琥珀色の戯言

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ゲームの「本質」って何だろう?

http://d.hatena.ne.jp/Geemoku/20060608/p1

↑は非常に興味深いエントリで、一人の古参ゲーマーとして、頷きながら読ませていただきました。
でも、正直なところ、僕はこれを読んでいて、じゃあ、ゲームの「本質」って何だろう?って考え込んでしまったのです。
僕がテレビゲームというものに初めて触れた今から25年前くらいは、「技術の進歩」が「ゲームの進化」とリンクしていた時代だったし、「画面が8方向にスクロールする」(サンダーフォース)とか、「画面上に絵が0.5秒で表示される」(デーモンズリング)とか、「画面の中で女の子がウインクする」(WILL)というような「新しい目に見える技術」をリアルタイムで体験することそのものが、ゲーマーである僕にとっては、素直に嬉しかったのです。
より綺麗なグラフィック、より美しいサウンド。あまりにそれが「当たり前」の時代になってしまった今となっては、正直、グラフィックやサウンドで驚かされることはほとんど無くなってしまったんですけどね。
まあ、これくらいできるだろ?って。それはそれで、なんだか悲しくなってしまうこともあります。
もう、システムしか僕を感動させてくれるものはないのだろうか、と。
昔のゲームの「ゲーム性」っていうのは、アイディアの発露であると同時に、「ハードの制約で表現できないものを、アイディアで埋め合わせていた」という面もあったような気がするのです。もし、ファミコンにPS2のような性能があったとしたら、「キャプテン翼」は、ああいうゲームにはならなかったかもしれません。

僕は基本的に、ゲームの本質のいちばん大きな部分を占めているのはシステムであると考えているのですが、その一方で、どんな優れたシステムでも、それを「伝わりやすくする」ための「絵」や「音」というのは、非常に大切ではないかと思うんですよね。例えば、「プリンセスメーカー」というのは、「育成ゲーム」というサブジャンルをつくり上げましたが、もしあのゲームのグラフィックがもっとディフォルメされたものだったら、あれほどのヒット作にはならかなったのではないでしょうか。逆に、「ダビスタ」のPS2版は、グラフィックの表現に凝ったあまりにテンポが失われてしまい、多くのユーザーを失望させてしまいました。
映像は大事、でも、映像さえ良ければいいってものではない。
その一方で、ゲームのシステムというのは、「ウィザードリィ」「ウルティマ」「ミステリーハウス」の時代から、そんなに大きな「革命」は起こっていないんですよね、実際のところ。その「進化」は、映像の進化に比べたら、本当に微々たるもの。

僕にとっては、「映像もゲームの本質の一部」です。というか、今の「ゲーム」というものを、僕たちは「視覚」と「聴覚」でしか感じることができないのですから、その「視覚情報」というのは、非常に大きな要素のはず。システムを上手く伝えるのには、やっぱり「映像表現」って大事なんですよね。やっぱり、「映像」とか「音」も、本質の一部なのだと思うのです。心だけの人間が存在できないように、システムだけのゲームも存在できないのだから。もちろん、「派手ならいい」ってものではありませんが。「三国無双」なんて、あの「映像力」が無ければ、成立しないゲームだろうし。

なんだか上手くいえないのですが、僕自身も、あまりに映像表現に偏りすぎて時間も手間もかかるゲームには、正直、食傷気味です。そういうゲームは、やっているときは面白くても、一度電源を切ってしまうと、なかなか続きをやる気になれません。
ただ、その一方で、昔みたいに「映像」とか「音」の力で、「うわっ、これスゴイ!!」とゲーム屋でデモに見入ってしまうような「圧倒的な映像表現」を、また体験してみたい、という気持ちもあるんですよね。

そういえば最近、ゲームに驚かされることって、本当に無いものなあ。

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