- 作者: 金子達仁
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2006/08
- メディア: 文庫
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いつのまにか文庫化されていたので購入。新刊書として出たときには、けっこう話題になっていたにもかかわらず、あまり興味がわかなかったんですけどねえ。
でも、読んでみたら非常に面白かったです。高田延彦という人間やプロレスラーという生き方に少しでも興味がある人は、ぜひ読んでみていただきたい。あと、お互いに「悪意」がない場合でも、人と人の溝というのはできていくことがあるのだなあ、とも考えさせられました。お互いが偉くなってしまえば、なおさら。
僕にとって「プロレスラー・高田延彦」が最も活躍していた時期というのは、ちょうど「人生で最もプロレスに興味が無かった時期」と重なってしまうのです。「タイガーマスクとアントニオ猪木が神だった時代」から、「軍団抗争」くらいまでは毎週プロレス中継を観て、サソリ固めとかをかけあったりしていたのですが、ちょうどUWFがリングスとかUインターとかに分裂してしまったくらいの時期から、僕はほとんど格闘技を観なくなりました。いや、嫌いじゃなかったと思うのだけど、なんだか興味が湧かなかったのですよね。結局、また格闘技を観るようになったのは、K−1が軌道に乗りはじめてからのことなので、10年以上の格闘技ブランクがあって、高田さんというのは、その時期のスターだったのです。だから、僕にとっての高田さんは、「新日を、アントニオ猪木を裏切った男」というようなイメージしかありませんでした。あとは、「ヒクソンに2度も負けて恥をかいた人」あるいは、「PRIDEで毎回退屈な試合しかやらない人」。今は、「大みそかにフンドシで太鼓叩いている人」という感じなんですけど。
この本を読んでいて驚いたのは、僕たちが「UWFというのは、リアルファイトを追い求めて既存のプロレスを捨てたレスラーたちの集団なのだ」と思い込んでいたにもかかわらず、当の高田さんは、「いや、ぼく個人はとくに自分たちのスタイルにそれほどこだわりはなかった」と平然と語られていたことでした。ああいうスタイルは、むしろ「既存のプロレスとの違いを打ち出すための方便みたいなものだった」と。スタイルの違いよりも「条件闘争」的な色合いで、レスラーたちは集合離散を繰り返してきたのだな、と思うと、なんだかちょっと悲しくなります。いや、今の「社会人」である僕には、そのほうがリアルであるというのは非常によくわかるんですけど。
この本は著者の金子達仁さんが実際に高田さんにインタビューしながら書き下ろしたものなのですが、この本の素晴らしいところは、金子さんはもともとサッカーを中心に活躍されているスポーツライターなので格闘技にはあまり興味がなく、高田延彦という人間に対して、かなりニュートラルな立場で書かれているということです。「信者」だったら、こんな作品にはならかったと思うんですよねやっぱり。読んでいると「そりゃ高田さん、そのやり方じゃあ、相手が怒ってもしょうがないよ……」と言いたくなるようなシーンもけっこうあるんですが、そういうところも美化せずに(そりゃあ、罵倒もしてませんけど)さらりと書かれているのです。
でも、正直なところ「星のやりとり」(闘うレスラー同士での、勝ち負けの取り決め)なんて話を「高田延彦の言葉」として書くのは、やっぱり、僕はあまり好きではないです。周りの人間が書くならともかく、その世界で「王者」だった人間がやるべきことではないと思います。「そんなことみんな知っている」とは言うけれど「当事者がそれを肯定する」というのは、また別の問題だし、「どうせ八百長なんだから」と言いつつも、みんな、一縷のファンタジーを持っていたのがプロレスだと思うしね。
この本を読んでみると、なぜ高田さんが「PRIDE」という「真剣勝負の場」と「ハッスル」という「エンターテインメントプロレス」という全く正反対のことを同時にやろうとしているのか、という理由がよくわかります。たぶん、その「正反対のように見える方向性」は、どちらも「人間・高田延彦」の一面なのでしょうね。