琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

「匿名で書き続けること」の難しさ

http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/865

↑で書かれている「文学の定義」に関しては、僕には僕なりの考えがあるし、AkkyさんにはAkkyさんなりの考え方があることなので、とくに異論も反論もありません。いろんな意味で「文学に熱い人」だなあ、とは思いますし、そういう人がいてくれるというのは、むしろ心強いことでもありますので。

このなかで、

「文学」というものに本当に権威を認めないというならば、「文学」を否定されることに何らの痛痒も感じないはずです。もし感じるとするならば、それはどこかで「文学」というものに対する権威付け(ないしは価値付け)が行なわれているからではないかという気がします。そして僕の見るところ、fujiponさんの本音としては、匿名における「文学」の存在を否定されるのが嫌なのだと読みました。

と書かれているところに関しては、「本当に『文学』なんてどうでもいいと思ってたら、いちいち反応しませんよ」って感じなのですが、「匿名における『文学』の存在を否定されるのが嫌」だと書かれているのは、まさにその通りです。僕もこうして匿名で文章を書き続けている人間ではあるので、誰かが可能性を見出してくれないかな、と思っています。もちろんそれが自分自身であれば嬉しいのですが、残念ながら、僕にはそれほどの才能がなさそうなので。ただ、現実問題として、書籍として多くの人に読まれるような「文学」を指向するのであれば、ネットで書き続けるよりも、群像新人賞とかファンタジーノベル大賞とかに応募したほうが、はるかに「成功」の可能性は高いですよね。百万馬券と宝くじの3億円くらいの可能性の違いだとしても。それでも、ネットで書くというのは、ある意味「身近な成功」を得るための手段ではあるわけです。けっこうたくさんの人が自分の書いたものを読んでくれるとか、ときには感想をくれるとか。文学新人賞に応募したところで、よっぽど頂点の近くに行かなければ、そういう「見返り」はありません。
 僕の場合、率直に言うと、「文章を書かなくても食える」ので(というか、社会人の多くは、大部分のあまり売れてない小説家(あるいはその志望者)よりも高給取りです)、自分をアピールしたい気持ちと今の生活を失ってしまうリスクを天秤にかけると、やっぱり、「とりあえず、今の生活+WEBに気が向いたときに好きなことを書く生活」を選びます。それなりの収入と、(ネット上だけだとしても)それなりの注目度、そして、それなりの自己満足。いかにも小市民的ではありますが、まあ、小市民であるというのは、「文学的」ではないとしても、けっして罪ではありますまい。

 ネット上で、ある人が「匿名」で書き始めたとしても、10年、20年ずっとそのままネット上でHNで書き続けられる人というのは、本当にごく少数なのではないかと思うのです。
 彼らが進んで行く道筋としては、

(1)そのまま死ぬまでネット上でHNで書き続ける(アフィリエイトなどでの収入なし)。
(2)そのまま死ぬまでネット上でHNで書き続ける(アフィリエイトなどでの収入あり)。
(3)どこかで実名(あるいは作家としてのペンネーム)をさらして、ネット外へと飛び出していく。
(4)書くことそのものをやめる。

 この3通りしかありません。そして、(1)の選択肢は、いちばん普通のようでいて、いちばん選ばれにくいものではあるのです。だって、「匿名」でいるかぎり、書いても書いても「どうだこんなにアクセスがたくさんあるんだぞ」とか「こんなに反応が来るところはウチくらいだろ」なんていうような限られた自己満足の世界から出ることはできないのだから。
 (2)のような、具体的な「見返り」があるのなら、「これも仕事だから」「お金になるから」と割り切ることができるのかもしれませんが、(1)をずっと続けていると、なんだか人生を浪費しているような気がしてくるのです(そもそも、人生そのものが浪費するしかないものなのかもしれませんが)。それこそ、「英会話でも習いに行っておけばよかった」とか考えたり。まあ、本当に習いにいっても、面白くなければ三日坊主確定なんですけど。
 そこで、(1)を続けている人(あるいは、(2)では満足できなくなってしまった人)は、(3)を目指すわけです。初期の有名サイトの人の多くが本を出していったのは、こういう流れからでした。しかしながら、それで本が出たからといって、ずっと作家として食べていけるようになった人は希少で、多くの有名サイトの人が「一発屋」で終わっていきました。それでも、「本を出せるものなら出したい」と思っている人はけっして少なくないと思います。やっぱり、せっかくやっているのだったら、現状に安住してしまうより、新しいことに挑戦してみたい人が多いのではないかなあ。『きらきら研修医』なんて、あんなリスキーなブログ、よく書いていたと思うし、よくドラマ化を認めたと感じるもの。単純計算すれば、あのブログ関連でうさこ先生に入ってくるお金と、あのブログが有名になることによって、「炎上」などに巻き込まれ、仕事を失ったり、やりにくくなったりすることによる生涯賃金減少の可能性を考えると、けっしてあのクラスの超人気ブログでも、収支はプラスとは言い切れないのではないでしょうか。それでも、人っていうのは自分の存在をアピールしたい生き物なのですよね。好きで書いているつもりでも、評価されることによって、かえって「自意識」は肥大し、「見返り」が欲しくなる。

 『ウェブ人間論』で平野啓一郎さんが書かれていた「作家からすれば、なんでわざわざタダでブログを書かなければならないのかと思う」というのは、確かにそうなんだと思います。イチローや松坂が、義理も無いのに四国アイランドリーグでプレーするはずがない。しかしながら、多くのプロ野球志望者にとっては、アイランドリーグでお金をもらって野球をすることさえ、ひとつの「夢へのステップ」であるわけで。だから、彼らのような「メジャーリーガー視点」で書かれた『ウェブ人間論』は、僕にとってはあまり心に響かない本でした。

 正直、こういう形式での「ブログ文化」そのものが、あと何年続くかというのも怪しいところではあるのですけど(というか、こういう「匿名で発信できる時代」そのものが、後世からすれば、そんなカオスな時代もあったのか……と語られるようになるのかもしれません)、僕自身「匿名で書き続けること」こそがWEBの魅力なのだと叫びつつも、いつまでそれを続けていけるのか、全く予想がつかないんですよね。(1)をずっと続けていければ、それがいちばん安全で平和なのですが。
 でも、本気で「作家」や「イラストレーター」になりたい人は、ネット上で作品を発表しているだけで「夢に近づいているつもり」になっちゃダメですよ。これだけは書いておきます(参考:http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20050530#p2)。

アクセスカウンター