琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

ゲームがいちばん楽しかった時代

「ゲームがゲーオタだけのものでなくなりますように」(by おれはおまえのパパじゃない)
http://d.hatena.ne.jp/kowagari/20061013/1160733288

↑を読みながら、僕も本当にそうなればいいのになあ、と思いました。うちの親にもゲームを薦めてみたことがあったのですけど、結局、ちょっとだけ触って「難しいよコレ」なんて投げ出してしまった記憶がありますし。
しかしながら、僕の記憶を遡ってみると、「ゲームは、20年前よりはるかにゲーオタだけのものではなくなってきている」のも間違いありません。
 ファミコンが、いや、スーパーマリオが大ヒットする前の僕が小学生から中学生くらいまでって、「ゲームは男子のもの」だったんですよね基本的に。ゲームの話とかすると、「また男子がくだらないものに夢中になって」というような目で見られていたのを今でも記憶しています。いや、男子にだって「ゲームなんて何が面白いの?」って言うヤツのほうが多かったかも。少なくとも20年前くらいは、「ゲームをやる女子」というのは、それだけでかなりの「異端」だったのです。今みたいに女性と普通にゲームの会話ができて、ヘンな人だと思われない(とはいっても、いきなり「『提督の決断』って面白いよね〜」とかいうのはムリだけど)時代が来るなんて、当時は夢にも思いませんでした。
 しかし、僕がその頃の話を「ゲームセンターは不良の溜まり場だった」と書いたとき、「そりゃどこのSFからの引用?」みたいなリアクションがけっこうあって驚愕したように、いまやゲームっていうのは、「ごく普通の娯楽」になってしまっているのです。ファミコン以前に遡れば、「マイコン」とか「テレビゲーム」という存在そのものが「ごく一部の物好きの趣味」でしかなかったのに。考えてみれば、みんなのデスクの上にパソコンがあり、一人暮らしのOLの家にプレステがあるなんて時代のほうが、20年前からすれば「SF的」であったわけで。
 以前、筒井康隆さんの「不良少年の映画史」という本で、戦前〜戦後すぐくらいまでは、「映画は不良が観るもの」だったと書かれているのを観て驚いたのですが、いまや「趣味は映画鑑賞」と聞いて「不良!」と感じる人などいないはずです。まあ、昔よりは映画観そのものが清潔・静謐なものになったという面はあるにせよ。
 そもそも、「ゲームなんてやるやつは不良だ!」と蔑まれてきた僕だって、自分の子供に「パパ、なんでそんなにゲームばっかりやってるの?」なんて言われてもおかしくない年になってしまったので(実際には子供はいませんが)、この変化は、「ゲームが広い世代に理解されるようになった」といよりは、「ゲームに慣れ親しんだ人たちが、どんどん年を重ねてきている」だけなのかもしれません。僕はきっと、隠居したらいままでずっとクリアできなかったゲームを片っ端からクリアしようとするでしょうし。
 子供の頃は、ゲーム1本の値段の高さに愕然としていたのだけれども、大人になってみると、ゲームって、酒を飲みに行ったり、ゴルフに通ったりするよりは、はるかに手軽で時間もかからず、安上がりな趣味なんですよね。仕事の合間にやるのであれば、1ヶ月に1本か2本新作を買えばお腹いっぱいです。

 ただ、僕の中には「ゲームがもっとみんなのものになればいいのに」という想いと同時に、これからどんな凄いゲームが出てきても、昔の「ゲームって、何?」っていう世間の目のなかで僕がゲームの進化を見つめていた時代のトキメキみたいなものは、もう二度と味わえないんだろうなあ、という寂しさもあるんですよね。

http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20061002#p1
↑の文章は、コミケの生みの親である米澤嘉博さんへの追悼文なので、このような形で引用してしまうのは不躾ではあるのですが、

コミケがこんな風に発展するとは思いもしなかった。こうやってつながるとは思いもしなかったっけ。私が参加していたころは、あんま人には言えない趣味を持った奴が同好の士を見つけてうひうひ喜んでいる時代だったから。ああ、楽しかったな〜。客観的に見るとなにが楽しいのか、あんまわからないけど、なんか、楽しかった。手伝っているだけでも。うん、楽しかった。

の「コミケ」が、僕にとっての「ゲーム」だったんですよね。

アクセスカウンター