琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「ポジティブ」と「ネガティブ」に振り回される人たち

最近ネットで話題のこの話
ネガティブすぎて逆に凄いダイソー社長の発言 - NAVER まとめ

↑を読んでいて以前書いたこんな話を思い出しました。

 僕の大学の同級生にTという男がいるのだが、彼はものすごく真面目なヤツだった。
 研修医時代も、ずっと遅くまで仕事をしていたし、みんなが「そんなのあわてて取らなくてもいいよね」と言い合っていた認定医や専門医に、取得条件を満たすとすぐ合格していった。天才というよりは、究極の秀才型、というのが周囲の評価だったように思う。


 あるとき、飲み会で、僕はTに尋ねたことがある。
「そんなに真面目に仕事ばっかりして、くたびれない? 僕なんか日常業務だけで一杯一杯なのに」
 ほろ酔い加減だった彼は、こんなふうに答えてくれた。
「いや〜俺って本当に『めんどくさいこと』が大っ嫌いでさあ……で、考えれば考えるほど、将来いちばんめんどくさくない方法っていうのは、さっさと資格をとれるだけとって、いろんな準備をしておくことなんだよね。資格なんて、後回しにすればするほど、かえってめんどくさくなってくるだけだから」 
 Tはさっさと医局に見切りをつけ、現在は開業医として成功を収めている。


ものすごく他人を信じている人々
↑のようなエントリを以前書いたのだけれど、いわゆる「ネガティブ思考」というのも、「本当は他人(あるいは、自分の力以外の『何か』を信じている」からこそ、外に向かって表出できるのかもしれないな、と思う。それを「甘え」とか言うのは、あまりに厳しすぎるのだろうけど。
僕が知るかぎり、「他人に心底絶望している人」というのは、愚痴をこぼしたりしない。そんなものは、「自分の弱点を曝すだけで、何のメリットもない」と考えているし、「愚痴るくらいなら、裏切られても対処できるようなポジションに自分を置くこと」と意識しているから。
彼らは、表には何も出さずに、朗らかに挨拶をして、テキパキと仕事をこなす。
そして、他人に深入りしないし、自分にも深入りさせない。


「ポジティブ思考の人」の心のうちは、もしかしたら、ものすごくネガティブで、ある種の強迫観念にさいなまれているのかもしれない。
ネガティブ思考が深くなればなるほど、他人に期待できなくなればなるほど、「(自分を守るために)外にはポジティブな自分を見せておかなければ」と考えるようになるのかもしれない。
たぶん僕たちは、そういう人たちに毎日言い続けているのだ。
「いつも前向きでうらやましい」って。


ネガティブを極めると、人は、ポジティブに生きるようになる。
表層的には、ね。


ダイソーの社長さんは、かなり「表層的にはネガティブな人」です。
でも、結局のところその「ネガティブな本心を表に出すかどうか」だけの違いで、本質的には、Tのような人なのかな、と思いながら読みました。

ネット上では、社長の「ネガティブ思考に共感できる」「某社長のように、ポジティブなことばかり言って、社員を過労死させるような人とは違う」なんていう反応もあるみたいなのです。

でもね、僕はこれを読みながら、ずっと考えていました。
「ポジティブ思考」とか「ネガティブ思考」なんて、実は、あんまり意味はないんじゃないか、って。
大事なのは、その思考をどう行動に結びつけるか、なのです。


Tも、ダイソーの社長も、不安だから、危機意識をもって行動し、考えうるリスクを回避しようとして、実際に「行動」しています。
「行動」をみてみれば、「ポジティブ思考のやり手社長」と、同じようなことをやっているわけです。


それとは逆に「『まあ大丈夫だろう』って、何もしようとしないポジティブ思考の人」や「『どうせダメだから』とやる前に諦めてしまうネガティブ思考の人」は、正反対の考え方を持っているようで、実際には何もしていないという点で「同じ」です。


たしかに、考え方って大事ですよね。
野村克也監督も、「考え方が変われば、行動が変わり……」ということを、よく仰っておられます。
しかしながら、この年齢まで生きていると、考え方を変えるより、行動を変えるほうが簡単なんじゃないか?
あるいは、環境を変えるほうがラクなんじゃないか?とも思うんですよ。
考え方って、自分の意思で変えられると思いがちだけど、具体的かつ強制的な方法が(「洗脳」とか以外に)無いだけに、なかなか変えられないものです。


ポジティブ思考、ネガティブ思考の優劣よりも、「ならば、どう行動するのが自分にとってプラスなのか?」を考えてみればいい。
そうすると、どっちに基づいても、「正しそうな答え」「やるべきこと」って、そんなに変わりないんです。
ただ、「やる人は、やるべきことをやっている」それだけのこと。



あと、これを読んで感じたのは、「失敗すること」を大事な経験として尊重するのは、すごく大事なんじゃないか、ということです。
ひとつの失敗について、「あいつはあんな失敗をしたことがあるから」と言って責める人が少なくないのですが、海外、とくにアメリカの本を読んでいると、「やったことがない」よりも、「それをやって失敗したことがある」人が評価されています。
というか、失敗したことがない人なんて、いないんですよね。
もしいるとすれば、それは、何もしようとしなかった人だけ。


堤幸彦監督の映画『はやぶさ』で「日本のロケットの父」と呼ばれる、糸川英夫さんの、こんなエピソードが出てきます。

 糸川さんは、うまくいかなかった事は「失敗」じゃなくて、「成果」なんだと常に言っていた。

ダイソーの社長もスティーブ・ジョブズも、松下幸之助も、みんな「大失敗」の経験を持っています。
この話、「ネガティブ」「ポジティブ」なんて思考法よりも、「一度の失敗にくじけず、粘り強くやりつづけること」のほうが、僕にとっては印象的でした。

アクセスカウンター