琥珀色の戯言

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「ブロガー」とは何者なのか?

http://www.narinari.com/Nd/2006066146.html

この記事を読んで、僕はかなり憂鬱な気分になりました。いや、ブログというツールは、多くの人に「発信する喜び」を与えているのは事実だし、僕もその恩恵を受けている人間のひとりなのですが、「ブロガー」たちが「プチマスコミ化」しているというのもひとつの現状なのです。
このオシム監督への「訪問事件」だって、もしこの人たちが「自分のブログでその顛末を紹介する」という「野心」を持っていなかったら、たぶん、ここまでのことはやらない可能性が高かったと思うのですよ。でも、「それで注目されたい!」とか「自分のブログで紹介する」なんていうような「目的」ができてしまうと、人というのは、けっこう自分の枠を外れたことだって、できてしまうような気がします。
話題になった「30日間マクドナルド生活」とかも、「サイトで紹介する」という「目的」が無ければ、たぶん、自己満足のためだけにあそこまでやれなかったのではないでしょうか。
「ブログに載せる」というような「公っぽい目的」があると、けっこう大胆というかよくも悪くも常軌を逸するようなことができてしまうのは、「知る権利のため」と称して被害者の家族にマイクを突きつけたり、対象者に対してストーカーまがいの「取材」をするマスメディアの人たちと、同じベクトルの上にいるということなのです。「報道」という大義のためには、何をやっても許されるのだ、自分はブロガーなのだから、という思い上がり。こういうブロガーたちを見ていると、正直、「メディアの横暴」に警鐘を鳴らしている人たちも、自分が同じ立場になれば、やはり同じことをやってしまうのではないか?という疑念にかられてきてしまいます。みんなが何かを「報道」しようとして、報道される側の立場を思いやれなくなっている社会というのは、かなり怖いような気がしてなりません。

細かいことを言うようですが、携帯電話の写メールの普及って、「撮られる側」としては、「たやすくカメラに取り囲まれる状況」を作り出すものでしたし、「食べ物ブログ」を観ていて思うのは、「食事のときに、カメラを取り出して写真を撮るという行為は、ちょっと気まずくないかなあ」ということなんですよね。ひとりのときや、旅行先などでの「特別の食事」のときは良いでしょうけど、僕はさまざまな状況で、なんだか、「写真を撮る」という行為そのものが恥ずかしくてカメラを取り出せないことが多いので。それに、知らない人が撮った写真に風景のひとつとして自分が写っていて、全世界に発信されているかもしれないって、ちょっと不安でもありますし。

もちろん、「写真を撮るな」「ブログに載せるな」と言っているわけではありません。
でも、ブログという媒体を得ることによって、「報道する側の悪しき特権意識」を持ってしまいがちな「ブロガー」って、もう、そんなに珍しい存在ではなくなってきているのです。

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