琥珀色の戯言

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『墨攻』感想 ☆☆☆☆

公式サイト:http://www.bokkou.jp/

 昨日観てきたのですが、僕はこの映画とても好きでした。でも、他人にはちょっと薦めにくいです。少なくとも、観ていい気分になれるような作品ではないから。

2000年前の戦乱の中国を描いた同名の人気コミックを映画化した歴史スペクタクル。10万の敵に囲まれた落城寸前の小国の城が、平和のために戦うという目的で助っ人にやって来た1人の“墨家”に救われる伝説の戦を壮大なスケールで描く。頭脳明晰(めいせき)で優れた人柄の主人公を、アジアのトップスターであるアンディ・ラウが好演。敵方の武将を演じる『デュエリスト』などの韓国の名優アン・ソンギとの対決も見ものだ。日韓中が協力して作り上げた渾身のドラマに胸が震える。

紀元前370年頃、巷淹中(アン・ソンギ)率いる趙の10万の大軍が住民わずか4千人の梁城に攻め入ろうとしていた。梁王(ワン・チーウェン)は墨家に援軍を頼んでいたが時間切れで、降伏しようとした時に墨家の革離(アンディ・ラウ)という男がたった1人で城に到着する。彼は1本の矢で趙軍の先遣隊を退けてしまい……。 (シネマトゥデイ

すみません、今回は全面ネタバレです。この先はこれから観る予定の方は読まないでくださいね。
原作が好きだった人、中国史好き、三国志好き、銀河英雄伝説好きにはぜひおすすめしたいとだけ書いておきます。

 この映画の冒頭の部分を観ていて感じたのは、「えっ?状況説明って、それだけでいいの?」ということでした。僕は中国史フリークなので、ここで描かれている中国の戦国時代と梁・趙・燕という諸国の関係、そして、「墨家」という集団の性格と歴史的な位置づけはある程度把握しているつもりなのですが、全く予備知識なしでいきなりこの映画を観せられた人にとっては、「単に正義の味方が城を守りにやってきただけ」みたいにしか思われないような気がします。もしかしたら中国の人にとっては、「墨家」についての解説というのは、日本人にとって「川中島の戦い」を解説するのと同じくらい「蛇足」であるという判断なのかもしれませんが、多くの日本人にとっては、かなり説明不足な状況で話が進んでいくのではないでしょうか。そもそも、革離がなぜ独りで梁城の救出にやってきたのか?という点に関しても、「みんなが救出に反対したから」という言葉での説明しかなされていませんし。「なぜ墨家の人々は梁救出に反対したのか?」そして、「なぜ革離はそれでも梁救出にやってきたのか?」というのは、この物語と革離という人物を知る上でとても重要なポイントだと思うんだけどなあ。この「墨攻」の原作では、正義を行うはずの墨家自身の変容というのも語られていたような記憶があるのですけど。あと「兼愛」という言葉が、かなり後半になるまで何の言及もなく普通に使われているのはどうなのかなあ、と感じました。そこは観客が自分なりの答えを出せばいい、ということなのかもしれませんが、「墨家」についての予備知識がない人にとっては、言葉の意味ばっかり気になるのではないかと。
 前半部は「篭城戦」というシチュエーションの切実さがものすごく伝わってくるのと、革離の活躍もあり、いささかヒロイックファンタジーに過ぎるきらいはあったものの、とても素晴らしかったです。趙軍の動きを観ていると、大軍を動かすというのは、そんなに簡単なことではないのだな、というのも伝わってくるし(ちょっと『決戦3』みたいだった)、やっぱりフィッシャー提督がいないとヤン艦隊も辛いよなあ、とか思ったり。
 しかしながら、後半部はもう「観ているのがつらい」というシーンの連続。まあ、権力者なんてあんなものなのだろうな、とは思うけれど、それにしてもあまりに革離は報われない(報われることを求めないのが「墨家」とはいえ……)。そして、後半部を観ながら、僕はちょっと自己嫌悪に陥ってもいたんですよね。前半部では梁城の側に圧倒的に肩入れしていたのだけれど、中盤で革離が梁王に疎まれて城から追われ、その後に趙軍が攻め入ってくるシーンではむしろ「趙軍いいぞ!やれやれ〜梁王を倒せ!」という心境になり、革離が戻ってきたらまた「がんばれ梁の人たち!」というふうに、僕にとっての「正義」はどんどん入れ替わっていきました。結局のところ、絶対的な「正義」なんて存在しなくて、「どちらに感情移入しているか」だけなんですよね、僕の「正義」なんて。劇中にもあったように「革離がいなかったら、両軍にあれだけの犠牲が出ることはなかった」でしょうし、当時の感覚からすれば、梁のような小国は趙が攻めてくれば趙の味方になり、燕が攻めてくれば燕の軍門に降る、というのが一般的な国としての「処世術」だったので、結果的に革離がやったことは「死者を増やした」だけだったような気もするのです。しかも、いい人ばっかり死にまくってるしさ。ところで、あの「梁城」が、僕には「日本」に見えてしょうがなかったんですよね。「侵略戦争」は否定するとしても、外敵がやってくれば、「全面降伏」か「防衛のための戦い」を選ばざるをえない。そしてその理由がどうであれ、戦争をすれば血は流れるのです。それでも「戦わずにひさまづき、言いなりになる」わけにもいかない。この映画を「反戦映画」だと考えている人もけっこう多いようですが、僕がこの映画に感じたのは「反戦」というようなアクティブな主張ではなくて、「とにかく人間というのはこういうどうしようもない存在なのだ」という透き通った「諦念」でした。革離がいくら諸国で平和を説いたとしても、墨家は歴史の波に呑まれて滅び、それから2000年間、地球上に戦争が絶えることはありません。考えれば考えるほど「虚しさ」だけしか残らない映画なのです。それを実感するところからしかはじまらない「何か」があるのかもしれないけれど……

 あと、あのヒロイン逸悦はちょっと違和感ありすぎ。恋愛要素を織り込みたいのはわかるけれど、最初の頃は颯爽としていた近衛軍の騎士だったのに、途中から突然クネクネしだして革離を誘惑し、自分から服を脱ぎ出そうとしたシーンは噴飯モノでした。逸悦ってそんなキャラじゃないだろ!って、観客に突っ込ませてどうするんだ……最後は『タイタニック』みたいになってるし。

 それにしても、革離って、ヤン・ウェンリーみたいなキャラだよなあ。ヤンのほうがもっと俗っぽいキャラですが。

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