http://d.hatena.ne.jp/chanm/20060602/1149213119
「論理的」って書けばなんでも正しく聞こえるなんて思っているのだとすれば、それは傲慢かつ愚かですよ。あなたは「論理」という言葉の意味を本当にご存知なのですか?
というような文章を、大昔に書いたことがあります。いや、これは自省すべきことでもあるのですけど、僕はこの「論理的」という言葉と、それを億面もなく使う人が嫌いです。
多くの人が、「論理的」の対義語は「感情的」だと思っているのではないかと僕は想像しているのですが、本当に「論理的」と「感情的」というのは、対極にあるものなのでしょうか?
僕は「論理」というものの多くは、人々の「感情」の集積によって成り立っているものだと僕は考えているのです。
ところで、この「論理的」って言葉を使う人って、率直に言うと「わかってない」人が多いんですよね。
偉そうなことばかり言っているわりには、「自分が何を説明すべきか」すらわかっていない。
例えば、
と書く人がいます。でもちょっと待ってください。何なんだその「論理的」って。
もちろん、その前に「靖国参拝の問題点」が丁寧に述べられていれば良いのでしょうが、残念ながら、そういう場合は非常に少ない。
もし、その人が本当に自分の主張に「他人に伝わる理由」を持たせたいのなら、
だったら、言いたいことはわかりますよね(あくまでも例文ですので、僕の思想とは関係ありません)
実は、「意見表明」のキーポイントって、この「論理的」の部分を、どう周囲の人にわかりやすい形で伝えるか、なのです。「どういうプロセスで、その結論にたどり着いたのか?」こそ、「語るべきこと」のはず。
にもかかわらず、多くの「自分は賢いつもりの人」は、いちばん書くべきところを書くことができないか、あるいは肝心のところに手抜きをしてしまって、「論理的」などという曖昧極まりない言葉に置き換えてしまうのです。
「論理的」なんて書いている時点で、どんな偉そうな人でも、底の浅さが見えまくってしまいます。
でも、本人は気づかずに「論理的には…」って延々とやっていて、自分が「論理的な人間」だと思い込んでいる。
本当は、その背景に「確固とした論理」なんてないからこそ、こんないいかげんな言葉を使っているのに。
他人から「わかっている人」だと思われたいのであれば、まず「論理的に」なんていう偉そうに聞こえるだけで無力な言葉を疑うところからはじめるべきです。