琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

トリッチ・トラッチ(12/8)「思いつきで書いている」

http://aozora.sub.jp/blog/archives/000483.html


 僕は偏向報道ばかりやっているマスコミへの批判を書くことも多いのですが、実際問題として、多くのWEBサイトがそうであるように、「報道されていることは大部分が事実」という「信頼」があるから、それに対して意見を述べることも、批判することもできるわけです。「イラク戦争は、マスコミのでっちあげだ!」というのは妄想チックではありますが、その一方で、僕は自分の目で戦場を見てきたわけではないのだから、全世界のメディアが意図的に嘘をつこうとすれば、「ニセの戦争」だって作り出せないことはないのです。
 しかしまあ、こういうのは、「他の車も赤信号で停まる」というような基本的な「お約束」をある程度は信頼していないと車の運転なんて恐ろしくてできないのと同じで、「100%信じられないのは承知の上で、とりあえず信じている」というのが社会生活上の通念です。もちろん、その「信頼度」には個人差があるのですが。


 なんのかんの言っても、そこにお金が絡んでくるような「政府のサイト」とか「新聞社」などは、個人サイトと比較すれば、「客観的な情報」の信憑性ははるかに高いと僕は考えています。逆に、「公益性の高いサイトには、事実を発信する責務がある」ということなのですが。
その一方で、例えば企業の内部事情であるとか、映画やゲームの感想など、情報発信側が営利組織であれば、、さまざまな「制約」があることが予測される場合には、「個人の意見や感想の集積」のほうが、はるかに有意義ではあるでしょう。ただし、そこにみられるのは、あくまでも「全体としての傾向」であって、「2ちゃんねるで名無しさんのひとりが面白いと言ったゲーム」というのが、それだけで「普遍的な傑作」だと判断することはできません。


 僕は基本的にサイトの中で、ある情報に対する「ソース」として引用もしくはリンクするときには、ある程度の信頼度を持っている(と僕が考えている)サイトを対象にしています。具体的には、政府や公的機関、新聞社などのメディア関係、あるいはその分野の権威とされている人が、実名を出して公開しているサイトなど。基本的に、個人が匿名でやっているサイトに関しては、「客観的事実の裏づけ」にはならないと考えています。新聞社のサイトの嘘が「信号無視」であるとするならば、個人サイトの嘘(もしくは誤り)は、「ちょっとブレーキを踏むのが遅い車」というくらいで、それは、周りの車としては、「その程度のことは、予測して対応できるようにしておくべきレベル」だから。


 僕もかなり詳細に裏付けをとっているつもりなのですが、それでも実際は、「思い込みによる謝った情報」を発信してしまうことだってあるのです。まあ、これで食べているわけではないので、時間的な制約やコスト面での制約もありますし、第3者に「信頼できるソース」として提示できる情報をWEB上で探すのは、かなり難しいことなので。


 なんだかやたらと長くなってしまいましたが、要するに、「個人サイトの『情報』に関しては、あまり信頼しすぎないほうがいいよ」というのが、僕の言いたいことなのです。というか、鵜呑みにするのは危険。
 「信じるな」とは言わないけれど、「騙されたら困る」ような信じかたはしないほうが無難です。

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