琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「ある編集者の生と死―安原顯氏のこと」への総括

「お金を返さない人」には、3種類のタイプがあります。
(1)お金がなくて、物理的に返さない人
(2)お金を返さないことによって、相手に嫌がらせをしようとする人
(3)お金を借りていたことを、忘れてしまう人

 僕が研修医時代の話、頼まれて、ある先輩の当直の代わりをしに行ったのですが、その当直のバイト代は、結局貰うことができませんでした。「自分の口座に振り込まれるようになっているので、あとで現金で渡すから」ということで頼まれたのですが、その後しばらくしても、一向にその当直代を払ってもらえる気配がなかったので、思い切って(そりゃあ、相手は先輩だから、あんまりお金の話とかしたくはなかったのですけど)、「あの時の当直のバイト代、まだ貰ってないんですけど…」と切り出しました。
 そして、その時に、先輩はものすごくすまなそうに、「ゴメン!忘れてた!今度必ず払うから」と謝ってはくれたのですが、結局、同じようなやりとりを繰り返したものの、そのバイト代は僕の手元に届くことはなかったのです。
 当時の僕は研修医で本当にお金が無かったので、なにかにつけて、「あのバイト代があったらなあ…」と考えていたんですよね。今でもそんなことを思い出せるくらいに。実際にあったら、パチンコで1回負けて終わり、っていうくらいの金額(数万円)なんですけど。
 でも、その先輩は、けっして悪い人ではなくて、お金に困っている様子はありませんでした。いや、むしろお金に拘泥していない人であり、何度も奢ってもらいましたし。だから、その先輩のことを切実に恨んでいるわけではありません。おおらかで好ましく、頼れる先輩だったし、僕のことをかわいがってくれてもいましたから。だからこそ、僕も嫌われるのが怖くて、あまり執拗にはそのバイト代を要求できませんでした。
 今から考えると、その先輩は、(3)のタイプであり、たぶん、その人の基準では「そんなたいした金額ではないし、向こう(僕)も、気にしていないだろう」と思っているうちに、ついうっかり忘れてしまったのでしょうね。

 なんでこんな話を書いたのかというと、

枡野浩一さんのブログ
http://masuno-tanka.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post.html
で、「村上春樹が怖い」(http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060313)をとりあげていただいたのですが、僕も『SPA』の2006/4/4号の坪内祐三さんと福田和也さんの「これでいいのだ」を読んでみて、この「原稿流出事件」の「真相」について、あらためていろいろ考えたからなのです。
坪内さんんと福田さんは、この「原稿流出事件」を『en-taxi』の創刊号で3年前にスクープされていたのですが、【3年前に、村上春樹に極めて近い編集者の人たちから、坪内さんのところに問い合わせがきていた】そうなのです。とすれば、村上さんも「3年前から知っていた」と考えるのが妥当でしょう。
そして、坪内さんは、このようにも書かれています。

 ここでオレがヤスケンを擁護すると、マッチ・ポンプになっちゃうんだけど――村上春樹の言い分だと、まるでヤスケンが生前から、春樹の原稿をガメて儲けてやろうと計画していたように読めるじゃない?ちがうんだよ。ヤスケンは、単にズサンなだけなの。ズサンで原稿を返却しないまま段ボールに詰めて……それを整理する性格の人じゃないじゃない? それで会社をやめたあと、家に送った段ボールごと懇意の古本屋に売ったんだよ、きっと。その中から古本屋が春樹さんの原稿を見つけて、「どうしましょう?」「ああ、いい、いいよ」みたいなさ。

 僕も、真相はこんなものなんじゃないかなあ、という気がしているのです。「ズサン」だと断言されるよりは、「大作家・村上春樹への反逆」というほうが、はるかに「文学的」なエピソードではあるのですけど。
 そして、前述の先輩と僕とのあいだに「お金」に対する「温度差」があったように、「作家の生原稿」に対して、安原さんと村上さんのあいだには、決定的な「温度差」があった、というだけのことなのだと思います。もちろん、「そんなズサンな管理をすることそのものが、編集者としてのモラルに反する!」と言われればその通りだとしか言いようがないのですが、逆にそれを「村上春樹への悪意の象徴」にしてしまうというのも、考えすぎなのかもしれません。悪意ではなく忘却によって「お金を返さない」という人は、けっして少数派ではないのですから。

http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060320#p3
↑にも書いたように、僕は今回の「事件」のことを考えていくうちに、「村上春樹も、そんなに『完璧な人間』じゃないのだなあ」と思うようになりました。そんなの、考えてみれば当たり前のことで、村上さん自身も「良い小説を書くのに必要な資質は、けっして『良い人間』ではない」なんてことを仰っているのですが。

↑の本のなかで、この事件を考えるヒントとして印象に残った村上さんのコメントをいくつか挙げておきます。

 僕が編集者に個人的に求めるのは、プラクティカルな現実処理能力と、偏狭さをともなわない静かな自立心です。

 このトシになってもやはり人は傷つくものです。嫌なことやつらいことはけっこうあります。そういうときには僕にはひとつのチェック・ポイントがあります。それは、
<自分はこのことによって、誰か第三者を傷つけただろうか?>
 ということです。もし自分しか傷ついていないのなら、それはラッキーだったんだと考えるようにします。というのは、自分のことなら自分でなんとか処理できるけれど、他人がからんだことはそう簡単には処理できないからです。
 そういうふうに考えていくと(あるいは考えるように努力していると)、少しずつ強くなっていけます。人生でいちばんきついのは、心ならずも誰かを傷つけてしまうことであって、自分が傷つくことではありません。

 結局、作家・村上春樹にとって、安原顯という人は、「編集者失格」であり、人間・村上春樹にとっては「自分の妻の悪口まで言いふらしていた最低人間」だったのでしょう。そして、その村上さんの「静かな怒り」が積もっていったものが一気に噴出したのが、あの「ある編集者の生と死―安原顯氏のこと」であり、それは、村上さんにとっての「書かないと気がすまない物語」だったのではないかと僕は考えています。

 結果的には、ここまで「価値観」が違う2人が、作家・村上春樹の創生期に出会ってしまったことそのものが、悲劇だったのかもしれませんね。もし、そのごく短い時期以外に出会ったとしても、2人の人生は交わることはなかったはずなのに。

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