琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「お前は最近面白くない」

「最近の○○はつまらない」なんて、世間ではよく言われますよね。正直、僕のサイトも最近面白くないんじゃないかと思うし、そういう声も聞こえてきます。「昔はもっとイキオイがあったのに」とか「マンネリ化してますよね」とか。
いや、それはもう、認めざるをえないところもあるんですよね。僕も書いていて「うーん、こういう内容の話、前にも書いたよなあ」なんて思うことが最近は多いのです。同じ人間の「引き出し」なんて、所詮、限界があります。
実際、中島らもさんや原田宗典さんといった「有名エッセイスト」たちですら、出版されているエッセイ集を何冊も読んでいると、「あっ、こういう話、前にも読んだことがあるなあ…」と思うことはありますし。ちなみに、中島さもさんには、「先月と全く同じ内容のエッセイを本人も気付かずに編集者に渡した」という伝説があるらしいです。それはそれで信じがたいのだけれども。

http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060128#p2
そもそも、↑に書いたように、多くのサイトは、「メジャー化」したときには、すでにそのピークを過ぎてしまっていることが多いのです。というか、「面白さのピークに達していた」からこそ多くの人に読まれるようになったわけですし。考えようによっては、「以前は面白かったのに」と言われるような「面白い時代」が存在していたことそのものが、凄いことなのかもしれません。「以前からずっと面白くなかったら、誰も読んでないだろ!」と。

まあ、それはさておき、長い間続けていると「創成期の熱気」みたいなものはどんどん薄れていき、「でも、誰も来ないと淋しいからな」とかいうような「ゆるやかな更新」の時代がやってきます。確かに、「これで一発、『かとゆー家断然』に取り上げられるぜ!」というような野心的な内容は、なかなか書けなくなってくるのです。長い間やっていれば、「何かあったときに、失うかもしれないもの」も大きくなっているような気がして、「守り」に入りがち。

しかし、こういう、良く言えば「安定期」悪く言えば「停滞期」に、「初心に帰る」ことを目指して、「目立ちたいだけの突飛な理論」や「周囲の人への誹謗中傷」に奔ってしまい、かえってその寿命を短くしてしまうサイトも少なくありません。僕にも、そんな経験があります。

WEBサイトに、流れる時間は早い。そして、僕たちは、日々変わっていきます。
ちょっと前までは「右も左もわからず、宣伝書き込みを繰り返して顰蹙を買っていた」僕なども、今では他の人に対して、「初心者っていうのは、これだから困るよなあ…」なんて、ディスプレイ越しに毒づいたりしているのです。
そして、残念なことに、今の僕が「以前みたいな内容」を書こうというのは、やっぱり無理なんですよね。だって。置かれている環境も、僕自身も変わってしまったのだから。
20歳の人が、20歳らしいことを言うのは当然のことです。
でも、僕がこの年で、「以前の自分のほうが面白かったから」という理由で20歳のころのような言動をしていたら、それはもう「痛い人」あるいは「往生際の悪い人」だと思われても仕方がないでしょう。

http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20060614
↑を書きながら考えていたのですが、いくら「昔のほうが面白かった」って言われても、もう、昔には戻れないんですよね。そして、無理にそれをやろうとすれば、そこには自分の経験や成長を偽り、書きたいことを偽った、二重・三重の嘘のカタマリしか残らない。

「面白くなくなった」と感じる人が多いのだろうけれども、僕は今の「変わってしまった自分」が書きたいことを書くしかないと思っています。「ネットに慣れてしまった人間」には、そういう人にしか書けない世界だってあるのだろうから。

聞き手:昔の作品には、環境や時代の不思議な力が作用してますよね。あと、人は大人になると感受性が鈍るんでしょうか。

桜井:鈍るっていうのもあります。でも、逆に鋭くなるところもありますよ。たとえばわかりやすいのは、昔わからなかった歌の意味がわかるようになること。人自体が深みを増して、考えかたも変わっていくのでしょう。ならば昔のほうがよかったと文句を言ってるよりは、いまこの場で楽しいかどうかを考えたほうが正しいんじゃないかなと思います。

たぶん、「今のほうが、あるいは、今は今で面白い」と言ってくれる人も、日本のどこかにいるはず。
まだまだ、お楽しみはこれから、なのかもしれません。

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