琥珀色の戯言

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ネットの友人

http://anond.hatelabo.jp/20070119165408

友人にはいろんな友人がいるのだけれど、人と人との適切な距離というのはものすごく微妙なものだ。「なんでも話せるネットでの友人」というのは、ものすごく貴重な存在だと思うけれど、その一方で、「ネットだから、お互いの『正体』がわからないからこそなんでも話せている」という可能性もあるのではないだろうか。例えば、僕が不倫をしていたとしても(あくまでも仮定の話です)、身近な友達には、やっぱり相談はしないだろう。それは、相手を信用していないからではなくて、相手に迷惑をかける可能性とか、自分のことを知っている誰かにそういうことを話して秘密が漏れてしまうリスクを考えてしまうから。でも、ネットの場合は、「お互いに利害関係が生じないからこそ」話せることってたくさんあるんだよなあ。僕は基本的に仕事での愚痴をリアルでの友達に話すことができないし(それは、プライドだったり羞恥心だったり、とにかくいろんな原因があるのだけど)、話そうとも思わない。でも、だからといって、リアル友達がネット友達より僕のことを「わかってない」っていうわけじゃない。現実で誰かと「友達」でいるためには、ある種の「節度」って、お互いに必要なものなのだ。毎日電話してきて愚痴ばっかり言っているような人と、ずっと友達なんかやってられないよね。
蝶野正洋アントニオ猪木を評して、「あの人は遠くから仰ぎ見れば神様だけど、近くにいると悪魔だ」と言っていたという伝説があるのだけれど、考えてみれば、ネットで「人気サイト」をやっている人なんて、もしそのままのキャラクターで身近なところに生きていたら、「理屈ばっかりこねる煩わしいヤツ」だったりするんじゃないかな。あるいは、「弱音ばかり吐いて、他人を振り回す人」だったり。もちろん、ネット人格とリアル人格を使い分けている人も多いのだろうけど、それはそれで、ネット人格に対してシンパシーを抱いていた人にとっては「そんな人だとは思わなかった」って話になりそうだし。
もちろんケースバイケースで、実際に会ってみたらリアル友人になった、という場合もあるのだろうけれど、「ネットでのつきあいという距離がベストな友情」っていうのは、やっぱりあるんじゃないかと僕は思う。メールでの悩み相談なら冷静かつ的確に答えられても(それでもあんまり頻回だと辛いだろうけど)、毎日電話で悩みを語られたらたまらないものね。でも、リアルな人間関係って、そんなものなんだよなあ。お互いに普段は「本音」でぶつかったりしないから、なんとかつきあっていけるんだよ。

そうそう、蛇足なんだけど、僕はリアルの友人知人の冠婚葬祭には、なるべく行くようにしています。「気持ちの問題」には違いなんだろうけれど、自分が喪主になったときの経験上、「気持ちはあったけど行かなかった(行けなかった)」という人と、「実際に顔を見せてくれた」人とのあいだには、「気持ち」そのものに差があるんじゃないかと感じたので。

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