琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

30年ぶりの『ぐりとぐら』


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1963年に「こどものとも」誌上で発表されて以来、日本だけでなく世界各国で愛され続けるふたごの野ネズミ「ぐり」と「ぐら」のお話。
ぼくらの なまえは ぐりと ぐら
このよで いちばん すきなのは
おりょうりすること たべること
ぐり ぐら ぐり ぐら

歌いながら森へでかけたぐりとぐら。大きなたまごを発見し「あさから ばんまで たべても、まだ のこるぐらいの おおきい かすてら」を焼くことにした。甘いにおいにつられて、森の動物たちが次々と集まってくる。「けちじゃないよ ぐりとぐら ごちそうするから まっていて」。さあ、できあがり。おなべのふたをとると、ふんわり黄色いかすてらが顔を出す。
次々と楽しいことを思いつき、軽やかに実行してみせるふたり。「(ぐりとぐらに)苦手なものはあるの?」という読者からの質問に、著者の中川李枝子は「失敗しても、間違っていても平気。やりなおせばいいもの」(『ぼくらのなまえはぐりとぐら 絵本「ぐりとぐら」のすべて』より)と答えている。ぐりとぐらの、この大らかな性格が、読み手の気持ちをやわらかくほぐしてくれる。

そして、誰もが夢中になるのはなんといってもあの「かすてら」。どれだけ時がたっても、甘い、幸せな記憶としてほかほかと胸に残る。

ぐりとぐら」は、本書以降シリーズ化されており、クリスマスや海水浴など、いろいろな場面でのふたりの活躍を見ることができる。(門倉紫麻)

出版社 / 著者からの内容紹介
野ねずみのぐりとぐらは森で大きな卵を見つけました。大きな卵からは、大きなカステラができました。子どもたちに圧倒的人気の絵本です。

読んであげるなら:3才から
自分で読むなら:小学低学年から

子供ができて、「絵本」を手に取るようになりました。
ここ30年くらい、「絵本売場」には寄りついたこともなかったのだけれど、「これは自分の子供に読んでもらいたい本だろうか?」という視点で本を選ぶというのは、新鮮な体験ではありますね。

この『ぐりとぐら』は、子供のころ僕が大好きだった絵本です。
昨日家に帰ったら置いてあったので妻に尋ねると、「友達がお土産に持ってきてくれた」とのこと。
思っていたよりもはるかに字が多くて驚きましたし、まだ4か月の息子にはよくわかんないだろうな、と思いつつ、僕自身が懐かしかったので息子に読み聞かせてみました。

30年ぶりに読んでみて、あらためて感じたこと。

(1)さっきも書いたけど、『ぐりとぐら』は、絵本としてはけっこう字が多い。もっとシンプルで字が少ない「絵本」という記憶があったのに。


(2)「ぐり ぐら ぐり ぐら」という音のリズムが読んでいる側も楽しい。


(3)やっぱり「かすてら」は美味しそう! でも、僕がこの本を読んでいた1970年代前半と現在では、「かすてら」というお菓子そのものの魅力は、けっこう変わってきているのかもしれない。(当時の「かすてら」は、「長崎に行った人のお土産」くらいでしか口にすることがなかったので)


(4)ぐりとぐらは、「みんなにわけてあげるのがあたりまえ」だと考えていた。


(5)しかし、「大きな卵」っていうのは、「何かの生命の源」なわけですよね。それを「森のなかまたち」が「何の卵であるか」については全く考えずに、美味しくかすてらを食べてしまう、というのは、ある意味ものすごく残酷なのではないかなあ(実は、子供のころも同じことを考えていたのを思い出しました)


(6)最後の「たまごのからをどうしたのでしょう?」という問いの答えを僕はすっかり忘れていたのだけれども、あの発想の豊かさはすごいなあ。理屈で考えたら、あの利用法には「卵のからである必然性」は何もないわけだし。でも、子供のころは全然違和感なかったような気がする。


(7)「絵本」って、「ためになる話」「子どもに対する人生訓」みたいなものばかりだと思っていたのだけれど、長い間人気がある絵本っていうのは、そういう「押しつけがましい内容」にはなっていないのだなあ。「おいしそう」とか「たのしそう」みたいな、生きていく上での本能的な快感を伝えることをすごく大切にしているみたい。

「子ども向け」の絵本を読んでいると、当たり前のことなんだけど、子どもっていうのは、「親が教えたがっていること」ではなくて、「自分が知りたいこと、愉しいこと」を選んでいくのだなあ、とあらてめて感じます。そして、「子どもっていうのは、けっこう残酷なのかな」とも。

がたん ごとん がたん ごとん (福音館 あかちゃんの絵本)

がたん ごとん がたん ごとん (福音館 あかちゃんの絵本)

↑これ、安西水丸さんが描かれている絵本で、うちの子も大好き(みたい)なんですけど、そのストーリーは、

内容紹介
走る汽車にのせてもらうのは、コップとスプーン、哺乳ビン、りんごとバナナ。それからねずみやねこまでのりこみます。どれもあかちゃんになじみのものばかりです。

読んであげるなら:0歳から

というものなのです。
りんごさんやバナナさんは、「のせてくださーい」って楽しそうに汽車に乗り込んでいくのですが、その行先は、「女の子が朝ごはんを待っている食卓」。
このりんごさんやバナナさんは、「食われるために運ばれている」のですよ、嬉しそうに!
うーん、昔から「モーたまらんうまさ!」とかフキダシに書いてある焼肉屋の看板の牛の絵を見ると、「食われる側がそんな能天気なこと言うわけないだろ……」と目をそらしていた僕としては、これが「処刑場行き列車」の話に思えてしょうがない。のせてほしくないだろ、りんごさんやバナナさんは……
息子は、この物語をどう読んでいるのだろう?(今はまだそこまでの「思考」はなくて、「がたーん、ごとーーん!」とかいう言葉の感触にはしゃいでいるだけにしか見えないけれど)

30年ぶりにいろいろ読んでみると、ほんと、「絵本」っていうのは、そんなに綺麗でかわいらしい世界ばっかりではないなあ、と思いますし、残酷なところがある作品のほうが生き残って読み継がれているのだな、ということを考えずにはいられませんでした。あの桜玉吉さんの『ふぉあとぐら』も、ある意味「同じ世界観」なのかもしれません。

以前、大人気の絵本『かいけつゾロリ』の作者・原ゆたかさんの言葉を御紹介したことがあります。

「子どもたちは、おもしろいものを一番よく知っています。本もゲームもアニメも、同じようにおもしろいものはおもしろいし、泣けるものは泣ける。本のページをめくる楽しいモノとして作ったのが、ゾロリなんです」

「子どもだまし」じゃ通用しない世界なんだよなあ。

最後に「童話」について、興味深かったエントリをひとつ御紹介しておきます。

参考リンク:『むかしばなし』(invisible-runner(2/20))

「三匹のこぶた」のさまざまな話のバリエーションについて。
たしかに、こういうふうに「物語」に触れる姿勢というのが「教養」なのかもしれないな、と感じました。僕は、まだまだ勉強が足りないなあ。

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