琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

西遊記

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 どうせあの夏目雅子堺正章の「西遊記」にはかなわないだろうと、正直あんまり期待していなかったんですけど、予想よりはるかに面白かったです。2話目以降もたぶん観ます。最初のキムタク(途中までは誰だかわからなかったんだけど)が出てくるシーンでは、やっぱりなんかつくりがチャチだな、とか斜に構えて観ていたんですけど、その次の本編の冒頭の「水をくれとゴネる孫悟空に対して、三蔵法師が水筒の水を花にかけてあげて、『争うよりも花の美しさに目を向けなさい』と諭す場面の展開には、思わず苦笑してしまったのです。
 夏目雅子さんが三蔵法師だった「西遊記」では、この手のシーンが随所にみられて、それに対して堺正章さんの孫悟空は、反発しながらもそういう三蔵に敬意を払っていました。あくまでも、夏目版での「三蔵への反発」というのは、「親や上司への反抗」という感じ。でも、今回の深津版では、そうやって3人組を諭した三蔵に対して、悟空たちは「何言ってるんですか!」と正面きって猛反発。それで泣きそうになった三蔵を持て余して、3人組は一転して三蔵を慰めにかかるのです。つまり、三蔵法師は、本当に「仲間」として描かれているんですよね。3人組にとっての三蔵は、精神的支柱であると同時に「俺たちがいなきゃダメなんだよなあ」という、守るべき存在、としての色が濃くて、そして、そういう描き方というのは、たぶん脚本の坂元祐二さんが「夏目西遊記」を観ていて、「同じものを今やっても、以前の『夏目版』を知っている人には所詮二番煎じにしかならないし、逆に知らない人たちにとっては、教条的すぎる」よいう判断をした結果なのだと思うのです。宮沢りえ版は、まさしく「同じことをやろうとして」失敗してしまったのですから。「夏目西遊記」が、原典の「西遊記」を活劇ドラマ・人情ドラマとして解釈したものだとするならば、「深津西遊記」は、その「夏目西遊記」を、より現代的に解釈(というか、かなり意図的に改変して)いるものだという印象を受けました。ある意味これは、「夏目西遊記」のパロディなのかもしれません。
 そもそも、この話のはじめかたって、「みんな、『西遊記』って、どんな話だか知っているはず」という前提を強く感じますし。だから、旅のはじめのほうの説明的なところはものすごく端折ってるし。そして、僕のように記憶のなかに「夏目西遊記」を持っている人間にとっては、その「どんなふうにもうひとひねりしているか」という見どころもあったのです。
 だから逆に、香取孫悟空の牛魔王への「人間には心ってものがあるんだよ!」という決め台詞の長さも内容も、僕にはちょっと説教くさくて長すぎるように感じられたのも事実で、「これは、そんな真面目な『西遊記』のつもりじゃないくせに」とかイヤミったらしく思いもしたのです。しかしながら、牛魔王に勝ったあとの悟空を「殺生はいけません!」と三蔵が制し、僕が画面に向かって、「こいつ解放されたら、また同じことやるに決まってるよ!」と毒づいていたら、なんと牛魔王は三蔵の心に打たれて改心するわけでもなく、神様(なの?)に連行されていきました。もう、ドラマでも性善説は受け入れられない時代なのだなあ、と妙なところで感心。
 それにしても、深津さんは夏目さんにも負けないくらい綺麗ですよね。正直、今までもいろいろな「魅力的な女性の役」をやっている深津さんなのですが、今日の三蔵法師は、なかでもいちばん女性的だったような気もします。
 あと、アクションシーンに関しては、香取さん以外はなかなか厳しいというのと、このドラマって、三蔵法師一行というより、深津絵里香取慎吾内村プロデュース電車男が旅をしている、というようにしか見えないのだけど、逆に制作サイドもヘタに「役作り」をさせるよりも、それはそれでいいんじゃないか、と考えているみたいですね。
 「西遊記」そのものというよりは、「新春かくし芸大会」で「西遊記」をやっている、ような感じです。別にそれでも面白いからいいんだけどさ。

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