琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

僕と秋葉原

http://artifact-jp.com/mt/archives/200511/akihabaraotaku.html

僕は昔から電器製品が大好きだったので、小学校の頃から「秋葉原の電気街」というのに憧れていました。当時は「オタクの街」というより、「とにかく電器製品がたくさんあって、ものすごく安く買えるところ」というイメージだったのです。
某西日本在住だったため、秋葉原というのはものすごく遠いところだったのですが、小学校のときに父親秋葉原につれていってくれて、当時まだ出始めだった「ウォークマン」を買おうということで、「ここではこうやって買うんだ」と店員さんに値切り交渉を始めたのをみて、家族みんなで「そんなみっともない!」と一生懸命引き止めたのを思い出します。まあ、今思い出してみると、「みっともない」とか言っちゃって悪かったなあ、と。でも、なんだかそういうのに自意識過剰な時期だったんだよねえ。

そしてしばらくしてから僕はマイコンというものにハマってしまって、秋葉原はまさに「聖地」という印象になりました。マイコン雑誌「I/O」(アイ・オー)に広告を載せていたり、巻末の「電気街マップ」に載っているようなメジャーなマイコンショップが秋葉原にはたくさんあって、そこには、田舎にいては到底手に入らないようないろんなゲームソフトや周辺機器が満ち溢れているのだ、と思うと、本当に近くに秋葉原がないことが悲しかったのです。つーか、当時田舎でマイコンのゲームを買おうと思えば、現金書留で通販で頼むか、とりあえず近くの家電量販店に置いてあるやつのなかで選ぶか、しかなかったので。ましてやそんなにメインストリームではなかったシャープX1。ほんと、ゲーム買うのも大変でした。そもそも高いしさ。おまけに近くのマイコンショップでは、「そのメーカーのゲームは取り寄せられません」とか平然と言われちゃってたしなあ。いや、うちの経済的な面からすれば、秋葉原が沖の鳥島より遠いほうが良かったには違いありませんが。そういえば、あの頃は、「秋葉原」を「アキバ」と呼ぶか「ハバラ」と呼ぶか?なんて論争(?)もありました。「ラオックス」とかが秋葉原の顔だった時代の話ですね(って書いてるけど、僕はちなみにラオックスに行ったことはないですすみません)。

で、それから秋葉原は「オタクの聖地」へと変貌していくのですが、僕にとっての秋葉原というのは、この「パソコンの街」で止まってしまっているんですよね。それからは一時期パソコンへの興味を失ってしまったし、美少女ゲームにもアニメにもそんなに思い入れはなかったし、寮に入ったり部活に燃えたりファミコンばっかりやってたりして。
だからヨドバシとか言われても、もっとこう、「PC88が180K」(訳・NECのPC8801というマイコンが、18万円で売っているよ。あの世界では、1000=Kで表記していたのです)のような掘り出し物探しとか、マニアックなパーツとかを探すのが秋葉原じゃないのか?という残留思念から逃れられないのです。

今でも、僕の中の秋葉原って、「オタクの街」というより、「マニアの要塞」なんですけどねえ…

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