琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「炒飯」「ピラフ」「リゾット」「パエリャ」の違い

ねこの日々 - チキンライスとピラフと炒飯と焼き飯と
↑のエントリを読んでいて、ちょうど今読んでいる本に世界のコメ料理の薀蓄が書かれていたのを思い出しました。

 渡部忠世氏の『稲の道』は、コメの起源は雲南・アッサムの山岳地方にあるとし、東アジアへは長江、東南アジアへはメコン・チャオプラヤ・イラワジ川、インドへはガンジス川に沿って伝播したとする。メコン川流域からはジャポニカ(japonica、日本型)とインディカ(Indica、インド型)の両種のイネが見いだされ、コメの原産地とみなされている。東の中国・朝鮮・日本などには最初ジャポニカ種が、西のインドにはインディカ種がひろまった。
 日本人が主食とするのは、粒が小さく、丸みを帯びたジャポニカ種(短粒米)である。ジャポニカ種は紀元前28世紀頃に中国南部にいたり、更に北九州に伝えられたとされる。ジャポニカ米は、軟らかく、粘りと弾力があり、ほのかな香りと味わいがある。ジャポニカ米の淡い味わいが、繊細で味の薄い日本料理をつくり出したとされる。ジャポニカ米こそが「水」を使う日本料理の土台なのである。
 中国でも、最初はジャポニカ米が栽培されていた。しかし11世紀頃になるとヴェトナム南部からインディカ種(長粒米)のチャンパ(占城)米が伝入した。日照りに強く、二ヶ月で収穫が可能だったことからジャポニカ種が駆逐され、江南の水田の8〜9割がチャンパ米に変わっていく。

(中略)

 インドには、アッサム地方を経由してインディカ種(長粒米)という細長くパサパサしたコメが伝えられた。紀元前25世紀から15世紀の間のことである。インドでは、インディカ米と油を巧みに組み合わせた独特の調理法が開発される。途中でコメを煮た湯を捨てたあとで蒸す「湯取り法」がとられ、「脂」や「油」で炒めるのである。インドのコメ料理「プラオ」は、水牛の乳を発酵により凝固させたギーという油で炒め、塩を加えて炊いたものである。
 インディカ種のコメは、インドを第二次原産地としてイスラーム帝国に伝えられ、更に地中海世界、ヨーロッパ世界に伝播した。英語のライス(rice)は、古ペルシャ語アラビア語を起源とする。インド風のコメの料理法も同時に西方に伝えられ、油でコメを炒める料理圏がひろがった。ちなみに欧米では、コメは野菜の一種とされ、肉料理に添える時にはバターで炒めることが多い。
 トルコで生み出されたコメ料理の変型が「ピラフ」である。ピラフは、トルコ語で「一椀の飯」の意味だが、コメ粒、刻みこんだタマネギをバターで炒め、ブイヨンを加えたスープで炊き上げ、更に羊肉、魚介類、マッシュルームなどの具を加えた「炊き込みご飯」である。中国料理のチャーハン(炒飯)は、固めに炊いたご飯を、ラード、具とともに炒め、塩、胡椒、醤油で調理するものであり、ピラフとは全く発想が違う。
 ピラフと同系列のイタリアのリゾットは、コメをオリーブ油、バターと一緒に炊く。スペイン東部バレンシア地方を代表する料理パエリャは、かつでイベリア半島を支配していたイスラーム文化の影響を色濃く受けた料理で、コメと具をオリーブ油で炒めた後、スープを加えて炊き上げる。コメの料理法が微妙に変化していくのが面白い。同じコメでも、消費の様式には歴史性が加味されるのである。

知っておきたい「食」の世界史 (角川ソフィア文庫)

知っておきたい「食」の世界史 (角川ソフィア文庫)

↑の本から引用させていただいたのですが、同じような「コメを炒める」料理でも、各地で少しずつ炒めるタイミングや一緒に炊くものが変化していっているのが非常に興味深かったです。
ちなみに、この本には「炒飯」と「焼き飯」の違いは書かれていないのですが、この2つは僕の中では同じものなんですよね。
あえて言えば、家で作って食べるのが「焼き飯」で、外食だと「炒飯」という感じでしょうか。

アクセスカウンター