- 作者: 小林よしのり
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2006/06
- メディア: 単行本
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ちょうど今まさに「天皇はA級戦犯合祀に反対だった!」なんていうメモが話題になっていたりして、なんてタイムリーなんだろう、と思いつつ読みました。目から鱗が落ちた、とはこういうことなのだなと感じながら。
情けない話なのですが、僕はつい最近まで、「A級戦犯」の「A級」というのは、「とくに罪が重い」という意味での「A」だと思いこんでいたのです。でも、この「A級」と「B、C級」というのは、あくまでも「問われた罪の性格の違い」でしかありません。ちなみに、もっと子供の頃は、「永久戦犯」だと認識していたんですよね、ああ情けない。この本を読むまで、「A級戦犯」として処刑された人のなかで、すぐに名前が浮かぶのは東条英機、広田弘毅くらいでしたし。
「A級戦犯」として裁かれた人々というのは、実は「時代の波に流されてしまっただけのデスクワークの達人」だったり、「戦争を回避するために最後まで懸命の努力を続けた人」だったりするわけで、少なくともこの本の記述の限りでは、「私利私欲のために戦争を引き起こした人」はひとりもいませんでした。むしろ彼らは「誰がその立場にあっても、同じことをせざるをえなかった場所に、あの時代に居ただけの人」であったようにすら思えます。そして、彼らの多くは、それを「自分の責任」として、従容と罪に服したのです。何が悪いのかと言われたら、「戦争に負けてしまったということ」だとしか、言いようがないのかもしれません。
「A級戦犯分祀派」の人には、ぜひ一読していただきたいと思います。
……彼らはおそらく、「それが日本のためになるなら、私たちは分祀させられても構いませんよ」と淡々と答えるのではないかな、という気がします。だからなおさら、それが「正しいこと」なのか考えてもらいたい。
そうそう、この本の記述のなかで、ひとつ気になったことが。
パール判事が、広島の原爆慰霊碑の
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから
という碑文に対して、「日本人が日本人に謝っているのは明らかだ。それがどんな過ちなのか私は疑う」
と語っている場面があるのですが、僕はあの碑文は、「日本人が日本人に謝っている」のではなくて、「人類が人類に謝っている」のだと思っています。
この本の「あとがき」で、小林さんはこう書かれています。
それもこれも「A級戦犯」が祀られているからいけない」というのが、彼らの根拠である。
だが誰も「A級戦犯」とは誰なのか、何をした人物なのか知りもしない。すでに昭和28年、我が国に「A級戦犯」などいない、彼らは国内法では犯罪者ではないと国会決議されたことも知らない。
本当にその通りです。
「分祀」論を語る前に、せめて「A級戦犯」とは誰なのか、どんな人だったのかくらいは知っておくべきなのですよね。