琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

イジメと「と学会」

参考リンク(1):山本弘のSF秘密基地BLOG:世の中にはこんなにも異常者が多い、という話

この山本弘さんのエントリに対して、「と学会」だって、「無知な人たちを『トンデモさん』としてさらし者にして、いじめてきたようなものじゃないか」という反応があって、僕はなんだかすごくモヤモヤしてしまいました。


参考リンク(2):『と学会』(Wikipedia)


トンデモ本の世界』が上梓されたとき、僕はこの本を半分笑い、半分ゾッとしながら読みました。
世界は、こんなにも疑似科学に満ちているのか、と。
当時はネットも今みたいに普及してはおらず、情報の伝達速度そのものも遅かったのですが、「疑似科学」は少なからず存在していましたし、それがウソかどうかを検証する手段って、僕にはなかったんですよね。
ノストラダムスの大預言』が、いいかげんなでっち上げだというのを知ったのも「と学会」のおかげです。
もうちょっと早く知っていたら、小中学校の頃、もう少し勉強してたかもしれないのになあ。
「どうせ30歳になる前に死んじゃうんだから」とか、当時はよくみんなで言っていたものです。
「恐怖の大魔王」は、核戦争に違いない、とかさ。


あの頃の「と学会」は、僕のなかでは、ヒーローというか、「いままでみんなが教えてくれなかったことを、ようやく教えてくれた人たち」だったんですよね。
その後、「と学会」の本は出れば読んでいましたし、それによって、僕の「疑似科学への耐性」は、かなり高まったのではないかと思います。


ただ、最近の「と学会」の活動年報を読むと、たしかに「いじめ」っぽい感じが強くなっている気がしていて、あまり読まなくなってしまっていたのは事実です。
今回、Wikipediaを読んでいたら、藤倉珊・元副会長は「つっこみやすい本をえらんでつっこむという手法」に疑問を感じるようになったなどの理由で、一時「と学会」を離れていたこともあったようです。また、その考えに同調する会員もいたとのこと。


うーん、「と学会」の活動のなかで、先ほど出て来た「大預言」の検証とか、『水からの伝言』への批判などは、「恐怖や美談で世の中をミスリードしていく人々へのカウンター」として、有意義だったと思うんですよ。
でも、最近の「年鑑」なんかを読んでいると、自費出版で、ほとんど誰も読んだことがないような本を採り上げて、その無知を笑い者にする、というような内容が多くなっているのは事実だと思います。
「ネタ切れ」とか、「活動報告の場では、他の会員とかぶらないように、なるべく珍しいものを見せなくてはならない」というプレッシャーもあるのでしょうけど、たしかに「イジメっぽい」。
そんなの著者にメールでも書くか、放っておけば自然消滅するはずなのに……と感じることもあるのです。


そもそも、「と学会」がやってきた検証作業は、いま、ネットでリアルタイムに行われることが主流となっていて、「大ネタ」は本に書くときには、鮮度が落ちてしまう。


初期は「社会正義」とか「啓蒙活動」的なモチベーションからはじまっていたと思われる「と学会」が、ちょっとした「権威」になって、活動を継続するために「つっこみやすい本をえらんでつっこむという手法」が目立つようになってしまった。
……実は、この「と学会」が歩んできた道って、いままさにインターネットが「後追い」しているように思われるのです。


「と学会」の本のひとつの重要な要素として、「笑い」があって、それは無知な者への「嘲笑」という、あまり上品なものではないのだけれども、1995年当時は、「笑い」で、疑似科学への検証に多くの人の足を止めさせた、という大義名分がありました。
学術論文みたいな反論だと、多くの人に読んでもらうのは難しいから。


「無知な人を笑う」のは下品ではあるけれど、「誤った知識を広めることによって、他人を不幸に陥れる可能性がある」場合には、「いじめ」というより、「批評」あるいは「抵抗運動のひとつ」として許容されるのではないかと思います。
まあ、放っておけば誰も読まないような自費出版本にまで、それを適用するのが正しいのかというのは難しいところではあるのですが、ある種の「学問についての話(「相対性理論は間違っている!」とかですね)」であれば、それは検証され、批判の対象になるのは致し方ないでしょう。
(ちゃんとした論文でもないものを、わざわざ「批判」するのは時間のムダかもしれませんが)


正直、こういうのは、どこまでが「批評」や「検証」なのか、ボーダーラインが難しいというか、「と学会」は、「あえて笑い者にしている」というスタンスなのは事実だと思うのです。
だから、たしかに「イジメ的」ではあるでしょう。
それは、社会への啓蒙活動として、許される範囲のものもあるし、そうではないものもあるのではないかな、と。


最後にひとつ言っておきたいこと。
「と学会」の本を読んでいると、「相対性理論は間違っている!」と堂々と主張している「トンデモさん」の話に、僕もニヤニヤしてしまうのですが、実際のところ、僕自身が「相対性理論」を理解できているわけではなく、「トンデモさんを論破する『と学会』の人の話を読んで、痛快な気分になり、そうだそうだ!と息巻いているだけ」なんですよね。
「トンデモさん」の著書をいきなり目の前に出されて、「どこが間違っていると思う?」と問われても、たぶん僕には具体的な指摘はできません。
自費出版だから、間違っているんじゃない?」みたいなことを言いそうです。


実際は、自分も「わかっていない」のに、「わかっていそうな人(権威)」の尻馬に乗って、他の「わかっていない人」を叩いて喜んでいるだけなんだ。
それは、もしかしたら、「地球は動いている」と言ったガリレオを笑った人たちと同じなのかもしれない。
「と学会」の人たちのほうが、ウソをついている可能性だってある。


大事なのは、「疑う」こと、そして、「自分で確かめる」こと。
あらゆる物事には「良い面」と「悪い面」があるのだけれど、「良い面」だけをみて盲信したり、「悪い面」だけをみて全否定したりしないこと。


誰かをイジメたことがない人も、誰にもイジメられたことがない人も、たぶん、いないんだよね。
「お前だって誰かをイジメたことがあるだろ!」って言うのは、まさに「思考停止ワード」です。
大事なのは、「いま、イジメによって危険に晒されている人の状況を、どうやって改善するか」であって、「おまえも悪魔にしてやる!(by デーモン小暮閣下)」ってレッテル貼りをしあうことじゃない。

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