琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

福岡西方沖地震に関して

http://xxsachixx.blog2.fc2.com/blog-entry-201.html

 僕も「地震のこと」を書いた人間のひとりなのですが、正直、あんなふうにブログに書けた要因のひとつは、今回の地震が、今まで体験したことのないような激しい揺れと恐怖をもたらしたわりには、僕の周りでの実害が「高価な皿が割れた」とか「本棚の本がバサバサと落ちてきて、片付けるのが大変だった」というくらいのレベルのもので、「自分や周りの人の生命の危険」をあまり深刻に感じていなかったからだという事実があります。身内が瓦礫に埋まっているのにブログを更新している人は、僕だって信じられませんが、崩れた本の山くらいだったら、「せっかくだから、ネタにしとくか…」というような打算と「自分の身の回りに起こった『信じ難いこと』を誰かに伝えたい」という気持ちがあったのではないかなあ、と。以前「このブログがすごい!」という本で、「食べたものを淡々と記録するよ」(http://tabetan.2log.net/)を書かれている方が新潟中越地震に被災されたときのことを「書くことで正気を保っていた」とコメントされていたのですが、確かに「書く」とか「発信する」という行為には、そういう自己確認性があるのだと思いますし。

 ところで、話はやや脱線するのですが、個人サイトなどで「発信すること」に対してactiveになっていくと、なんだかわけのわからない、「伝える側である恍惚」みたいなのに支配されてくる場合があるようです。「マスコミとは違う立場」のはずなんですけど、マスコミの一員であるような「使命感」を自発的に抱え込んでしまうんですよね。
 そして、「不倫日記」などによく見られるような、「この人は、なんでこんなことを書くんだろう?」というような内容を書いてみたりもするわけです。「不倫していることを書く」というより、「書くために不倫しているんじゃないか?」なんて思ってみたりもするくらいに。
 事実を書いているつもりが、書くために事実があるというような主客の転換が起こってしまう、そんな感じ。
 そして、だんだん「傍観者・記録者としての自分」のほうが優位になってきて、最終的には、自分の人生そのものが、形骸化して、他人事のようになってくるのではないか、と。
 そういう意味では、ネットはまさに「麻薬」なのかもしれません。

 そんなことを、考えさせられました。

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