琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

サイトの「勝ち負け」の定義

Quick Japan/Vol.62」(太田出版)の「総力特集・山下達郎」より、山下達郎さんと山口隆さん(サンボマスター)の対談の一部。

(音楽の「主流」とは?という話になって)

【山下:主流は筒美京平さんとかであって、僕の音楽はまったく主流ではない。

山口:そうかなぁ。でも1位とかガンガン獲ってたら、本流じゃないんですか?

山下:経済活動とかチャートで1位を獲っても、それをもって主流とは言えない。音楽についての勝ち負けというのはすごく難しい。相撲だったら横綱にならなきゃ勝ちじゃない。オリンピックだったら金メダルを獲ればマイルストーンになる。しかるに、音楽にどうやって勝ち負けを付けるかと言えば、それは1位なのか、東京ドームで公演することなのか。でも、1位を獲っても、100万枚売っても、その曲に対してある人は涙を流して感動するけど、ある人はゴミだと言う。1億3千万の日本人を全員満足させる音楽はない。しかも、それがどんどん細分化されていっている。

山口:それで達郎さんは何を勝ちだと?自分の満足?

山下:勝ち負けは人が決めること。あとは、自分が顧客(カスタマー)でいて欲しい人たちの観念(イデア)に向けて発信したものを、その人たちがいいと思ってくれること。

山口:僕は、自分の満足だけとは言えない。ここから先は自分でもぼやけて見えないですけど、こんな欲深い僕でも、音楽でちょっとでもリストカットしてる子の手首の傷がなくなればいいとか……。

山下:それだけ問題意識を持ってたら、そう簡単にブレないから大丈夫だよ。100万枚売れようが東京ドームをやろうが、客はちゃんと分かってるから。】

〜〜〜〜〜〜〜

 長々と引用してしまってすみません。僕はこの2人の「ミュージシャンとしての『勝ちの定義』とは?」というやりとり、「音楽」というのを「サイト」に置き換えても十分通用するなあ、と思いながら読みました。とくに達郎さんの【自分が顧客(カスタマー)でいて欲しい人たちの観念(イデア)に向けて発信したものを、その人たちがいいと思ってくれること。】という言葉は、今までうまく言葉にできなかった「何のためにサイトをやるのか?」という自分自身への疑問への1つの解答だなあ、と。
 要するに、「自分が読んでほしいと思うような人に届いて、その人が喜んでくれること」というのは、まちがいなく、ひとつの「成功」の形であると思うのです。
 しかしながら、そこに「届ける」ためには、やはり、ある程度は「一般に浸透する」ということが必要にもなってくるわけです。「広告の裏」では、誰にも伝わらないのだから。
 「どうしてこんなにアクセスが増えたのに、淋しさは変わらないのだろう?」と感じるというのは、たぶん「アクセスを増やすこと」ができていても、肝心の「伝えたい相手」に伝わっている実感がないか、あるいは、「本来自分が伝えたいと思っているのとは違うこと」を、「一般化のための手段」として書いているためなのかもしれません。読まれても嬉しくもなんともないことを、読んでもらうために書いているという、悲しい現実。
 いやしかし、実際のところは、「誰に読んでもらいたいか」なんてことを考えて書いている人というのは、意外と少ないような気もします。「誰も読んでくれない」と言う前に、「誰に読んでもらいたいのか」を考えるのって、すごく大事なことなのではないでしょうか。

アクセスカウンター