琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

ネットとリアル

http://d.hatena.ne.jp/kowagari/20050526/1117112248

↑で書かれていることについて、思ったことをいろいろ書き連ねてみる。
僕が「ネット人」であるかどうかはさておき、

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

↑を書かれたばるぼらさんのことを僕は羨ましいと思っているんです実際。
ただ、それは「上のステージに行った」というようなものではなくて、本好きとしては、「自分が書いたものが本になって書店に並ぶなんて羨ましいなあ…」という羨望なんですけど。お金とか名声という点では、この本が「セカチュー」くらい売れればともかく、定価(税込み)2500円のこの本の著者印税が1冊250円として、10万部売れれば2500万円になる計算なのですが、実際にこの本がネット界でいくら話題になっていたとしても、10万部という数字はあまり現実的ではないような気がするし、この本を書くまでの手間とか時間を考えたら、「儲かる」ようなものではないと思います。
それで、僕がひとつ気になったのが、この本の装丁なのですけど、最初これを本屋で見かけたとき、書いたのは竹熊健太郎さんなのかと勘違いしましたよ。本の表紙に書いてある「ばるぼら著」は目立たないのに、帯の竹熊さんの名前は大きく目立つようにしてあるし。というか、翔泳社さんは、「この本を売る為に」著者を勘違いさせたかったのではないか?などと勘繰ってしまいたくもなりました。そりゃあね、「世界の中心で、愛をさけぶ」の販促に柴咲コウさんの「泣きながら読みました」が効いたのは事実だと思うんですよ。でも、その一方で、片山恭一という作家に対しても、それなりに表に出すための努力はされていたはず。でも、この本に関しては、出版業界という範疇では、少なくともこの労作を世に出したばるぼらさんという人を売り出そうという意志は伝わってこないんですよ僕には。
なんというか、「使い捨てのデータ取りの人」みたいな。
そして、少なくとも出版業界での「ネット人」の扱いみたいなのは、今の時点では「こういうもの」なのではないか、と。
もしかしたら、御本人がそういうふうに「世に出ること」を望んでいなくて、「とりあえず本という形態にもしてみた」のだろうか。
いや正直、あの本を見てそこに書いてあるアドレスを入力してまで見るのは結構キツイんですよね。HTMLで書いてあってリンクしてあれば、見に行ったはずのサイトはたくさんあるような気もするんだけど。

ちょっと話は変わるのですが、僕は昔「テキストコンテスト」というイベントに参加していたことがあって、そのときに自分で反省したのですが、結局あの舞台では、僕には「ネットの特性を生かしたテキスト」というのを創出することはできず、単に「紙媒体でも可能な、同人誌的文章自慢」しかできなかったんですよね。せっかくネットというツール(あるいは、コンピューターという設備)があるのだから、もうちょっとアグレッシブに「WEBでしかできないもの」を創りだす努力をしなければならなかったのではないか、と。
WEBで、あるいはコンピューター上とか言っても、所詮それは「ツール」なのだから、「既存のテキストを載せるもの」でしかない、というけれど、本当にそれでいいのか、と。
例えば、「本」という媒体と「ネット上のテキスト」という媒体とを比較すると、「本」というのは、読んでいる本人は普段は意識していなくても、いろんな情報を含んでいるのです。例えば、「この物語はいつ終わるのか」という点に関して、「本」の場合は、残りのページ数や厚みでだいたいの見当がつきますよね。でも、ネットの場合は、そういう先入観を排除することが可能なはずです。だから、極論すれば、大作っぽくていきなり主人公が5ページで死んで尻切れトンボになる物語だって存在しうる。まあ、そういうのは商業ベースには乗りにくいし、それが一般的に受け入れられるものかどうかといわれたら、どうかなあ、なんて思いはあるのですけど。あるいは、昔筒井さんがやっていたように、読者参加型でストーリーが変わっていくようなものだって可能です。これもまた、「変化するから楽しい」かどうかは別なんですけど。
だから、使いようによっては、既存の「書籍」ではできない、あるいはやりにくいことだって、たぶんいろいろあるんですよね。少なくとも、そういう「余地」は、まだまだたくさんあるはず。

だいぶ長くなってきたのでこのへんでやめようと思うのですが、「ネット」から「リアル」への「上がり」を目指す人というのは、確かにいるのでしょうし、それはそれで構わないと思います。
でも、その一方で、「金なんか要らないから、好きなこと書かせろ!」という文化が存在するのは、素晴らしいことなんじゃないかと。
一般商業誌に載っている「医者の文章」の大部分は、提灯記事か、教科書的な病気の説明か、一方的な医者の悪口で、「商業」となると、「書かせてもらえること」って、思っている以上に制限されるみたいなんですよね。ゲーム紹介の記事とかでも、そうなんじゃなかろうか。
もちろん、「好きなこと」にもある程度は限界があるんだけど、それでも範囲はだいぶ広がりはするのだし、そういう発信できるツールというのは、素晴らしいものだと思う。
でも、そういう人が「面白いから」ということで「商業」の世界に組み込まれると、全然つまらなくなってしまったりもするのかな、と。

ただね、「所詮、ネットもリアルの一部なのだ」と感じることも最近多いです。
当たり前といえば、当たり前のことなんですけど。

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