琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

ダイアリーの「最後の言葉」

http://d.hatena.ne.jp/I11/20060622/p3

非常に興味深いエントリ。
以前ブックマークして、最近すっかり行かなくなってしまったサイトを久々に訪れてみると、閉鎖が告知されているわけでもなく、「404」になっているわけでもないという、「ゆるやかな墓標」になっていて、なんだかとてもせつなくなることがあります。
僕も以前、「永遠のブログを超えて」(http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060513#p2)というエントリを書いたのですが、結局、「やめよう」という確固たる意思をもってやめる人というのは、そんなに多くないのかもしれませんね。「今日はまあいいか」を続けているうちに、いつのまにか疎遠になっていく。

ちょっと話は逸れてしまうのですが、僕は仕事柄、人間の「死」の場面に立ち会うことがあります。そして、多くの場合に、病気で人間が死ぬときというのは、ドラマみたいに「後を…頼む……、ぐはっ」なんていうような「遺言」がある場合はほとんどなくて、眠ったような状態で、少しずつ生きるための機能が低下していくことが大部分なのです。だから、一般的な「遺言」というのは、まだ意識がはっきりしているうちにあらかじめ準備されたものばかりで、いまわのきわに「言葉」を遺せる場合というのは、「突発的だけれども、少しだけ時間の余裕があった」か、「自ら選んだ死」に限られているのです。
僕などがときどき「サイトを閉鎖したい願望」に駆られるのは、もしかしたら、「抑圧されたタナトスの発現」なのかもしれません。さすがに日常生活で死を選ぶほどの勇気も無謀さもないけれど、サイトであれば、「自分の一部の葬式」を傍観者として観ることができるわけですから。
まあ、実際にやってみれば、サイトを閉鎖しても自分が期待するほどのリアクションは無いものなので、人間が自分の葬式を観られないようになっているのは、正しいことのような気もしますが。
そういえば、「閉鎖するよ!」って常日頃から言っていると、どんどん周りの反応が冷淡になっていくところも、共通しているみたい。

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