琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

さくら

さくら

さくら

 何軒かの本屋さんでかなり大仰にディスプレイされていて、「セカチュー」「イマアイ」の次は、「さくら」だ!というような気合の入った売られ方をしているこの作品なのですが、僕はけっこう斜に構えていたのです。ああ、またああいう「わかりやすいだけの小説」を読まされるのか、と。
 転勤の前の日に紀伊国屋で買ったこの本を読みはじめたのも、せめて桜のイメージが残っている季節に読まないと、二度と読まない予感がしたから。

 結論から言うと、この「さくら」という作品、とても面白かったし、心を揺さぶられました。正直、内容というか、謎解きみたいなのは途中でわかってしまうし、起こるイベントもそんなに珍しいものではないし、類型的と言えるのかもしれないし、「萌え」系の話か?と一瞬疑ったし、いくら若くったって、そんなにしじゅうセックスのことばっかり考えているわけないじゃないか、なんて思いもあるのです。
 でもね、僕の実家には、犬がいるのです。この物語を読みながら、僕は実家にまだ健在の、その年老いた雌犬のことをずっと思い出していました。うちの家族はどちらかというと個人主義的なところがあって、早くから家を出て寮に入ったり、一人暮らしをしていた僕にとっては、久々に家に帰っても、温かさとともにちょっとした疎外感みたいなものも感じていたものでした。そして、家の中に、家族の間に気まずい沈黙が流れようとしているとき、僕はその犬に話しかけ、頭をなで、布団の下に骨を隠そうとして掃除のたびに見失ってしまう愚かさや、みんなが食べているものに興味を示し、さんざんアピールしておこぼれにあずかったのに、ちょっと口をつけただけでプイ、と走って逃げる厚かましさを、会話の糸口にしていたのです。今から考えたら、他の家族もみんな、そんなふうに、「何も言えないから」こそ、その犬にいろんなものを預けてしまっていたような気がします。彼女は、間違いなく僕たちの大事な家族でした。そして僕は、彼女にあまりにたくさんの荷物を抱えさせてしまったことに軽い罪の意識を覚えつつ、この物語を読んだのです。
 「さくら」は、そんなに目立った活躍を物語中でするわけではありません。
 でも、彼女はずっと、そこにいます。

 たぶんね、あの頃僕が苛立っていたり、蔑んでいたり、嫌っていたものこそ、大事なものだったのではないかなあ、と今では思うし、本当に正しい家族なんてどこにも存在しなくて、どんなに立派に見える家族も、いびつに見える家族も、いろんなヨロコビやカナシミを抱えているのだ、ということもわかります。
「さくら」は、「どうしようもないこと」を「それは、どうしようもないことなんだよ」と語りかけてきます。そこには、奇跡もないし、悲嘆もないし、叱責もない。ただ、時は流れていきます。

 読み終えて、久しぶりに実家の犬に会いたくなりました。
 彼女はまだ、僕に一生懸命尻尾を振ってくれるかな。

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