- 作者: 越前敏弥
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2016/02/10
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- 作者: 越前敏弥
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内容紹介
原文の「歯ごたえ」を残しながら、いかに日本人に伝わる言葉を紡ぐのか――「名人芸」が生まれる現場を、『ダ・ヴィンチ・コード』訳者が紹介。本を愛するすべての人たちに贈る、魅惑的な翻訳の世界への手引き。
僕は「ことば」に関する仕事をしている人の話を聞くのが大好きなのです。
翻訳者、通訳、コピーライター、校正者、映画の字幕をつくる人……
この『翻訳百景』は、日本でも大ベストセラーとなった、ダン・ブラウンさんの『ダ・ヴィンチ・コード』など、多数の洋書の翻訳を手掛けられてこられた越前敏弥さんによって書かれたものです。
僕は「英語」に関する仕事であれば、同時通訳でも文章の翻訳でも映画の字幕製作者でも「同じ人が兼ねられる」と思い込んでいました。
しかしながら、著者は、「翻訳」のなかでも、実際はかなり仕事の内容が細分化されていることを冒頭で説明しています。
大きく分けると、翻訳の仕事には三種類ある。実務翻訳(または産業翻訳)、映像翻訳、そしてわたしが携わっている出版翻訳だ。どれに属するか微妙なものがあったり、ふたつのジャンルの掛け持ちをする人が稀にいたりということはあるが、その三つは大きく異なり、まったく別の仕事だと言ってよい。たとえば、野球とサッカーとバスケットボールの選手ぐらいちがう。
特に、長い時間をかけて原文のニュアンスをできるかぎり忠実に伝える出版翻訳と、時間や字数のきびしい制約のなかで最善を尽くす映像翻訳では、ノウハウが正反対となる場合さえある。だから、いきなり字幕翻訳の話を持ち出されても、出版翻訳に携わる者としてはたいがい返答に窮してしまう。
わたし自身は、「出版翻訳社」ではなく「文芸翻訳者」と名乗ることにしているが、それは、出版翻訳のなかでも、文芸(≒フィクション)はノンフィクションとは異質の技術や訓練を要するからだ。この本で扱うのは、ほとんどが文芸翻訳(≒フィクション作品の翻訳)の話になることをまずおことわりしておく。
翻訳者って、とりあえず英語が得意だったら、できる仕事なんじゃない?
僕もそんなふうに考えていた時期がありました。
まあ、英語は苦手なので、自分でなろうと思ったことはないのですが、海外の面白い作品を自分の手で日本語にして世の中に送り出すって、良い仕事だよなあ、と。
では、どんな人が翻訳、特に文芸翻訳の仕事に向いているのか。これについては、インタビューやほかの著書などで何度も言及してきたが、「日本語が好き」「調べ物が好き」「本が好き」の三つの条件を満たしている必要がある。飽くなき表現欲と、旺盛な好奇心と、活字文化への情熱。そのどれが欠けても、この仕事をつづけていくのはむずかしい。
一方、「英語が好き」はどうかと言うと、これは必要条件ではない。もちろん、「英語を正確に読める」ことは必要だが、「なんとなく英語と接しているのが好き」な人にとっては、翻訳よりも向いている仕事がいくらでもあるはずだ。
この新書を読むと、この「文芸翻訳の仕事に向いている人」の意味がよくわかります。
本に書かれている内容には、専門的なものや、作者が独自につくりあげた世界がたくさんあって、大事なのは「知ったかぶりや妥協をせずに、わからない、自信がないことは徹底的につきつめていく真摯さ」なのです。
そして、日本語にする際には、自分自身が「言葉」のストックを持っていないと、平板な表現しかできません。
粘り強くて、地道な作業が苦にならない、というのが、ものすごく重要なのです。
それにしても、「翻訳」の世界というのは、奥が深い。
僕がまだ幼かったころ、いまから30〜40年くらい前って、原文に忠実な訳よりも、読みやすくした「意訳」を支持する人が多かったような記憶があります(まあ、それは僕がその時期、「子供向けの訳書」を主に読んでいたから、なのかもしれませんが)。
いかにも教科書的に、原文に忠実に訳しました、みたいな翻訳は、嫌われがちだったんですよね。
最近の柴田元幸さんと村上春樹さんの翻訳についての対談を読んでいると「なるべく原文に忠実な訳」であることが、あらためて重視されているようにみえます。
その一方で、「超訳」という、ものすごく意訳っぽい偉人の名言がベストセラーになっていて、「これは、どこまで信用して良いのだろう?」と思ってしまうこともあります。
「超訳」って、「原文にはあんまり忠実じゃないですよ」ってことでもあるものなあ。
著者は、こんな実例をあげています。
スティーヴ・ハミルトンの『氷の闇を越えて』を訳していたとき、冒頭の一文をどう訳すかでずいぶん迷った。 警察官のアレックス・マクナイトは、相棒とともにパトロールをしていたとき、異常者に乱射される。相棒は命を落とし、アレックスも瀕死の重傷を負って退職する。それから十四年経ったいまも、アレックスの胸には摘出できなかった銃弾が残っている。心の傷は劣らず深い。それが、あるとき思いがけないことから私立探偵になり、事件を解決する過程で少しずつ自己再生していく。
この作品の書きだしは、こんなふうになっている。
There is a bullet in my chest.
どんな訳者でも、冒頭の一文に向かうときはかなり意気ごむものだろう。その作品、そのシリーズ、ときにはその作家の将来を決定づける可能性さえあるからだ。この作品を訳したときも、あれこれ考えた。数十の訳文が脳裏に浮かび、消えていった。そして、空が白んでいきたころ、ひとつの結論に達した。確信と言ってもよかった。
さて、あなたなら、このシンプルな英文をどう訳しますか?
著者が翻訳学校でこの作品を教材に使ったときには、「わたしの胸には銃弾が残っている」「――はいっている」「――埋めこまれている」「撃ちこまれたままだ」などの答えがかえってきたそうです。
これらはみな、わたしの脳裏から消えていった訳文だ。
恐怖や衝撃というものは、それがいかに恐ろしいか、いかに衝撃的かを説いたところで恐ろしくも衝撃的にもならない。笑いについても、おそらく同じことが言えよう。いちばんよく伝わるのは、いっさいの説明を排して、事実をありのままに開示するときだ。
"There is a bullet in my chest"という文は、まさにその原則を体現しているのではないか。事実を語るにあたって、考えつくかぎり最も単純な言い方をしているからこそ、最も衝撃が大きい。だとしたら、翻訳がどうあるべきかは、おのずと明らかだろう。
というわけで、わたしの訳は「わたしの胸のなかには銃弾がある」。
なあんだ、そのままじゃないかと言うなかれ。そのままの訳がなかなかできないからこそ、そんな度胸がないからこそ、翻訳学習者もプロも、何年も何十年も苦闘をつづけている。
これを読みながら、僕もいろいろと考えてみたのです。
でも、「わたしの胸のなかには銃弾がある」以上の訳は、ちょっと考えられないんですよね。
プロだからこそなかなかできず、プロだからこそ、最終的にはたどり着ける訳、か……
言葉って、難しいですよね。そして、面白い。
また、こんな問いかけも。
拙著『日本人なら必ず悪訳する英文』の第一部に、
While a cat is away, mice will play.
をどう訳すべきかという設問がある。これに対する訳文として、「鬼の居ぬ間に洗濯」と「猫がいなけりゃ、ネズミが遊ぶ」のどちらがよいかというものだ。
こういう「ことわざ」みたいなものを、どう訳すべきか。
越前さんの「回答」が知りたいかたは、ぜひ、この本を手にとってみてください。
そのほか、ダン・ブラウンの作品の翻訳で苦労するのは、新たな訳語をつくらなくてはいけない場合だ。『ダ・ヴィンチ・コード』では、senechauxという単語に対する訳語をどうするかでさんざん迷った。作中では、秘密結社シオン修道会の総長につぐ高い役職の数人を表すことばなのだが、もちろん定訳はない。英和辞典にも記載がなく、いろいろ調べてみて、どうやら中世のフランスで高官の一種を言い表したことば(単数形はsenechal)だとわかった。たとえば「幹部」と訳してしまえばそれまでだが、ここはもう少し古めかしく重いことばがほしく、類語辞典などをあたったすえ、明治時代に長官につぐ官名だった「参事」ということばを選ぶことにした。
このように、辞書にない新たな訳語を創出せざるをえないことは、小説の翻訳ではしばしばある。
日本人の僕が日本語の小説を読んでいても、「これ、どういう意味の言葉なのだろうか?」と悩んでしまうことは、少なからずあるのです。
おそらく、英語で日常をおくっている人たちも、英語の小説のなかに「わからない言葉」もあるはず。
それを「訳す」っていうのは、大変なことですよね。
言葉として「正しい」だけではなく、その言葉が与える「重み」みたいなものも、伝わるようにしなければならないのだから。
「翻訳」に興味がある人、海外文学好きな人は、ぜひ読んでみてください。
僕も、これを読んで、「もっと翻訳小説も積極的に読まなくては」と思いました。
「今の自分には、ちょっとわかりにくいもの」に触れて、「少しずつでもわかっていく」ことは、読書の醍醐味のひとつですし。
- 作者: ジョン・ウィリアムズ,東江一紀
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- 作者: 村上春樹,柴田元幸
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