琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

村上春樹とネット上の「批評家」たちと

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060426/p1

僕は正しい理解というのは誤解の総体だと思っています。誤解がたくさん集まれば、本当に正しい理解がそこに立ち上がるんですよ。だから、正しい理解ばっかりだったとしたら、本当に正しい理解って立ち上がらない。誤解によって立ち上がるんだと、僕は思う。

梅田さんが引用されている村上さんの言葉の孫引きになってしまうのですが、この点に関しては、村上さんの意見は、ずっと一定しているように思われます。「感想」の話ではないのですが、これを読んで、
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060410#p2
↑の村上さんの回答を僕は思い出したのです。
「読者の解釈」というのは、村上さんにとっては、まさに「物語」なのかもしれません。
ここでは、「誤解」「正しい理解」という言葉が使われているのですが、村上さんにとっては、そこにあるのは単なる「解釈」でしかなくて、そこに「誤解」と「理解」というような線引きは存在しないのではないかという気がします。
ただ、多数の「さまざまな解釈」に触れることそのものが、「理解」への近道なのではないか、と。

たぶん、作家というのは「すべての感想をシャットアウトする」か「数え切れないくらいの感想をひたすら受け入れて自分のなかで中和していく」か、そのどちらかをやっていかないと、バランスを保つのは難しいのでしょうね。
正直、僕くらいのささやかなブロガーでも、「はてなブックマーク」とかであれこれ「感想」(だと彼らは言っているからね)を投げつけられると、嬉しくなったり、逆に嫌な気分になったりするので、その何千倍もの「解釈」を投げつけられる村上さんは、よほど強くならないとやっていけないだろうなあ、と思います。

しかしそれでも、「無視される」よりははるかにマシなのかもしれませんけど。

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