琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

村上春樹の「権力」

村上春樹さんの「生原稿流出事件」に対する、吉本ばななさんの見解
http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi
吉本さんは、公式サイトで↑のように書かれていて、彼女も安原さんに対して、村上さんと同じような見解を持っていたようです。作家にとっては、「生原稿を黙って売りさばかれる」というのは、作家以外には想像もつかないほど辛いことなのですね……

http://d.hatena.ne.jp/kasoken/20060319#p1
↑のサイトで村上さんが、「小説を書くことは、ある種の自己治療のステップだったと思う」と仰っていたことが引用されているのですが、そういう意味では、僕が感じていた「大作家・村上春樹」が「世間的にちょっと有名なくらいの編集者・安原顯」に対して「死者に鞭打つ」という構造はあくまでも「他者の観点」でしかなくて、村上さんとしては、人間対人間として「安原顯という男にムカついていた」のであり、その「憎しみ」みたいなものが抑えきれずに、ああいう形になってしまったのかもしれません。「村上春樹が一編集者(しかも死者)に対してあんなふうに責めるなんて」と僕も感じたのですが、村上さんとしては、「ああやって安原さんのことを書くこと自体が、自己治療のステップ」だったのかもしれません。そうなんですよね、村上さんだって完璧な人間ではないのだし、悪口を言われれば腹も立つし、文句のひとつも言いたくなるに決まっています。そういう意味では、僕たちは、村上さんを特別視しすぎているのかもしれません。そもそも、僕は村上さんが大好きなジャズの良さなんて、正直よくわかんないし。いやまあ、スガシカオとかが突然出てくると、村上さんもいろいろ試行錯誤しているのかな、とかも考えますけど。「村上春樹があんなことをするなんて!」とか言うけれど、フルマラソンに淡々と挑戦し続けることができるような人間が心に抱えている「表に出せない闇」なんて、並大抵のものだはないと思いますし。そういえば、僕が「ノルウェイの森」でいちばん印象に残っているシーンって、ワタナベと直子が会って、ただひたすら歩き続ける、というシーンなんですよね。昔は、「なんだこのデートは!」と思っていたけれど、あれが書けるという村上さんは、ある種の「満たされないもの」を抱えているのだと今は思えます。
 初期の作品群に比べて、「地下鉄サリン事件」や「阪神淡路大震災」の体験以降、村上さんは、より「現実へのアプローチ」をすすめているような印象があって、それは必ずしもうまくいっていることばかりではないようにも思われます。「アフターダーク」は、いろいろと解釈されてはいるものの、正直なところ、「村上春樹の代表作」とは言いがたい評価ですし、現在でも「ああ、『ノルウェイの森』の村上春樹ね」という言及のされかたをしてしまうことが多いのも事実です。当たり前だけど、村上さんだって人間なのだし、迷うこともあるのだし、文壇とかいうものへの憤りが澱のように溜まっていて、それが、この「流出事件」を契機に噴出してしまったのでしょう。もちろん、「原稿流出」がとんでもない犯罪行為であることは事実ですが。
 僕が怖いと思ったのは、「村上春樹という人間」というより、むしろ、「村上春樹という人間が(本人の意思とは無関係に)背負ってしまった権力」に対してなのかな、という気もします。それをいちばん持て余してしまっているのは、実は、村上さん自身なのかもしれませんね。

アクセスカウンター