- 作者: 一橋文哉
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2015/09/15
- メディア: 単行本
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人を、殺してみたかった 名古屋大学女子学生・殺人事件の真相 (角川書店単行本)
- 作者: 一橋文哉
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2015/09/16
- メディア: Kindle版
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内容(「BOOK」データベースより)
二〇一四年十二月、名古屋大学理学部一年の女子学生が、同市内に住む主婦を手斧で殴り、マフラーで首を絞めて殺害した。子どもの頃からの奇行、動物虐待、同級生への人体実験、殺人犯たちへの激しい共感…なぜ彼女は殺人願望を抑えられなかったのか?徹底した取材から事件の真実を炙り出す!
この事件、「もうすぐ20歳にもなろうってヤツが、殺してみたかった」で人を殺すなよ……と呆れ果てたのと同時に、「またこんな事件か……」と暗澹たる気分になったことを記憶しています。
そもそも、名大理学部って、そんな「良い大学」に行っているのに、もったいない……
彼女自身、2014年4月にインターネット上に開設した短文投稿サイト「ツイッター」の中に、こう綴っている。
《夢の中でマリーは人殺しでした》
《逮捕される夢を見て、怖かった》
この名古屋大学女子学生快楽殺人事件については、本書で追々綴っていくことにするが、凶行に及んだマリー(仮名)の心の中には、いったい、何が浮かび、どのように過っていったのであろうか。
マリーは取り調べに、こう呟いたという。
「自分がやりたいと思ったことをやっただけ。すべては夢の続きなんだ」
彼女がやりたかったこととは何か。
そして、マリーが見た真の夢とは、いったい、どんなものだったのであろうか。
著者は、関係者のさまざまな証言や、マリーの幼少時からの半生をたどりながら、「なぜ、このような事件が起こったのか?」を丁寧に検証していきます。
「幼い頃から、人を殺してみた、かった」
「実は、相手は誰でも良かったんです。殺した時はやった、という気がしました」
「人を殺して、達成感があった」
「(人間を殺したのは)悪かったかなぁ」
「遺体をもう一度見ておきたかったので、アパートに一泊しました」
「拘置所、刑務所に行かなきゃいけないと思うと、何かワクワクしてきた」
これらの供述の中に後悔とか反省の言葉はなく、それらしい姿勢も、ごく一般的な謝罪の言葉さえ全く口にしていない。
遺体が発見される前に観念して自供を始めた様子を見た県警の捜査員たちは当初、取り調べがスムーズに終わると思っていた。それが、こうした供述が次々と出てきたことで予想外の展開となり、慌てて警察庁や検察庁と対応を協議することになったのだ。
「国立大の理系女子だけあって、受け答えはしっかりしているし、理にも適っているんだが、話の内容が半端じゃない凄まじさなんだ。あの娘には人が死ぬことへの恐れや崇拝する心がないんだろう」
ベテラン捜査員は、殺人行為を淡々と語る彼女の姿を見て、そう話す。
さらに捜査員を凍り付かせたのは、マリーの次の衝撃的な供述だった。
「高校時代に、同級生に硫酸タリウムを盛ったことがあります。それまでも猫などの動物では試していたが、本当に人間にも効き目があったと分かり、嬉しかったです」
この供述が単なる少女の戯言ではなくて、実際に行われていたことが明らかになった。そして、後にマリーは殺人未遂容疑で再逮捕されるのだから驚く。
正直、この本を読むまでは、「そういう反社会的なことに興味を持ち、固執して、犯罪をおかしてしまう人というのはいるのだろうな」と思っていたのです。
これが比較対象として適切かどうかはわからないのですが、「幼女しか愛せない男」というのが世の中にはいるようです(僕は直接そういう人に会ったことはないのだけれど)。
でも、その人が「自分の自然な性的欲求を正しく満たす方法」というのは、いまの世の中には存在しない。
異性愛であっても、満たされない、うまくいかない、ということはあるけれど、それでも、「満たされる可能性」は存在している。
同性愛の場合には、社会によって難易度は違うし、異性愛に比べるとハードルは高くなるけれど、いまの日本では、婚姻などの法整備面はともかく、それなりに「満たす方法」はある。
「幼児性愛」の場合は、「そういう欲求を満たそうとすることそのものが犯罪」なのです。
そういうふうに生まれついてしまった人というのは、キツい(という言葉では届かないだろうけど)なあ、とも思うんですよ。
でも、自分の子どもが幼児性愛の対象にされたり、自分や家族や友人が「人を殺さずにはいられないひと」の犠牲になるリスクを考えれば、「共感」するのは難しいし、なるべく危険は排除したい。
結局、それはマジョリティの論理、なのかもしれないけれど。だからといって、どうぞどうぞ、というわけにはいかない。
ときどき、考えることがあるんですよね。
お金に困って、とか、痴情のもつれで衝動的に人を殺してしまうことと、「自分の内なる衝動や性癖に抗えずに」人を殺してしまうこと、どちらが「悪質」なんだろう?って。
人は、自分が理解困難なことに対しては、厳しく対処してしまいがち。
「なんでそんなヤツのターゲットにされなければならなかったのか」と被害者やその周囲の人が憤るのも、よくわかるのだけれど。
中学時代に、2008年の秋葉原の事件の犯人、加藤智大や、神戸の事件の酒鬼薔薇聖斗に傾倒し、毒物についての興味を周囲に語っていたというマリー。
ただ、こういう「シリアルキラーとかにやたらと詳しいヤツ」って、同学年に1人くらいは、いるものではないかとも思うのです。
そういう子どもの大部分は、ある時期から、憑き物が落ちたように「普通」になっていく。
ネットをみていると、そういう「変わった子」というのも、「筋肉少女帯が大好きな、人とは違うサブカル女子」くらい、ゴロゴロしているようにみえます。
こういう子を、「興味がある」だけで、片っ端から少年院に隔離するわけにもいかない。
毒物への興味というのは、「化学への興味」につながる場合もある。
この本を読んでいて、僕がいちばん驚いたのは、マリーが「高校時代に、同級生に硫酸タリウムを盛ったことがある」という事件でした。
この「実験」の被害者であるB君は、一時は失明寸前に追い込まれ、身体も自由に動かせなくなったため、2014年3月に同じ県内の特別支援学校に転校せざるをえなくなりました。
県警は2013年2月、B君から提出させた「何者かによって視力が低下する傷害を負わされた」とする被害届を受理し、薬物による傷害事件として捜査に乗り出した。
しかし、学校側の「問題をこれ以上大きくして、受験シーズン真っ只中の大切な時期に生徒たちに動揺を与えたくない」という要望を受けて、事件を一切公表せず、教職員からは事情聴取したものの、同級生など周囲の生徒たちには全く話を聞かなかったという。
そのため、B君が被害に遭ったとされる具体的なトラブルは確認できなかったし、容疑者を特定するどころか体調を悪化させた原因すら解明できず、捜査は曖昧な形のまま事実上、終了してしまったのだ。
この捜査方針について宮城県警は「まず高校の教職員たちから話を聞き、被害に遭ったB君に対していじめやトラブルがなかったかなどを確認したが、具体的な問題が出て来なかった。それで生徒たちからは話を聞かなかった」と説明した。
マリーはもともと開けっ広げな性格のうえ、タリウムを入手したことがよほど嬉しかったのか、学校で同級生たちに見せびらかしていたという。
「マリーが制服の胸ポケットに、ビニールの小袋に入れた薬品を大事そうに忍ばせて持ち歩いていたことは、同級生ならほとんど知っているはずだ。何しろ、『これ、タリウムだよ。一グラムで人が殺せるんだ』って見せびらかして歩いてたんですから。入手方法を聞くと、『勝手に親のパソコンからネット通販で買った』と言っていた。それがバレて、確か学年主任の先生から懇々と説教されてたはずだけど、全く意に介していなかったようだった。だから、学校側から一切説明はなかったけど、B君への毒盛り事件の時は皆、『マリーの仕業に違いない。何も発表がないということは、こっそりと処分されたんだ』と噂になっていた」
このとき、学校や警察が「受験シーズンだから」「生徒を動揺させたくないから」というような理由で、「事なかれ主義」でやり過ごそうとしたことが、今回の事件に繋がっているのです。
原因がわからなかったから、しょうがなかった、というわけではなく、生徒たちもわかっていた。
でも、大人たちは、現実から目を逸らし、マリーに「歪んだ成功体験」を与えてしまった。
快楽殺人事件の犯人は、いきなり人間を殺す、というわけではなく、小動物などでまずは「試す」ことが多いそうです。
本人の持って生まれた衝動というのを抑えるのは難しいのかもしれないけれど、決定的な事件を起こすのを防ぐことは、可能かもしれません。
今回の事件の場合には、ここまで明確な「前兆」があったのに……
「前兆」とするには、B君の事件は、あまりにも重すぎるとしても、そのときにちゃんと対応していれば、「ふたりめ」は起こらなかったはず。
読んでいて、やりきれない気持ちになりました。
僕だって、自分がこの学校の先生だったら、「受験が近いのだから」などと、事なかれ主義になりそうなんですよ。
だからこそ、こういう事例について、ちゃんと知っておくべきだと思うのです。