琥珀色の戯言

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ぐっとくる題名 ☆☆☆☆

ぐっとくる題名 (中公新書ラクレ)

ぐっとくる題名 (中公新書ラクレ)

「文章術」「小説家入門」の類の本は世に結構出ているにもかかわらず、作品にとってもっとも重要なファクターのひとつである「タイトルをどうつければいいのか?」ということは、意外と語られることが少ないのです。もちろん「内容が無い」ものはどうしようもないのですが、素晴らしい内容でも、読者の興味を持ってもらわなければどうしようもないのです。この「ぐっとくる題名」、ブログをやっていて、「どんなタイトルをつければいいんだろう?」といつも悩んでいる人は、実用書として、ぜひ一度読んでみることをオススメします。目からウロコが落ちます。駄洒落みたいなタイトルも、あらためて分析してみれば極めて高度な「計算」や「良質のセンス」が詰め込まれているのです。
 僕が「ぐっときた」のは、ブルボンさんが、カフカの『アメリカ』(現在は『失踪者』と改題されているそうです)について書かれているこの部分。

 マックス・ブロートは、いくつかの短編を除き、遺稿を焼き捨ててくれとカフカに頼まれたが、それを無視した。そのおかげで「審判」「城」といった作品が世に出たわけで、遺言を履行しなかったという行為が「文学的に」高く評価されている。
 だが、この小説に「アメリカ」と名づけた、そのことも文学的に大きな仕事をしたといいたい。主人公がさまようのは未開の分からない場所、広大な場所、どこか明るい、楽天的な気配のある場所。まさにこれは「アメリカ」を描いた小説だ(当時においてもそうだし、現代のアメリカをみてもなお普遍性を持つと感じる)。また、作品がそれを名乗ることで、実物のイメージすら刷新してみせる。
 辞書の二番目の意味のように、新たな(言語としての)「アメリカ」になろうとするような意欲を感じさせる。とても力強い命名でもある。
 とりとめなく舞台が変わり、途中の章も抜けているらしい未完成の作品に「アメリカ」と名づけたことで未完成の小説が「自立」した。

 この紹介文を読んでいるだけで、作品を読んでみたくなります。結局、1927年に刊行され、ずっと『アメリカ』だったこの作品は、カフカの生前の意向をくんで、現在では『失踪者』というタイトルにされているそうなのですが。
 こうして考えると、作者が、必ずしも最高のタイトルをつけられるわけではない、ということなのかもしれません。いや、作者としては、『アメリカ』なんて、あまりにもベタすぎるタイトルだ、と結論づけてしまうかも。 
 1925年にセオドラ・ドライサーの『アメリカの悲劇』という作品が発表され、ベストセラーになっているので、当時の人は、「また『アメリカ』?」と思っていた可能性もあるのですけど。
 ところで、この『アメリカの悲劇』は、1931年に同じタイトルで一度映画化されているのですが、1951年に再映画化されたときには、「反米映画だと思われるのを懼れて」『陽のあたる場所』というタイトルに改題されているんですよね。『アメリカ』というタイトルは、改題の憂き目に遭いやすいのかも。

 なんかもう、脱線しまくりですみません。

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