琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「モーツァルト!」と本田美奈子さんの訃報と「沈黙」の解釈と

 昨日、ミュージカル「モーツァルト!」を観に行っていたのですが、ちょうど開演直前にニュースで本田美奈子さんの訃報を聞いて、ひょっとしたらカーテンコールなどで出演者たちの口から、本田さんに関するなんらかの追悼の言葉があるのではないか、と思っていたのですが、結局、それらしいものは何もなく、おそらくいつもと同じステージが繰り広げられ、2回のカーテンコールのあと、主役の中川さんと子どもが幕の前に出てきて手を振って去っていきました。出演者には、本田さんと同じステージに立ったことがある人もけっこういたと思うのだけれど。
 まあ、それが業界の慣例なのかもしれないし「本田さんのために演ります!」とか言われても観客としてはなんだか困惑しそうだし、出演者たちは内心動揺を隠しながら、観客のために「いつもと同じステージ」をなんとかやっていたのかもしれないけれど。
 ただ、他人が考えていることというのは、口に出して説明されないとわからないものだな、ということを、あらためて感じました。たとえ、そういう「説明」ってやつは(たとえば、「今日は悲しいことがありましたが、いつも通り演ります」なんて言われたら)、口から出てしまったとたんに、薄っぺらな「言い訳」になってしまうものなのだとしても。

 どこかで前に書いたことがあると思うのだけれど、身内の葬式で、親類縁者などがド派手な喪服でやってきて、「どうしてお亡くなりになられたんですか?」とか「財産は?」とか不躾に聞いてきて閉口した経験が僕にはあるのです。でも、来た人のことはわかるけれど、来なかった人のことは、正直よくわからない。それは、「余計な気を遣わせたくない」という配慮だったのかもしれないし、もしかしたら、自分にはその資格がないと思ったのかもしれない。あるいは、「自分には関係のないことだし」と判断したのかもしれない。プラスからマイナスまで、本当にさまざまな「解釈」というのはあるのですが、逆に、「来なければどう解釈されてもしょうがない」という面もあるのだな、と今の僕は思います。そりゃあね、その相手に対する個人的な感情で、解釈なんて変わってくるものだけどさ。

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