こんな夢をみた。
その男は、「具合が悪い」といっては病院を受診し、「入院させなければ訴える」と救急外来で叫んで、「隣の患者がうるさいからなんとかしろ」と毎晩のように訴えて、スタッフに暴言を吐いては自主退院していった。しかし彼には生活の糧がなく、結局寒くなったりお金がなくなったりすると、また他の病院に行ってはトラブルを起こす、ということの繰り返しだった。
僕が彼のカルテをパラパラとめくっていたら、そこには、自分の生まれ育ちについて書いた克明で感動的な手記が挟まれており、添えられた短歌も立派なものだった。そしてそこには、彼の闘病記が綴られていた。もちろん、彼自身が食事療法も全然守らず、薬も飲まなかったことなど、一言も触れられてはいなかったが。
だが、現実の彼は、寂しくなっては病院にやってきて、「俺は病人なのだ」と大声をはりあげながら救急車から歩いて降りてきて、「入院させろ」を繰り返している、ただそれだけだ。
その夢をみながら、僕はこんなことを考えた。
たぶん、本当に充実した人生というやつは、「物語」を必要としないのではないか?
そして、ものを書こうという人間は、なにかしら歪みを抱えているのではないか?と。
「書かずにいられない」というのは、本当は情けなく、みじめなことなのかもしれない。「言い訳を必要としない生き方」こそが、正しい人生なのではないか。
鏡の中の自分を見せられてしまったようで、僕は、その悪夢を今も忘れられない。