琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

ネットイナゴの恐怖

S:今日の一言(9/11)−乙武さんのブログ炎上
http://d.hatena.ne.jp/satomies/20060911

 僕もこのエントリで乙武さんに投げつけられている罵詈雑言の数々を苦々しく感じていたのです。
 そもそも、先日はmixiで「皮膚病患者をミイラよばわり」した大学生が集中砲火を受けていましたが、ここで乙武さんに対して酷いことを書いている人々がやっていることは、そいつと同じようなことのわけで。
 しかしながら、あの大学生はmixiで「身元がわかった」からこそあのように社会的制裁を受け、匿名で悪口を書く(=自分の発言に責任を持っていない)人々にはお咎めなしなのは、なんだかとても不公平なような気がします。

 ところで、このエントリの中に「安易な謝罪は保身に過ぎない」(http://metalsty.seesaa.net/article/23435850.html)というのが取り上げられていて、筆者もこれに賛意を示されているのですが、僕としては、乙武さんが「謝罪してしまった」のは、仕方がないことのように思えます。
 「ネットイナゴ」という言葉は、誰が名付けたのか知らないけれど、まさに言い得て妙な表現です。パソコンゲームの『三國志』の初代でイナゴの大群は突然登場し、周辺諸国に大きな被害を与えていくのです。でも、イナゴに対して、プレイヤーは何もできないんですよね。「アア、イナゴダ…」「イナゴ ノ ヒガイ ガ ヒロガッテ ユキマス…」という表示を見て、ディスプレイの前で、ただ呆然と立ちすくむだけ。
 当たり前のことなのですが、イナゴには「言葉が通じない」のです。そして、彼らは、圧倒的な力で、丹精込めてくつくった「作物」を食いちらかしていきます。それこそ、一頭の怪獣みたいなものであれば全力でその一匹を倒せばいいのでしょうが、イナゴたち一匹一匹は大変に弱い生き物にもかかわらず、その圧倒的な数の前に、人はどうしようもなくなってしまうのです。それこそ「イナゴよ出てこないでくれ…」と願うのみ。これを規制するには、それこそ「インターネット規制」によって、自分の身分を明らかにしなければネットに書き込みできないようにするしかないでしょう。
 実際にそのイナゴの大群の真っ只中に自分がいれば、やっぱり「身の危険」を感じてしまうのって、当たり前のことなんですよね。とくに乙武さんは有名人ですから、こちらは個々の悪意の正体を知らなくても、あちらは「乙武洋匡」というターゲットを確実に認識しているわけですから。人を一人殺すのは、「大勢のなかの一人の実行犯」がいれば十分に可能ですし。「ネットイナゴたちに、そんな度胸なんてないだろ」というのは、所詮、第三者の余裕でしかない。
 たぶん、乙武さんだって、別に自分が書いたことが間違っているなんて思ってないはずですよ。少なくとも「最低限の言論の自由が許されている国なら、書いても公的に咎められる筋合いのない内容」であることは疑いない。でも、やっぱりこうして「炎上」してしまったら、まずは「自分や周囲の身を守らなくては…」と思うのって、当たり前のことなのではないでしょうか。それこそ、作物を守ろうとするあまり、イナゴの大群の中で命を落としてしまうよりは、逃げて自分の身を守ろうとすることのほうが、よっぽど「自然」なのだと思います。いや、闘えばイナゴの100匹や200匹は潰せるかもしれないけど、結局は焼け石に水だし、イナゴなんて何匹潰しても、意味ないのだから。ほんと、ネットイナゴって、何が楽しくてあんなことをやっているんだろうか。やっぱり「本能」なのですかねえ。

 漫画家・山田花子さんの言葉を集めたもの(http://d.hatena.ne.jp/TERRAZI/20060531/p2)を読みながら思ったのだけれど、このネットイナゴたちの心のなかには、大きなハンデを抱えながら自分たちよりも有名で、人生を楽しんでいるように見える乙武さんへのコンプレックスがあるのだろうなあ、と僕は感じます。「人は、自分より弱いものに対してしか優しくなれない」。体のハンデをあげつらうことでしか、他者に対して優越感を持てないというのは、なんて悲しいことなのだろう。
 

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