琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

ゲーム脳とか

幼少から本当にゲームばかりやってきた僕に言わせると「ゲーム脳」というのはデッチアゲだと思うけど、正直、「ゲームが体に悪い」のは間違いないとは思う。視力もストンと悪くなったし、外で遊ぶ時間も激烈に減ったしね。まあ、あの時代は「外で遊ぶ」という事に対して、なんとなく親もいい顔をしていなかったような気もするのだけれど。
そして、ゲームばかりやっていると、頭も悪くなる。当たり前だ。ほとんどのゲームは、あらかじめ与えられたシナリオの上をなぞっていくだけなのだから、多くの人間にとっては、創造性を育てるものにはならない。
ゲームの良いところは、「ゲームさえあれば、友達なんていなくてもひとりで楽しく遊べる」というところだ。僕は中学に入るときに転校したのだがなかなか友達ができず、本当に早く家に帰ってゲームをやることだけが楽しみだった。でも、こういうのは裏を返せば「ムリしてでも、人とつきあう術を覚える」というトレーニングをする機会を失ってしまうということにもなるだろう。ゲーセンなら、「ゲーセン内の人間関係とかもあるんだけどさ。
そして、ゲーム内で破壊や殺戮を行うことは、一種のガス抜きになることは事実だが、一部の人々の残虐性のトリガーを引いてしまう可能性もある。「グランド・セフト・オートみたいなことをやってみたかった」と言って銃を乱射したような子どもたちが原始時代に生まれていたら、そんな凶行をやったかどうかなんて、証明しようもないけれど。

ゲームというのは、少なくとも「体に悪い」し、「精神的にも悪影響を与える」可能性もある。でも、僕はゲームが好きだ、大好きだ。僕がゲームを愛しているのは、率直に言うと、ゲームが体や心に良いからではなく、単純に「面白いから」なのだ。
面白いから、ゲームはやめられないし、ゲームのある時代に生まれてよかったと思っている。
ハッキリ言って、ゲームは「正義」でもなんでもない。バーチャルな世界のこととはいえ、人間を殴ったり、銃で撃ったりすることが正義なものか。昔は不良がやるとかバカになるとかさんざん言われていたのだ。それが、ファミコンのおかげであまりにメジャーになってしまったから(一大産業として、多くのメディアのスポンサーにもなっているしね)、みんな何も言わなくなってしまっただけのことだ。
しかし、そう言うのなた、テレビだってそうだし、映画だってそうだ。もっと言えば、タバコだってそうだし、酒なんてその極みだ。
みんな「酒は体に悪い」(一部の病気に対しては、適量ならいい方向に働くことはある)ことを知りながら「やっぱり酒はいいねえ、人間関係を円滑にするよ」とか「百薬の長」とか言ってごまかしているのだ。要するに快楽>害悪というコンセンサスを多くの人が持っているから、叩かれないだけの話で。少なくとも、ゲーム脳とやらで事件を起こす子どもよりも、酒を飲んで事件を起こす大人のほうが、よっぽど多いぞ。「アルコール依存症」のほうが、ゲーム脳より、よっぽど問題なんじゃないのか。
まあ、こういうふうに問題をすりかえてはいけないな。少なくとも、ゲームに関していえば「全然悪影響はない」というのは嘘だと思う。でも、その悪影響以上に、ゲームがあることで、人生のうち楽しく過ごせる時間が増えていることも事実なのだ。ゲームがあれば、モテなくても、あんまりお金がなくても、高尚な趣味がなくても、誰でもディスプレイの中では英雄になれる。
 偉い先生たちは、ゲームなんて「嘘の世界」だというけれど、僕にとっては、画面を飛び跳ねるマリオも、ロトの勇者も、みんな「ディスプレイの中の現実」だった。良くも悪くも、ゲームというのはもう、現実の一部でしかない。
僕は今のところ、この「テレビゲーム」という娯楽を手放せない。せっかく、その幕開けから、ともに歩んできたのだし。

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