琥珀色の戯言

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【映画感想】トイ・ストーリー5 ☆☆☆☆

ボニーのもとで暮らすバズやジェシー、フォーキーたちは、これまでと変わらぬ日常を送っていた。しかし、最新型の電子タブレット「リリーパッド」がやってきたことで状況は一変。多機能なデバイスに夢中になるボニーの姿を前に、おもちゃたちは自分たちの存在意義に疑問を抱き始める。「おもちゃはもう必要とされていないのか」という不安が広がる中、仲間からのSOSを受けたウッディが再びボニーのもとへ戻り、バズと再会する。かつての名コンビは、おもちゃの居場所を守るため、新たな脅威に立ち向かう。


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2026年11作目の劇場鑑賞。平日の夕方の回を観ました。
観客は70~80人くらいで、公開初週ということもあり、通常料金の平日としては大盛況でした。

前半は「懐かしいな」とか、スティーブ・ジョブズはアップルを追われたあとにピクサーに多額の投資をしていて、『トイ・ストーリー』が完成しない、あるいは大ヒットしなければ、アップルの復活劇もiPhoneもなかったんだよなあ、とか思いながら、あまり集中できずにストーリーを追っていました。

最初のバズ軍団にはちょっと驚いた、というか、「何の映画なんだ?もしかして本編前にスピンオフの10分くらいの前座があるパターン?」と困惑したのです。
『マトリックス』の「100人スミス」を思い出しました。あれは予告編がいちばんワクワクした記憶があります。

基本『トイ・ストーリー』は、ウッディのキャリアや価値観の転換がテーマになる『4』以外は、毎回そんなにストーリーは変わらないのです。
ウッディとバズのいつものじゃれ合いみたいな掛け合いに、持ち主の子どもから飽きられ、捨てられそうになるおもちゃたち。
主人公たちはなぜかみんなと離れ離れになり、家までの大冒険。
これが動くのか!というアニメーションと、その動きの面白さ。

ああ、『トイ・ストーリー』だなあ!
そう懐かしくなるのと同時に、もうピクサーの映像には圧倒されなくなってしまった自分に気づかされもしたのです。
『トイ・ストーリー』の第1作は、あの映像だけでワクワクしていました。
でもいまは、CG映画の平均的なクオリティは格段に上がっており、『5』では「すごさ」より「懐かしさ」を感じてしまう。
『1』からリアルタイムで観てきた僕にとっては、「だが、それがいい」なのですけど。

今回は、デジタルデバイス、iPadのようなタブレット機器に子どもたちが夢中になり、ネットを通じて「つながってしまう」ことのメリット・デメリットも描かれています。

僕自身も親として、「iPadでYouTubeばかり見ている子ども」が心配になりつつ、つい「子どもが望んでいるのだから」とタブレットに頼って自分のことをやっていたのを思い出します(というか、今でもそういうところはあります)。

その一方で、僕自身は「外で遊ぶ」よりも、家で本を読んだりマイコンでゲームやプログラム作りをやるほうが楽しい子どもだったので、「結局、より楽しいほうを選ぶ」のはしょうがないかな、という気持ちもあるのです。

『トイ・ストーリー』の世界観としては、「ごっこ遊び」とかが「子どもがやるべき遊び」であり、デジタルデバイスは「非人間的」なものとして描かれるのではないか、と予想していたのですが、あらためて考えてみれば、ピクサーは「デジタルの楽しさに支えられてきた制作会社」なのです。
ピクサーは、デジタルによって「想像の世界を現実の映像にしてみせた」。

僕がこの『5』で印象的だったのは、タブレット端末などのデジタルデバイスを「子どもにとっての悪」「子どもらしさを奪うもの」として「敵視」するジェシーやバズたちが、彼らと触れあううちに、変わっていくことでした。

いまの世の中は「デジタル対アナログ」みたいな単純な対立構造じゃなくて、デジタルのなかでも、「古いデジタル」は、ある意味昔ながらのおもちゃ以上に打ち捨てられているし、「遊んでもらえる」寿命も短い。
人は、「古いおもちゃ」を懐かしむことはあっても、「古いデジカメやパソコン」に目を向けることはほとんどない(もちろん、その歴史に魅力を感じる人間もいるんですけどね。僕みたいに)。

『トイ・ストーリー』で、おもちゃたちは「子どもに遊んでもらうため」の覇権争いをしてきたけれど、『4』は、「他人に評価されるための存在」からのウッディの「自由と自立」が描かれていました。
それは、遊ぶ側の子どもだった記憶がある僕にとっては、「寂しさ」「らしくなさ」を感じるものではあったけれど、だからこそ、この『5』では、主役から2歩くらい引いた存在として、それでも昔からのファンを喜ばせてくれるウッディの存在そのものが嬉しくなるのです。

デジタルデバイスの中ですら「世代交代」が何度も起こるくらいの時間が経ったのだから。

『トイ・ストーリー』そのものが、「斬新な映像」から、大人たちが「あの頃」を思い出すための作品になってしまった。
感慨深いのとともに、ウッディから次の世代への「主役交代」をしつつ、おもちゃたちの世界を映像のなかだけでも遺していこうとしているのかな、とも思ったのです。

「子どもは外で遊ばないと」「デジタルデバイスは創造力を奪ってしまう」「スマホ脳」
大人はそんなレッテルを貼りたがるけれど、子どもたちにとっては、iPadは、物心がついたときからそこにあるもので、それが良いとか悪いとかいうものではない。

「子どもらしさ」を求める、インターネットがなかった時代の子どもたち(われわれのことです)は、そんなに「立派な大人」になって、世の中を良くしているのだろうか?
自分たちと同じことが正しい、と子どもたちに押し付けられるだろうか。


『トイ・ストーリー5』をみて、僕は「思い知らされた」気がしたのです。

いまの大人や有識者たちは、デジタルのリスクに目を向けがちで、アナログやデジタルに優劣をつけて、デジタルを危険視し、禁止したがる。

でも、どちらが正しい、これを使うべき、と言い争う前に、「デジタルでもアナログでも、先入観や偏見にとらわれずに、うまく使う、使い分けていくべき」ではないのか。
本来の目的は「子どもが、より良く世界とつながり、幸せになってもらうこと」で、道具は、あくまでもそれを実現するための手段なのだから。

当たり前のこと、のはずなのですが、僕自身も「もっと外で遊んだら」「YouTubeばっかり見て!」と子どもに言ってしまう大人なんですよ。
だからこそ、この映画には、教えられました。

あと、「なんだあの多量のバズは?」とずっと違和感があったのですが、最後にひとつの線になったように「つながる」のは、素晴らしかった。

「子どもに観てほしい映画」だと大人に言われる時点で、たぶん、子どもはこの映画の「説教くささ」に辟易するんじゃないか、とも思うのです。
子どもって、大人が見せたがるものは、大概、見たくないから。

「いまの子どもたち」にではなく、「いまは子どもたちの親になった、『トイ・ストーリー』をリアルタイムで観てきた大人たち」への、ピクサーからのプレゼント。

唐沢寿明さんも所ジョージさんも、だいぶ年を重ねてしまったよなあ、もちろん僕も。
主役級の有名声優の名前がたくさん並んでいて、「この人、どこに出てた?」と「その他の声の出演」をみて驚きつつ、映画館を出てきました。

30年後には、僕の子どもたちの世代が、彼らの子どもと一緒に『トイ・ストーリー10』を観ているかもしれませんね。
そして、「あの頃はiPadとかあったな」と感慨にふけっている。

「モノとしてのおもちゃ」は、その時代にも存在しているかなあ。


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