琥珀色の戯言

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猟奇の社怪史

猟奇の社怪史

猟奇の社怪史

唐沢俊一さんの本。例のごとく、「猟奇的事件」についてのさまざまな薀蓄が語られています。日頃そんなにこの手の本には食指が動かないのですが、なんとなく気になって購入。このページ数で1200円は、ちょっと高いような気もするのですが、こういう話を「悪趣味と興味本位のあいだ」に着地させられる書き手というのは本当にごく少数なので、こういう話に興味のある方には、一読の価値がありそうです(ただし、性的な話やグロテスクな話も多いので、そういうのが苦手な人は、避けておいたほうが無難です)。

 ところで銃殺というと映画によくある、刑務所の庭の杭に体を縛りつけられ、最後のタバコを吸わせてもらい、しかる後……という光景をイメージするが、現在アメリカで行われている銃殺刑はちょっと趣が異なる。
 死刑囚は木製の椅子に座らされ、手足をベルトで固定される。そして目隠しをほどこされ(映画のように拒否することはできないらしい)、しかる後、ごていねいに、左胸に紙製の的をピンで止められる。これを狙って6メートル離れたところから、ライフルで5人の射撃手が弾を発射する。この5丁のライフルのうち、4丁には実弾が込められているが、1丁だけは空砲で、どの銃に空包が込められているかは、射撃手には知らされない。つまり、
「ひょっとしたら自分の撃った弾は空砲で、相手が死刑囚とはいえ、自分は無抵抗な人の命を奪うということはしていない可能性もある……」
 と考える”救いの余地”を、処刑係に与えているのである。
 ちなみに、射撃手は警察の狙撃隊などから選別され、いわばプロ中のプロなのだから、たかだか6メートルしか離れていない、しかも縛りつけられて動けず、的まで表示されているものをそらすわけがない、と思うかもしれないが、やはり無抵抗の者を撃ち殺すというのは心理的にきついのか、手がふるえて外してしまうというケースも案外多いらしい。

 アメリカで現在どのくらい銃殺刑が行われているかとか、州によって違いがあるのかというようなことまでは記載されていないのですが、「撃つ側のこと」にここまで触れているのが唐沢さんらしい距離のとりかたです。撃つ側にもさまざまな葛藤があって、そして、撃つ側への「救い」が用意されている……この場合、「可能性がある」というのは、非常に大事なことなのでしょうね。

 しかし、この本よりも、今読んでいる

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

のほうがはるかに気持ち悪い(「泥棒かささぎ編」の最後のあたりは、吐きそうでした本当に)とは夢にも思いませんでした。
 やっぱり、村上春樹は怖い。
 

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