほかに、50冊から100冊くらいの今度はきちんと整理された本があることに気がつく。これが店長の業務用座右図書で、ここにどんなに欲しい本があっても売ってはくれない(もっともすぐ補充のきくような本なら話は別である)。これは寿司屋さんが包丁を売らず、床屋さんが鋏を売らないのと同じである。
当時のプラハでは、流通している本が少なく、内容が少しでも社会主義政権の「当局」に目をつけられると「発禁処分」になったり「売買禁止」になったりと、僕が知っている日本の書店のように、棚に並んでいる好きな本をレジに持っていけばいい、という状況とは程遠かったのです。
ましてや、著者が求めていた本の多くは、言語学の専門書やエンターテインメント作品でもほとんど流通していなかったものでした。大概、「当局」が読ませたくないものほど、人々は読みたがる。
お金を積めば買える、というものではなく、まずは古本屋に何年も通ったり、常連から紹介してもらったりして、店主の信頼を積み重ねて、ようやく貴重な本を見せて、買わせてもらえる。
Amazonでポチっている僕からすれば、実際にそれをやれと言われれば「まだるっこしいな」というひと言なのですが、あまりにも本が簡単にネットで買えるようになると、すぐに売り切れて本当に欲しい人になかなか届かなかったり、高額で転売されたりするようにもなるんですよね。
そんな「表現の自由」が制限されている国で、それでも本や文学を愛する人たちというのは、ひと癖もふた癖もある人たちばかりで、彼らとの駆け引きや友情も、このエッセイ集にはたくさん紹介されています。
2026年になっても、結局、最後は「人脈」だよなあ、と思うことは少なからずあるのです。
ネット書店で軒並み「在庫なし」の本が、近くのリアル書店には何冊か積まれている、なんてことも珍しくないですし。
著者は、チェコ人の女性と国際結婚をしており、言語学者として、子どもたちの「言葉」をどうするか試行錯誤もされています。
日本とチェコを行き来している子どもたちに日本語とチェコ語の両方をどう身につけさせるか。
両親にはそれぞれ、自分の母語への愛着があるので、「自分の国の言葉」を忘れてほしくない。
国を行き来するうえで、どちらの言葉も使えるようにしてあげたい。
よく海外に駐在したり、勤務した家庭の子どもが、幼稚園や小学校に通って、一見完璧にその言語を習得すると、日本へ帰ってもその言葉が維持できるような錯覚に陥るが、これは至難のことだということがよくわかると思う。「たどたどしくしか話せなかった私はまだなんとか覚えているのに、あんなに上手に話していた息子の方は2週間で忘れてしまって」という嘆きをよくきくが、恐らくこれは日本語というしっかりした体系があって、それに対応させてその外国語を覚えている場合と、たどたどしい日本語の体系とたどたどしい外国語の体系が並列している場合との差と思われる。この後者のような場合、それぞれの言語集団の中では上手に生活できても、一つの言語をもう一つの言語に訳すのはなかなか困難である。
日本語を忘れてしまった我が家の子どもたちが、その能力を回復させるプロセスにはいろいろと面白いことがあった。突然、「バカヤロー」という言葉を思い出したり、テレビのコマーシャルがメロディーと共に復活したりした。この期間かなり注意して観察したつもりだったが、今考え直してみると、もっとよく調べておけばよかったと思う。「どうなんだ、そこのところは分かっているのか?」とか、「それどういう意味?」と尋ねても、言語学的調査の意味もわからず、関心もなかった子どもたちはただニヤニヤしているか、うるさそうにするだけであった。
帰国後4、5日もすると、大体のことは分かるようになり、10日もたったときには、日本語が分からなくなったという母の心配は全くのとりこし苦労だということになった。
小さい頃のほうが、言語を習得できる能力が高いから、海外で外国語を覚えさせるのに向いている、と考えてしまうのですが、著者の体験にもとづくと、芯というか、しっかりと体系的に理解している言語がないと、中途半端にしか使えない言語ばかりになる可能性が高そうです。
まだ冷戦時代の社会主義国の空気感と、本や知識を愛する人々の話は、いま、2026年に読むと、なんだかとても懐かしい感じがしました。
僕は古い本や学術書のことに詳しくはないけれど、本好きには滋養があるというか、読んでいて嬉しくなってくる本でした。
書店にも、本を読む人にも、それぞれの時代や環境、歴史がある。
「前略。すみませんが何でもいいですから、河童のついているものを、7キロだけ急いで送って下さい。研究にどうしても必要ですから」と言う手紙をプラハにいる息子から受け取った母はびっくりしたようである。自分でもすこし落ち着いて考えてみると、苦笑いせざるを得なかったが、その時は夢中で、案の定、もっと詳しく事情を知らせよという返事を受け取る破目となった。
なんだこれ? 芥川龍之介の短編の冒頭?
などと思いながらこの話の続きを読んでいったのですが、人生には、なんか不思議な縁というか信じられないような出来事ってひとつやふたつはあるんだな、思わずにはいられませんでした。
なぜ著者は、こんな手紙を日本の母親に送ることになったのか?
気になる方は、ぜひこのエッセイを読んでみてください。
これが『X』に書かれていたら、「ああ、またインプレッション稼ぎの作り話かコピペか……」とスルー推奨なのが、いまの世の中ではあるのだけれど。










