琥珀色の戯言

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「善意の手助け」への複雑な思い

3月12日の朝日新聞の読者投稿欄「声」に掲載されていた、21歳大学生(女性)の投稿

 先日、駅の改札口で友人を待っていた時のこと。電動車いすに乗った男性が自動改札を通ろうとしていた。手足が不自由らしく、投入口に切符を入れようとするが、折れ曲がっていて難儀している様子だった。
 男性が片手と口で切符を引っ張って元に戻そうとしていた。私は思わず手を出しそうになったが、一生懸命な姿を見て手を引っ込めた。すると、通りがかった夫婦連れがさっと男性の手から切符を取り、「大丈夫ですか」と笑顔で声をかけ、投入口に入れた。
 私は、口を挟むことも出来ずにその一部始終を見ていた。全くの善意から困っている人に自然に手を貸した夫婦の姿勢は尊敬に値する。しかし、障害のある方がしようとしていることに善意とはいえ手を出すことが、必ずしも彼らの助けとなるとは限らないのではないか。少なくとも男性は助けを求めてはいなかった。
 無言で改札を出て行った男性がどう思われたかは分からないが、私は少し複雑な思いになった。

 僕も、この投稿を読んで「少し複雑な思い」になりました。いや、彼女が言っていることは「正しい」のかもしれないけれど、なんだか僕には違和感があって。その「違和感」をなかなかうまく言葉にできないのですが……
 もちろん、この場の状況を僕は見ていないから、なんとも言えないところはあるのですが、もしこの男性が「障害を持つ人」ではなくて、単に「なかなか切符が改札を通らなくて困っている人」だったら、誰かが手を貸したところで、それは単なる「ちょっとおせっかい気味な美談」にしかならないはずです。「障害がある」からといって、逆に「本人ができることには、手助けしてはいけない」のかどうか?場所がみんなが後ろで待っている改札口であっても、「自力で切符を入れ終わるまで、おとなしく待たなければならない」のか?こういう「手助け」は、相手のプライドを傷つけることになるのかもしれませんが……

 

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