琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

奈良・3人焼死事件に思う

京都新聞の記事より。

 奈良県田原本町の医師(47)宅が全焼し、母子3人が死亡した火災で、奈良県警捜査一課は22日、放火と殺人の疑いで高校1年の長男(16)を逮捕した。
 長男は調べに対し「1階の階段付近に火を付けて、そのまま逃げた」「死んでもいいと思った」と犯行を認めた上で、動機の一部として「成績のことで父親に言われた」と供述。犯行当日に保護者会が予定されていたことも気になっていたという。また「3人には取り返しのつかないことをして本当にすまなく思っている」と反省の言葉も漏らしている。
 長男は父と同じ医師を目指し、関西で有数の進学校に通学。奈良県警は長男の身柄を、取り押さえられた京都市から田原本署に移すとともに、同署に50人態勢の捜査本部を設置、動機や火災後の足取りなどを調べる。
 調べでは、長男は20日午前5時15分ごろ、田原本町の自宅に放火、2階で寝ていた医師の妻(38)、小学2年の二男(7つ)、保育園児の長女(5つ)を焼死させた疑い。
 火災は木造2階建て約200平方メートルを全焼。死因は司法解剖の結果、煙を吸い込んだ一酸化炭素中毒だった。
 県警などによると、長男は医師の前妻の子。2階に3人が寝ており、父親が勤務で不在であることを分かった上で、1階の階段脇の台所にあったごみにライターで火を付けたという。出火時に「ボン」という破裂音が聞こえており、小さいガスボンベも使った可能性もある。「むしゃくしゃしていた」と話しているという。
 出火当時、玄関や窓は施錠されており、逃げ道になる階段に火が付けられていたことから、県警は長男に確定的な殺意があったとみている。
 京都府警の調べに、長男は京都に来た理由について、京都を通って海に行きたかったとの趣旨を供述しているという。
 20日に放火した後の行動については、同日中に電車で京都駅に来た。同駅地下街や市営地下鉄国際会館駅周辺で時間をつぶし、北区の公園で野宿。翌21日に同区内で自転車を盗み、左京区の民家近くの公園のすべり台の下で眠った後、22日未明に左京区の民家に侵入したという。民家の電話線は切られていた。身柄を確保された際に持っていたかばんには、ぺンチなどが入った工具箱やはさみ、腕時計などが入っており、府警は、民家から盗んだとみている。

以下は、僕のこの事件に関する非常に個人的な感想なので、読んだ人を不快にさせてしまう可能性が高いです。

 僕も「親が医者で、自分も医者志望のわりにはあまり成績が良くなかった進学校の高校生」の時代があったので、この事件に関する報道を見聞きするたびに、なんだか胸がしめつけられるような気持ちになってくる。僕の母親は医者でもなければ「新しい母親」でもなかったし、僕の父親は少なくとも僕の成績に満足はしていなかったとは思うけれども、成績のことで暴力をふるうこともなかったから、たぶん、僕は彼より状況としては恵まれていたのだ。それでも当時は、なんだか自分の行き場が無いような気がしてならず、ものすごく、閉塞感と感じていた。そもそも、医者にだってそんなになりたかったわけではなかったのだが、当時の僕にはそんなに他になりたい職業もなかったし、親は「別に医者にならなくてもいいぞ」と言いながらも、受験の志望校に法学部とかを書いていたら、ひどく機嫌が悪かったりもしたものだし。「自分の道なのだから、自分で決めればいいじゃないか」と僕自身も思い悩んでいたことなのだけれど、今になって考えれば、「自分の進路を自分で決める」には、そのためのトレーニングを受けておくか、あらかじめ自分に課しておかねばならなかったのだ。地図を見て行き先を決めようにも、僕には、その地図の読み方すらわからなかった。
 正直、僕だって、「親を殺してしまいたい」とまで積極的な衝動ではないとしても、「親がいなかったらラクになるのに」と考えたことは、あの頃、何度もあった。なんのためになるのだかよくわかんない勉強をやって、地元の友人たちを捨てて(いや、「捨てて」は不適当な言葉なのかもしれないが、当時の僕にとっては、なんだかそういうニュアンスの行為だったのだ、それは)、進学校に行って。でも、そこにいたのは、僕が「お山の大将」でしかないことを思い知らされるような、すごい連中か、その場に馴染めずにどんどん不良になっていく連中かの大きく分けて2つの人たちだった。それでも、僕は自分なりに頑張った(しかしながら、所詮、「自分なりに頑張ったつもり」でしかないのは、以前書いた通りだ)。成績は、まあ、平均よりはちょっと上とか、そのくらいのものでしかなかったのだが、残念なことに、僕にとっては、「他人の平均よりマシにできること」は勉強くらいしかなかったのだ。「進学校エリート」にもなれず、「不良」として生きていくほどの覚悟も持てず。結局、東大とか京大に入れるほどの突出した実力もなく、さりとて、近所のおばちゃんには、「おたくのお子さんは勉強できていいわねえ」と母親が言われるくらい。まあ、そんなものなのだ。でも、当時の僕にとっては、そういう自分は「本来ありうべき自分像」「周囲から望まれていると感じている自分像」とは、すごく大きなギャップがあった。本当に、閉塞感に、押しつぶされそうだった。

 この事件、もちろん僕は放火とか殺人を肯定するものじゃないし、なんとも身勝手な犯罪であることもわかる。しかしながら、その一方で、僕は自分がこの事件の犯人ではないということに少し安堵してもいるのだ。これって、僕がやっていても、おかしくなかったのではないか?って。
 「父親が憎かった」というわりには、火をつけたのは、父親が当直で不在の夜で、そして彼は、そのことを知っていた。もしかしたら、父親に気づいてもらいたかったのかもしれない。しかしながら、その「気づいてもらうための方法」は、あまりに残酷で痛々しい。あの頃の僕は自分の親を「子供をワクにはめてしまって、自分の思うままに操ろうとしている人」だと感じていることが多かった。「そこまでして、医者になる必要なんか、あるのか?」って。今はどう考えているかというと、とりあえず、僕がこの仕事に向いているかはさておき、こうして自活できているのは親のおかげだという感謝の気持ちはある。昔はそんな気分には死んでもならないつもりだったが、もし親が生きていたら、一晩くらいなら、一緒に酒でも飲みに行って肩でも揉んでもいいかな、とかときどき考える。
 でも、僕は彼よりもできた人間であるというわけではなくて、たぶん、ちょっとだけ環境に恵まれていて、運が良くて、今ここで親を失ってしまうことの自分の未来へのデメリットを計算できるくらいのズルさがあった、ただ、それだけだったのかもしれない、と思うのだ。彼も、もしなんとかここで耐え。この時期を越えることができたら、20年くらいすれば、「ほんと、あの父親、厳しくて取り付くしまもなかったけど、まあ、不器用なりにオレのこと考えてくれてたのかな……」とか、ふと考えるような大人になっていたんじゃないかな、という気がしてならない。
 だから何なんだ?とこれを読んでいるあなたは思うだろう。こういう事件から、われわれは学ばなくてはならないのではないか?と。
 僕だって、学べるものは学ぶべきだとは思うのだけれど、正直、いろんなことが頭に浮かんできて、客観的にみることができないのだ。
 なんで、こんなことをしてしまったのだろう?それならばいっそ、自分が死ねばよかったのではないか?
 もしかしたら、そんなことも思いつかないくらい、追い詰められていたのか?

 中途半端に勉強ができたり、中途半端にスポーツができたりするのって、たぶん、周囲のイメージほど単純なものじゃないのだ。そして、人生には、リセットボタンなんてついていないにもかかわらず、「リセットボタンを押したい衝動」と、僕たちは闘わなければならない。でも「ねばならない」って言われても、本当に追い詰められたら、どうしようもないんじゃないか?とか考えはじめると、もう、キリがないのだ。
 支離滅裂で、申し訳ない。

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